他者依存症

2012-09-06 19:57:25 | 自然と環境のこと
今日はレンジャーの友人とデートをしていました。

勝沼はこの時期、葡萄で幸せな空間です。大地を埋め尽くすかのようなブドウ畑…には、ふっくらまん丸の葡萄の粒がたわわに実り、早く切ってあげないと気の毒なほどの重みでずっりしとしています。


葡萄は勝沼で買うと少し価格は高めですが…年に一回のことなのでよいかなと。


■ 都会の人、vs 田舎の人

田舎の人というと語弊がありますが、昔は里山だったというような山の際に住む人たちは、ご近所がワイルドネイチャーです。ゆえにワイルドライフも近い。

ワイルドライフと言えば、人間界と動物界の最前線です。 

山に行けば、野生動物には多少会いますが、普通の人が登山に行くような山は標高が高く、実は動植物相的には豊かではありません。というか植物も動物も住みにくい。だから神々しいわけですね。というわけでそこは前線ではない。

一方で動植物が豊かなのは里山的な山です。高い山なら山の麓。

そういうところに住むとなると、野生動物との対峙は日常です。最近では、過疎化が進み、廃屋や耕作放棄地が増えることで、野生動物は勢力を拡大中のようです。

山梨でも、北杜市など、鹿をはじめ、猿や熊、イノシシ、ハクビシン、その他、動物の害は増加の一途。

私も去年は明野に畑を借りていましたが、ハクビシンがずいぶんやってきていたようでした。

これらの野生動物は田舎暮らしの日常です! 前線では日々戦いが勃発中。

そしてそれは自らの生活に直結する知識なので、当然ですが田舎の人は詳しいです。撃退法から、蜂の巣の高さで台風の頻度を占うまで…ま、生活に必要な知識なので当然です。

一方、都会のほうも暮らしは大変です。中心部では過疎化が進み、都会にある伝統的な商店街は風前の灯です…私がいたのは空堀商店街でしたが、空堀なども再生を頑張っていますが、にぎわうとまでは行かない・・・。都会でも問題山積。基本的に都会の問題は貧困問題ですね。失業し、食べれない。
都会での生活技術は、人間と人間の戦いですね。文字通り適者生存。

ただ不思議なんですよね… 

こういう生活に密着した野生動物の現状を田舎の人は、都会の人も知るべきだと考えているようです。

さらに踏み込んで、猿が増えたり、鹿が増えたりした、そういう現状になっているのは、”都会の人のせいだ”とまで考えているそうです。

つまり、田舎の人は、自分達の生活問題の解決に都会の人をあてにしています。
そして、無知を責めます。

一方都会の人が田舎の人に都会の問題を解決してもらいたがっているなんて聞いたことがありません。また都会で必要となる生活技術、具体的には稼ぐ能力に田舎の人が無知でも不思議でもなんでもなく、ましてや相手を責めたりはしませんね。

満員電車の中でいかに力を使わず立つか、とか、迷路のような地下街でいかにすばやく人にぶつからずに目的地に到着するか、いかに首尾よく履歴書を纏め上げ、プレゼンし、職場ではいかに自分の能力を磨き続けるか…そうしないと野良人間さんへと脱落していくリスクが…。

都会の生活で必要な生活技術と、田舎の生活で必要な生活技術はこれほどに違います。おそらくそれだけのことです。

■ ”行政は何もしてくれない”はたぶん都会ではデフォルトです

例えば、ちょっとした出来心で連れてきた野生動物が帰化してしまい、繁殖したなどというような問題の解決に、

・都会の人が悪い、
・行政が悪い、
・専門家が悪い、

と、○○が悪いと自分以外の誰かが悪いと責めるのは、田舎の人に多いです。

今の時代、都会では人間そのものが野生化しています。野良人間さんは増え続け、人間界という野生環境で群れを作れず、野良化する人続出です…。あるいは、飢えて誰も知られずに死んでいく人、あるいはイジメにあって過労死する大人… 少女をトランクに詰めて運んでしまう男、部下にセクハラは茶飯事…

田舎では環境が壊れているかもしれませんが 都会では人間が壊れています。

田舎と都会、どちらも置かれた環境が異なるだけで、人間生活がサバイバルを基本としていることは変わりありません。

都会の人にとって、都会で発生している問題は自分達で解決するもので、役所が、あるいは、国が、あるいは専門化が、あるいは田舎の人が解決してくれるとは誰も思っていないでしょう。というか、”行政に依頼心”そういう立場を負け犬と呼んでいそうな気がします。

行政が何もしないのは都会では常識の範囲の話で、”とんでもないやつらだ”と目じりを吊り上げて怒るような話ではなかったかもしれません…(^^)

心がすれているのは都会のほうかもしれないですけどね…



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