新音楽療法邪説

音楽療法は、音楽の持つ様々な特性を必要とされる人々の課題解決のために応用される音楽臨床技術の総称として用いられています。

休日に酒を呑む

2021年06月07日 12時15分01秒 | 音楽療法士の休日(Vacannza musicoterapista)

 昨日は結局家から出ずに、片付けをして過ごしました。お天気は曇り空で、時折り陽が差すこともあったのですが、今年のカンゾウやイワユリは諦めることにしました。で、片付けとは言いながら、呑みながらなので、結局は片付きません。お客様を招こうと頑張っているつもりなんですがねぇ。

 えぇっと、写真はいつもより格上の佐渡の酒です。イカの塩辛は姫津のかぁちゃん達が作った絶品。グラスに挿してあるのは何とか生き延びているローズマリー。少し横に広がっていたので、剪定してみました。ハーブでもローズマリーは好きで、Aコープで100円で買ったりします。

 さて、おつまみは冷凍していた鰹のタタキです。少し寂しいので、昨日棚田に登った時取ってきた山菜のわらびを醤油漬けにして食べました。佐渡は酒蔵が幾つもあり美味しいのですが、毎日グダグダになるまで飲めるほどお安くはありません。今日は、貴重な日なのです。だからと言って、特別な日というわけではありませんが、自分の撮った動画に自作の曲を被せて鑑賞してます。いつかは、YouTubeにと思いながら。


岩首の棚田です

2021年06月05日 22時05分57秒 | 音楽療法の資源(music therapy resources)

(2021年6月5日撮影:岩首の棚田=展望小屋から)

 

 今日は、曇りの天気予報だったので躊躇していたのですが、ちょっと動画も取ってみたいと思い裏山に当たる棚田に向かいました。この時期、大野亀のかんぞうや藻浦のいわゆりなどが心癒される時期なのですが、やっぱり晴天でないと、それに距離もだいぶあるので。明日、晴れそうなら、大野亀、藻浦と回ってみましょうか。ちょうど見ごろの時期でもあるし。

 棚田は田植えのころに登ったのですが、もうすっかり苗も育っています。その前は福寿草を撮りに登りました。写真はたくさん撮りためたのですが、なかなかお披露目はかないそうにありません。佐渡もワクチン接種が始まり、少しは安ど感もあるのですが、施設関係は外部との交流にはまだ慎重な姿勢です。早く交流が再開できるよう祈りながら、佐渡を摂ります。

 

 


相変わらずの休日ですが、釣りに行ってきました。

2021年06月05日 21時27分53秒 | 音楽療法士の休日(Vacannza musicoterapista)

(国仲の某渓流で釣ったイワナ。20cmのように見えますが、実は30cmあります)

 

 周りは海なんだから、海釣りをすればいいものをと言われそうです。実はその通りで、釣具屋さんからは「海」「川」と忙しいんだねぇ、とあきれられました。この釣果は5月中旬頃のものですが、何と仕掛けは海釣り用のまんまでした。ちょっと畜養し、食べてしまいました。渓流釣りは何年ぶりだろうか。まぁ、楽しい休日でした。


心理学の神話

2021年06月02日 20時33分03秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

昔、放送大学の講義を聴講した時の感想です。

講義は、通俗的なもの、擬似的なものがまことしやかに科学であるかのような振る舞いぶりと、それらを信じ込んでしまう人の多さとそのメカニズムついてというのが、背景にあったようです。

人は皆、その人なりのモノの見方というものをします。つまり偏りですね。自分がこうだと思ったことを、それを支持してくれる証拠を一生懸命探し、そうでないものを否定、軽視、歪曲しようとする特性を持っているということです。つまり、都合のよいものの見方をしてしまうということですね。これを防止するのに必要なのが、科学的視点ということでした。

翻って、音楽療法の世界はどうでしょう。音楽療法は科学でしょうか?科学でなくてよいでしょうか?さまざまな立場があるでしょうが、問題なのは、いや、問題と思えるのは・・・・
科学としての要件を満たしていない方法論を、科学と信じ込んでしまっていること?
少なくとも、相関関係しか認められないものを因果関係があるかのような物言いはよしましょう。それと、一般的に広く使われている概念を、自らのものとするネーミングで囲い込むのも止めてくれませんか。


自ら標榜するものを定義するには、対象、方法論を明確にした上で、論じなくてはなりません。
つまり、相撲の土俵にするのか、リングにするのか。同じリングという呼び方でも、レスリングであったり、ボクシングだったり内容が違うこともありますね。この辺をはっきりしてほしいのです。

音楽療法はあれにも良いこれにも良いと、対象、障碍を羅列しているところもありますが、それでは音楽療法は万能だと言っているようなものです。音楽そのものに依存してしまっては、音楽療法士の責任の所在が曖昧になってしまいますよ。まぁ、それで都合のよい人もいるかもしれませんが。

音楽療法って、何なんだろう?未来はあるのか。

(旧音楽療法邪説より転載)


リソース、色でわかる音楽

2021年06月01日 21時32分03秒 | 音楽療法の資源(music therapy resources)

                   (写真1

 ご存じミュージックベルですが、前列と後列とではカラーリングが違いますよね。後者はピアノの鍵盤にも見えなくはありません。前列は虹の七色をドレミ・・・・に割り当てたものとも言われています。ただし、文科省では色音符の定義はなく、これを考えた人や改良した人などによって、幾つか違いがあるようで、統一されたものではないらしいです。

 とすれば、購入したベルのカラーで工夫していくことになりますが、いくつかのバリエーションがあるとなると、ちょっと厄介ですね。楽器を購入する側としては、本格的なハンドベルを購入するならともかく、なるべく安価なものをと考えるでしょうから、「色」は二の次と思われても仕方ないでしょう。

 まぁ、手持ちの、あるいは仕事先の施設等の楽器のカラーリングで楽譜のようなものをこしらえていくことになります。先輩の音楽療法士の先生の中には、ベルに色のついたリボンを結んで行った楽器活動を紹介した著書を出版されている方もいますが、楽器によっては色の順番が違うものがあるらしいということになり、テキスト通りにはいかなくなることもあるということです。

 前置きが長くなりましたが、写真2ではこのカラーベルの色の並びをシートに応用し、音楽理論の知識がなくても3コードによる和音奏、つまり歌の伴奏を意図したベルの並べ方をシート上に表しています。

(写真2)

 ベルの色とシートの色が同じですね。シートに書いてあるAとかCは、別にドレミでもハニホヘトでもよいわけですが、たいていの場合ヘッドの部分にはABC式の音名が書かれています(ドレミのシールが付属しているメーカーものもありますが)。

 ここまでは、音に色を配列してわかり易くする話でしたが、これはメロディを演奏するためのわかり易い方法のひとつという話でした。でも、シートも色分けする事が出来るわけですから、そのシート上にコードの構成音を乗せれば和音を演奏できる楽器の誕生です。しかも3コード。それが写真3。

 (写真3)

 どうでしょう。このベルはタッチ式と言って、テーブルなどに置いたままでもヘッドの部分をタッチして音を鳴らす事が出来ます。この理屈を使えば、施設を利用されている利用者の方や患者さんも歌などの伴奏として何の習熟もなしに活動に参加する事が出来ますし、スタッフさん側は3コードを操ることで習熟なしに完璧に伴奏することができることになります。

 これは、施設勤めのスタッフさんたちにとってもかなりいいツールになるんじゃないかと、施設などに出向いて実践するはずが・・・・・・・・・

 結局コロナ禍で身動き取れずというオチで、終わります。