こんにちは~!チーム株式会社の緒川修(おがわおさむ)です!!
題名を忘れてしまいましたが、以前読んだ本で桶狭間の戦いが面白い視点で考察されていたことを思い出したので書き記します。
桶狭間の戦いと言えば織田信長が奇襲をして今川義元を討ち取った戦いで、武田の騎馬軍団を鉄砲隊を使って破った長篠戦いと並ぶ織田信長の有名な戦いです。
この戦いの一般的な解釈としては、「少数精鋭の信長軍が雨に乗じて奇襲を行い、大軍を率いていた今川義元を討ち取った」と言うものと記憶されている方も多いと思います。
特に、当時雨の時は戦はしないという常識を破った事や、少数で多数に挑んだ非常識な決断をした当たり前を破った事が織田信長の偉業として評価されがちですが、その本では少し違った考察をしています。
まず戦に参加した人数ですが、その本によると今川軍1万9千に対して、織田軍は1万6千と、両軍そこまで変わらない数が戦っています。
さらに今川軍は直前まで別の敵城を攻撃していたことで、陥落させた城の守備を固めて自軍の各拠点に兵を戻しており、本体の戦力は半数程度まで分散していたらしいです。
そんな防戦一方の今川軍に対し、織田軍は全兵力を一点集中でぶつけて勝利したとその本では書かれていました。
確かに、普通に考えると自軍の2倍近くの兵数を相手にすれば、勝ち目なんてほぼありません。
(しかも、信長軍は当時一般的だった農民からの徴兵では無く、プロの傭兵軍団だった)
結論、戦術の基本を忠実に守っただけです。
しかし、だからといって信長が簡単に戦略通り事を運べたかと言うとそんなはずはありません。
今と違って監視衛星や携帯や無線といった瞬時に情報が伝わるツールが無かった時代ですから、上手く人を使ってリアルタイムに近い正確な情報をマメに入手していたのが、戦果となるきっかけだったと言えます。
しかも、1万6千もの織田軍の大軍が今川軍を狙っている事がバレないよう、したたかにしかも迅速に軍を動かす必要もあるので、こちらも織田信長の技量が試されたことは簡単に想像が付きます。
ある意味織田信長は非常識な程大量の努力と準備を重ね、勝利を勝ち取ったと言えるようです。準備万端の策があまりにもあざやかに達成されたため、後世の人が奇策や奇襲を使ったと脚色したのだろうとその本は考察していました。
もちろん、これは考察の1つなので、実際どうだったかは分かりません。
一見鮮やかに見える戦果も、念入りな準備の積み上げである事は、現代の仕事に置き換えたとしても同じことが言えます。
歴史上の偉人の鮮やかな成功を表面で捉えるのではなく、勝機を手繰り寄せるための膨大な努力へ時に目を向けるのも大事かもしれませんね。
今日は以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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