そこには命はなかった。けどこの国は付喪神的な概念がある。それは最初はただの木彫りだった。それも何も精巧じゃない。ただその時、それを拾った人がそう見えるから……と家に持ち帰っただけの物。
最初はお気に入りでどこにもそれをもっていってた。けどいつしかそれをなくしてしまった。けどそれは別の人の家にあった。きっとその誰かもその木彫りの様ななにかにきっと「何か」を見出したのだろう。
それがそれほど出来が良くなかったのが逆に良かったまである。だってきっとだからこそ、色んな所を渡っていけた。最初に拾った人は、サルのようにみえたかもしれない。
次の人にはオオカミが吠えてるように見えてた。見る人によってそれは違った……そんな感じでそれは沢山の人の間を長い間渡り歩いてる。
普通は付喪神というのは一つの物を大事に大事にしていくと、いつかその物に魂が宿る……という考え方だろう。そこにはきっと目に見えない「思い」が募っていくからという考えがあるんだろう。
けどそれはそうじゃない。確かに長い間それは人の世を渡り歩いてた。けど大切にされてたのか? といえばそうじゃないかもしれない。確かに一時的な「お気に入り」にはなることができる。でもそれも長くて一週間、早くて三日……その程度だった。そして長い間雨風にさらされる事もある。
そのたびに『それ』は思ってた。
「なんで……」
――と。でもそれには不思議な魅力があったんだろう。必ず誰かが見つける。多いのは純粋な子供だ。だからこそ、すぐに夢中になるが、同時にすぐに興味が移っていく。
けどある時、長く長く海を漂って、そして岸についたとき、手ぬぐいを頭に巻いた音がそれを拾った。その人はこの不思議なそれに、魅力をとても感じたんだろう。
「お、おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお」
頬を伝う涙。なぜかその人は泣いていた。きっとこれは神の天啓なんだとそうその人は思った。それからは色々と事をそれはされた。まずは綺麗にされたが、それからは……そう口にするのも憚れるような……そんな事だった。
けど今までの誰よりも強い思い。そして強い執念。そして術術的な道具にされたことで、それは『変化』を始めてた。
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