イマジネーション・トレーニングの日記〜わたしの藝と稽古の記録

パターンやイメージを探求するために絵を画いています。

自分の力に気づくこと

2022-03-17 11:12:25 | 日記



みなさんおはようございます。


連載「イマジネーション・トレーニング法」の時間です。


よろしくお願い致します。


さて、


わたしは絵を描きながら「イメージ」というものを探求しています。

イメージとはなにでしょうか?

イメージの世界はよくいうように

摩訶不思議で

精神の深い根底をなしているようです。

それは心であり、からだでもあり、

自己そのものであり、また社会の構造でもあります。

そして絵というものは

あるいは「ことば」という方法は、

向き不向きもあるとは思うのですが

手軽に「イメージ」を具体化して

自分ではっきりと確認できる、

そういうものだと思います。

そういうふうにして

一回「具体化」してみないと

なかなかうまく把握できないのが

イメージというもので

さまざまな「イメージ法」はありますが

絵を描くことは簡単で健康的な方法だと思います。






また「ことば」からのアプローチとしては

わたしは「メモワール法」や「セルフ・ヘルプ・ワーク(セルフ・ヘルプ・メモワール法)」を

実施しています。

そして、こうして毎日描いてゆくと

「こんなものができるとは」とちょっと驚くこともままあり、

毎日描いてきた作品たちを回想的に眺めてみて

やはりやってきてよかったと思います。

さて、今回のテーマ「自分の力に気づくこと」ですが

これは誰にでもあることだと思います。

なにかをまじめに実行していって

ある時点で、改めて具体的に自分の力を確認することは

幸福な体験だと思いますが

むろんそんなに特殊なことではありません。

成長とはだいたいそういうものでしょう。

またここで「自分の限界」を

はっきりと感じる経験もよくあると思います。

この「自分の力を知ること」と

「自分の限界を知ること」は

コインの裏表のようなものだと思います。

わたしはさまざまなものになろうと

これまでチャレンジしてきましたが

どれもうまく行かずに

しかし、絵を描くことだけはできます。

まあさして立派な絵ではないかもしれませんが

これは誰にも真似できない「わたしなり」です。

それをちょっとずつ良きものへと改善する可能性を探求し続けています。

またわたしはその経験を

かなりわかりやすい散文として

このように表現することも、なんとかできなくはなさそうです。

さして「受ける」文章ではなく、

自分の能力の限界で落胆し、悲観的になることもありますが

そういうことに挑んでゆけるということが

わたしにとっては幸福だと感じています。

いまは困難な時代で

いろいろとややこしいできごとに満ち溢れています。

無力感を感じることはありますが

台所の机でコツコツと絵を描く営みは

あるいは茶店のテーブルで、和紙の原稿用紙に筆ペンで向かう作業は、

ただの逃避や慰めというのではなく

「自分の力に目覚める営み」だと思って

今日もわたしは絵を描いています。

まずは落ち着いて冷静に一枚の絵を仕上げること

それは無限の重みを持って

精神の深層と連なっているでしょう。

それがわたしにとっての「イメージ法」です

そしてこれがどなたかの参考になればいいと思いながら

この原稿を毎回書いています。

今回の原稿はちょっとした「随想」で、

方法論の話ではないでしょう。

難しいことですが、

こういうチャレンジもこれから少しずつ

できるときはしてみたいと思っています。

では、また次回お会いしましょう。


( つづく)