松下啓一 自治・政策・まちづくり

【連絡先】seisakumatsu@gmail.com 又は seisaku_matsu@hotmail.com

☆立憲主義に反するという主張は、なぜ大きな声にならなかったのか(三浦半島)

2015-11-03 | 1.研究活動

 安保法制では、立憲主義・法治主義がないがしろにされる結果となった。しかし、それに対する疑問や批判の声は、思いのほか大きな声とはならなかった。立憲主義に反するという声が大きくならなかったのは何故か。問題の根は深い。

 安保法制では、元内閣法制局長官など、従来ならば、政府側に立つ人たちが、こぞって反対した。その主たる理由が、立憲主義である。世界情勢をとりまく状況はたしかに厳しいかもしれないが、安保法制はどう考えても憲法に違反するので、もし世界状況への対応を是とするならば、まずは、憲法をきちんと改正してから対応すべきという主張である。憲法によって国家権力を統制する立憲主義がないがしろにされることの恐ろしさが、この反対論の根拠となっている。

 ところが、近代国家にとって、あまりに自明な、立憲主義を揺るがすことになるという反対論が、意外にも、大きな広がりにならなかったのは、国民の中に、立憲主義・法治主義を軽視する傾向があり、それが根深いところで、今回の安保法制につながっているというのが、私の問題意識である。

 以前のブログで、今回の安保法制では、政権側も,そして、これに対する反対する側も、両者とも、結局、国民は感情的で、立憲主義・法治主義については、きちん理解できないと見切っている、要するに国民をなめていると書いたが、今回の安保法制では、国民一人ひとりにとっての立憲主義・法治主義が見くびられたということなのだろう。

 この立憲主義・法治主義の建て直しは、民主主義の学校である地方自治から積み上げていかなければいけないというのが私の立場であるが、逆に、地域においては、この立憲主義、法治主義がないがしろにされるケースが散見される。国民自らが、自らよって立つべき基本を崩していては、いざというときに、いくら立憲主義を叫んでも、説得力を持たないのだろう。

 この民主主義・法治主義に関連して、ある町の議員さんのブログに投稿した。この町では、食物残渣などの産業廃棄物を肥料に変える工場の立地を巡って、反対運動が起こっている。工場から出る臭気などに対する住民の不安はよく理解できるが、ここでは、ともかく「絶対反対」、「工場側とは、一切、話し合いをしない」という住民運動が行われている。こうしたなかで、この議員さんは、そうではなくて、双方の話し合いによって、課題を一つひとつ克服していこうと提案し、活動しているが、その勇気と、住民の当面の意向に背を向ける形になっても、本来のあるべき姿を解くことが、結局、私たちの民主主義を守ることにとって不可欠で、それが結局、住民の幸せにつながることになる。それを応援するために、ブログに投稿した。

 いうまでもなく、民主主義は価値の相対性で、絶対的に一方が正しく、他方は絶対悪だということはないという前提に立っている。実際、それぞれに、それなりの言い分がある。それぞれの良いところを伸ばし、欠点を補強していくのが民主主義である。仮に話し合って、欠点を補強できないくらい酷いものだったら、受け入れ反対とすればよいのであって、最初から、相手の言い分を聞かないというのは、どうせあいつはだめだと決めつけるイジメの構造と同じである。これが、子どもたちの間で、動きが悪い、汚いと言って、ハンディを持つ子どもをそれだけで排除する動きに通じ、大人の間で、みんなに合わせることが苦手な若者をそれだけで排除する動きに通じていく。あいつはダメだという決めつけは、その矛先が直ぐに弱いものに向かうことを考えると、とても恐ろしいことだと思う。

 正義という面から見ても、世の中で正義は一つだけではない。産廃被害から暮らしを守ることももちろん正義であるし、他方、産業を興して、私たちの暮らしに必要な製品を生産し、働き場所をつくり、そこから出た廃棄物を処理することも正義である。この正義同士の生のぶつけあいをすると、結局、力の強いものの正義が通ってしまう。その典型例が、今回の安保法制で、中国の脅威という正義と戦争に巻き込まれるのを防ぐという正義がぶつかりあったが、結局、政権は数で押し切った。こうした正義同士の争いを防ぐのが、立憲主義や法治主義である。

 立憲主義・法治主義は、憲法や法律で大枠をつくって正義を決め、多数の横暴や感情的な議論を排除しようとするものである。これは何度も痛い目にあっている先人たちが編み出した生活の知恵でもある。ところが、「今の状況では法治主義などと言っている場合ではない。」と言って法を軽く見て、例外をつくっていくと、それが知らぬ間に、いくつも積み重なって、気が付いたら、力による正義が跋扈する社会になってしまい、結局、私たちは、また痛い目を見ることになってしまう。今回の安保法制で、立憲主義を守れという声が、思いのほか大きな声にならなかったのは、実は私たち自身の問題であることを、私たちは大いに自戒すべきだと思う。

 民主主義の学校である地方自治で立憲主義を建て直していくには、抽象論ではなく、地域における具体的課題において、地道に民主主義や法治主義の実践することで、立憲主義は確固たるものになっていく。政治のリーダーたちの役割は、とかく目の前の課題に目を奪われがちな住民たちに寄り添いつつ、未来を見据えて(ときには住民たちの反発を受けながらも)、未来をリードすることである。私たちの民主主義が、脆弱になっている今だからこそ、心して取り組んでほしいと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★政策法務研修・基礎編(相模... | トップ | ▽文化祭に参加する(相模女子... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

1.研究活動」カテゴリの最新記事