歴史から現代社会を検証するシリーズをいよいよ書いてみようと思います。
今回は江戸時代から。
さて,中学時代,江戸の三大改革を勉強したと思います。享保の改革,寛政の改革,天保の改革ですね。そして,それぞれ改革のきっかけになったひとつが「飢饉」です。飢饉とは,簡単に言えば,凶作で米が取れない状態を言います。米を年貢米として払っていた当時にしてみたら,米は現金そのものと考えていいでしょう。
そして,飢饉が続くことにより実質的に現金収入が減少したため,藩や幕府の財政が非常に苦しくなった,そこで当時の将軍や老中が当時としての大改革を断行した,それがこの江戸三大改革です。
各改革については,それぞれおもしろ話がありますので,別の機会に紹介するとして,ここでは,改革に至る「飢饉」について検証したいと思います。
中学の授業や教科書を思い出してください。おおざっぱにこんな風に書かれていたのではないでしょうか。
「江戸時代中期以降,凶作や飢饉が相次ぎ,餓死する農民や田畑を捨てて町に出る農民が急増しました。一方,年貢米が少なくなった藩は,より一層の年貢米の増加を要求してきました。そこで,この頃から代官や高利貸し商人に対する一揆や打ち壊し等が急増してきました。これにより,幕藩体制が少しずつ崩れはじめてきました。」
記憶で書いていますが,だいたいこんなことだったと思います。
この授業を聞いたとき,中学時代の私は「当時の代官って馬鹿だなあ。年貢米払えない状況分かってるのに,何で年貢米増額するんだろう。藩の財政苦しいならば,苦しいなりのことやりゃあいいのに。」と世間というものを知らないなりの感想を持っていたものです。おそらく,このような感想を持たれた方も多いのではないでしょうか(特に,大塩平八郎の乱に関しては,「大塩可哀想」と思った人もいるかとおもいます。)。
さて,現代はどうでしょうか。現代の飢饉=不景気です。
最近は好景気になったといいながら,一方で平均給与額はまだまだ下がっています。中小企業の倒産率も上昇こそ収まりましたが,まだまだ高い水準を維持しています。したがって,まだまだ不景気といえるでしょう。
その状態の中で,政府与党は増税を断行しようとしています。また,銀行が中小企業やサラリーマンへの貸し出しを控えている影響から(貸し渋り),高利貸し(街金)は,ますます顧客を増やしています。
すなわち,景気が悪くなったので,増税をして政府の台所を多少なりとものよくしようという発想といえるでしょう。これは,年貢米を増やしたいことと同じことといえます。
ということは,江戸時代でいう「一揆や打ち壊し」が起こってもいい状態に極めて似ているといえるのではないでしょうか。
歴史から検証すると,今回の大増税をは,「時代劇の悪代官」と同じようなものにしか映りません。このままでは,やがて一揆が起こっても仕方がないといえるでしょう。
ただし,現代社会では,暴力行為である一揆はさすがに起こりにくいですし,そのような行為には私も大反対です。それに変わる一揆は「選挙」といえるでしょう。
この歴史から学ぶべきことは,「不景気の時代こそ,トップの手腕が発揮される。増税という安易な方法は,結局トップの首を絞めるだけに終わり,逆に国の崩壊にも進みかねない。」ということです。
つまり,改革なき大増税は一揆(選挙)により政権は崩壊する,このように歴史は教えていると考えられます。むしろ,一揆が起こらないように国民を弾圧するのではなく,一揆が起こらないような積極的な施策(改革)が望まれるといえるわけです。
今,小泉首相が郵政民営化をはじめとする大改革を断行しようとしています。歴史の流れからしても,江戸の三大改革と同じような状況の下ではじめられたといえるため,いわば歴史の流れどおり進んでいるといえるでしょう。
この改革の結果がどうなるのか,それは江戸の三大改革が知っているため,その点は,別途検証したいと思います(こちらをクリックしますと,検証記事にジャンプします。)。
では,最後に歴史こぼれ話を少し。
享保の改革の中心人物である,徳川吉宗は,現代では「暴れん坊将軍」とかで「良い将軍」のように映っています。また,大岡越前上忠相も,「大岡裁き」など有名なエピソードを残し,「すごく良い奉行」に映っていると思いますし,そのようなイメージを持つ人も多いでしょう。
しかし,歴史研究家の中からは,異論がありまして「大岡越前は猛烈な言論弾圧を行った」という説があります。すなわち,幕府に対する批判が強まりはじめたため,それを恐れた吉宗は大岡越前に対し,徹底した言論統制を実施したというのです。だから,記録上は美談しか残っていない,というわけです。
逆に,田沼意次は,賄賂をもらった腹黒い老中という低い評価をもつ人も多いと思いますが,逆に田沼意次は江戸時代の老中の中では,1,2位を争う有能な政治家であったといわれています。
田沼は,印旛沼の干拓という大事業を成し遂げて米の増産を確保したという実績があるばかりか,言論の自由を認め,いわゆる情報流通を確立したといわれています。言論の自由があったからこそ,江戸時代ではごく当然に行われていた「賄賂政治」のことも記録上しっかり残っていたといえるわけです。
以上の真偽は歴史だけが知っていますが,少なくともいえることは,「歴史の多くは当時の公文書から知るため,当時の公文書に果たして悪いことが書かれているだろうか」という点を知る必要があります。
歴史学者達は,そのことを熟知した上で,新たな歴史発見に向けて日夜一生懸命研究しているのです。
以上,コラムでした。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
今回は江戸時代から。
さて,中学時代,江戸の三大改革を勉強したと思います。享保の改革,寛政の改革,天保の改革ですね。そして,それぞれ改革のきっかけになったひとつが「飢饉」です。飢饉とは,簡単に言えば,凶作で米が取れない状態を言います。米を年貢米として払っていた当時にしてみたら,米は現金そのものと考えていいでしょう。
そして,飢饉が続くことにより実質的に現金収入が減少したため,藩や幕府の財政が非常に苦しくなった,そこで当時の将軍や老中が当時としての大改革を断行した,それがこの江戸三大改革です。
各改革については,それぞれおもしろ話がありますので,別の機会に紹介するとして,ここでは,改革に至る「飢饉」について検証したいと思います。
中学の授業や教科書を思い出してください。おおざっぱにこんな風に書かれていたのではないでしょうか。
「江戸時代中期以降,凶作や飢饉が相次ぎ,餓死する農民や田畑を捨てて町に出る農民が急増しました。一方,年貢米が少なくなった藩は,より一層の年貢米の増加を要求してきました。そこで,この頃から代官や高利貸し商人に対する一揆や打ち壊し等が急増してきました。これにより,幕藩体制が少しずつ崩れはじめてきました。」
記憶で書いていますが,だいたいこんなことだったと思います。
この授業を聞いたとき,中学時代の私は「当時の代官って馬鹿だなあ。年貢米払えない状況分かってるのに,何で年貢米増額するんだろう。藩の財政苦しいならば,苦しいなりのことやりゃあいいのに。」と世間というものを知らないなりの感想を持っていたものです。おそらく,このような感想を持たれた方も多いのではないでしょうか(特に,大塩平八郎の乱に関しては,「大塩可哀想」と思った人もいるかとおもいます。)。
さて,現代はどうでしょうか。現代の飢饉=不景気です。
最近は好景気になったといいながら,一方で平均給与額はまだまだ下がっています。中小企業の倒産率も上昇こそ収まりましたが,まだまだ高い水準を維持しています。したがって,まだまだ不景気といえるでしょう。
その状態の中で,政府与党は増税を断行しようとしています。また,銀行が中小企業やサラリーマンへの貸し出しを控えている影響から(貸し渋り),高利貸し(街金)は,ますます顧客を増やしています。
すなわち,景気が悪くなったので,増税をして政府の台所を多少なりとものよくしようという発想といえるでしょう。これは,年貢米を増やしたいことと同じことといえます。
ということは,江戸時代でいう「一揆や打ち壊し」が起こってもいい状態に極めて似ているといえるのではないでしょうか。
歴史から検証すると,今回の大増税をは,「時代劇の悪代官」と同じようなものにしか映りません。このままでは,やがて一揆が起こっても仕方がないといえるでしょう。
ただし,現代社会では,暴力行為である一揆はさすがに起こりにくいですし,そのような行為には私も大反対です。それに変わる一揆は「選挙」といえるでしょう。
この歴史から学ぶべきことは,「不景気の時代こそ,トップの手腕が発揮される。増税という安易な方法は,結局トップの首を絞めるだけに終わり,逆に国の崩壊にも進みかねない。」ということです。
つまり,改革なき大増税は一揆(選挙)により政権は崩壊する,このように歴史は教えていると考えられます。むしろ,一揆が起こらないように国民を弾圧するのではなく,一揆が起こらないような積極的な施策(改革)が望まれるといえるわけです。
今,小泉首相が郵政民営化をはじめとする大改革を断行しようとしています。歴史の流れからしても,江戸の三大改革と同じような状況の下ではじめられたといえるため,いわば歴史の流れどおり進んでいるといえるでしょう。
この改革の結果がどうなるのか,それは江戸の三大改革が知っているため,その点は,別途検証したいと思います(こちらをクリックしますと,検証記事にジャンプします。)。
では,最後に歴史こぼれ話を少し。
享保の改革の中心人物である,徳川吉宗は,現代では「暴れん坊将軍」とかで「良い将軍」のように映っています。また,大岡越前上忠相も,「大岡裁き」など有名なエピソードを残し,「すごく良い奉行」に映っていると思いますし,そのようなイメージを持つ人も多いでしょう。
しかし,歴史研究家の中からは,異論がありまして「大岡越前は猛烈な言論弾圧を行った」という説があります。すなわち,幕府に対する批判が強まりはじめたため,それを恐れた吉宗は大岡越前に対し,徹底した言論統制を実施したというのです。だから,記録上は美談しか残っていない,というわけです。
逆に,田沼意次は,賄賂をもらった腹黒い老中という低い評価をもつ人も多いと思いますが,逆に田沼意次は江戸時代の老中の中では,1,2位を争う有能な政治家であったといわれています。
田沼は,印旛沼の干拓という大事業を成し遂げて米の増産を確保したという実績があるばかりか,言論の自由を認め,いわゆる情報流通を確立したといわれています。言論の自由があったからこそ,江戸時代ではごく当然に行われていた「賄賂政治」のことも記録上しっかり残っていたといえるわけです。
以上の真偽は歴史だけが知っていますが,少なくともいえることは,「歴史の多くは当時の公文書から知るため,当時の公文書に果たして悪いことが書かれているだろうか」という点を知る必要があります。
歴史学者達は,そのことを熟知した上で,新たな歴史発見に向けて日夜一生懸命研究しているのです。
以上,コラムでした。
よろしければ1クリックお願いしますm(__)m→人気blogランキングへ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます