1粒で3回おいしい、山の楽しみ

2012-08-13 10:34:42 | 山のアレコレ
■ 『エベレスト登頂請負業』

今日は夫は筋肉痛とか言いながらも、親孝行しにお盆に帰省していきました。
私は家で留守番なので、読書。読んでいる『エベレスト登頂請負業』と言う本…これって『岳』16~17巻のネタ本? 

エベレスト登頂請負い業

エベレストの登頂が、昔のような大冒険ではなく、商業化され、体力さえ許せば誰でも登れると言われる所以の様子を伝えています。

気に入ったのは、著者の単刀直入な語り口。
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そもそも山なんて、どのように登るか、もろもろのことを自分で解決し、組み立てて登るから面白いのであって人任せの登山はいまひとついただけない。公募隊に参加することを批判するつもりはないが、中高年でもあるまいし、若い人間が高額な料金を支払って参加するような考え方があまり好きではなかった。

だいたい、料金さえ払えばすべてを面倒見てくれる旅行ツアーのようなものに、若者は安易に乗るべきではない。別のスタイルを選択するべきだ。

もちろん自分で歩かなければ頂上には着かないし、苦労して登った山はよい経験として残るだろう。

ところが大きな過ちは、根本のところが決定的に欠けている点だ。これから登ろうとする山登りの内容をすべて人任せにして簡単に自分の意思を預けてしまっていいわけがなかった。

登山で重要な部分は自分の登山をどのように造りだしていくのか、そういった中身にこそ大きな意味があるはずだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーP65 『エベレスト登頂請負業』

上記の引用はその野口健さんの2度目のエベレスト挑戦で、著者が「しょうがねえな」と思いながら、タクティックス(Tactics)と呼ばれる行動計画を彼の代わりに立ててあげるくだりで、著者の考えを述べたもの。

野口健さん=「何も考えていないヤツだな」と思ったと言われています(笑)。
海外で教育を受けた人でも登山計画なしでエベレストに向かったとは…思考停止癖ってのは日本人的資質ではないのかもしれませんね、と変な感心の仕方をしてしまいました。 やっぱり外交官の息子なんていう金持ちの息子に生まれてしまうと最初に金で解決しようとしてしまうのかもしれない?

その点ではカネがないことは素晴らしいことだ。建築家だって予算がないほうが良い建物を作る。創意と工夫、つまり独創は資源が不足しているところから生まれるのだ。

幸いなるかな、貧しきもの、です(笑)

■ 百名山=スタンプラリー? ツアー登山=おのぼりさん?

今回も21人からなるツアー客に会ったのですが、ガイドさんは個人登山者にとても気を使っていて、気の毒なくらいでした。1人で21人なんてねぇ…大変。

…が、やっぱりツアー客は迷惑だったです…のは…兎も角にもウルサイ。
おばちゃんたち、いい人(なんだろう)ですが「うわ~キレイ!」「素晴らしい」「来てよかった」な~んで団体になると声がでかくなるんだろうなぁ…まぁ女3人と書いて、かしましいと読みますもんね。そのまんまでした。

でも、ガイドさんとしてもどうしようもないよなぁ…。かといって、おばちゃんに言っても「えらいすんませんっ!!」と大声で返されて、逆にウルサイだけで後味の悪い思いをするだけで終わりそうだし…結局、距離を置くに限ります。

私も将来ああなるのかもしれませんし、バレエの友人が10人集まって飲み会などしようものなら、あの大阪でさえ、一番奥の個室に案内された上、ドアを固く締められていたくらいです(笑)。人間が悪いのではなくうるさいのが悪い。罪を憎んで人を憎まず(笑)?

何しろ私は山を歩くとき、自分の足音も立てないように、こ~っそり、そ~っとと歩いているのです。

そうしないとオコジョには気がつけません・・・ライチョウもたぶん出てこないでしょう。鳥とか見たかったらできるだけ気配を消して歩かないと…。その点、夫と私は存在感が薄い人というか…もともと目立たない性格なのでちょうどいいのです。

百名山はまるでスタンプラリーのようで、まったく価値を見出せません…やっている方ごめんなさい。

いや別に人がやるのにどうこうというような口出しをする気はありませんが…。

むしろ百名山をやっている人たちにお願いしたい…自慢話でこちらの時間を盗まないでほしいなぁ。

百名山やる方って山でお会いしたら、「剣登った?穂高登った?槍登った?」と、こちらが聞いていない山の話をしたがるんです。

「行ったことはありません」というと嬉しそうに、槍や穂高を語り始めます…。

でも、それも今南アルプスにいるときになんで…(汗)????

南アルプスに登っている人は当然、南アルプスには興味がありそうですから、これが同じ岩峰でも「鋸岳はね…」と 南アの北のほうにある岩峰にどうして自分が登るようになったのか?そういう話なら非常に面白く聞けると思うのですが… なんで版で押したように槍穂なのか???

こっちがそんな話を聞きたいかどうかもお構い無しに…。この2つの事実を付き合わせると、人を百名山へ動かす動機の合理的説明は… ”自慢をしたい”なんだな・・・(汗)

”自慢をする必要がある”=”自尊心に問題を抱えている”です。

かわいそうなので、聞いて付き合ってあげますが…(^^;)。押し付けられているよね?価値観…すごい!と言われたがっている。他者承認を必要としている。
こっちはすごいと思っていないのに…。無理やり言わせたところでどうするんでしょ?

おとどし、お茶を習いに行ったのですがそこの先生が「私はホントはすごいのよ」と…。
うーん、私の中ではホントにすごい人は自分で自分をすごいと言わない人なんですが…(汗)

それにしても日本にはこれだけ自尊心に問題を抱えた人があふれているってことですよね…。

みんなもっと他人を尊重しよう! 自分は承認されていないと感じている人が世の中多いってことなのです。

■ 他人任せの山登りなんて何が楽しいの?

同じ百名山でも自分の山登り、自尊心の危機から自慢したいがために登ったのでもなく、自分自身の内的必然性を抱えて、自分自身で”どのように100名山を登りきるか?”考えて登った百名山は大変興味深いと思います。

そんなストーリーなら聞きたいです。最初は必然的に易しい山から徐々に難易度を上げていくことになるでしょうし、なぜその山が百名山に選ばれたのか知ってもいるでしょう。深い知識からしか数珠繋ぎは出来ないと思うからです。

そういう山登りは自慢話にならないはずです…。相手のレベルを見て、登るべき山をアドバイスできる。

私は北八ケ岳でコケを観察したとき、学者さんに光岳を奨められました。コケが素晴らしいのだそうです。だから自分の「いつか行こう山リスト」に入っています。そして空木岳。ココも上の景色が凄く良いのと小屋が親切なのを伝え聞き、いつか行きたいリスト入りです。

今回は鳳凰三山に行ったら、早川尾根に足を伸ばしたくなり、ぜひ早川小屋に泊まってみたくなりました。親爺さんが頑固で古風ならしい。北岳に行ったら両俣小屋に行きたくなったし、両俣小屋に行ったら仙塩尾根を歩きたくなりました。鳳凰三山は、夜叉神峠にきていたからだし、夜叉神峠に来たのは、初心者でも歩ける
雪山だからです。

そういう風に行く山を決めているので… なんで次の行きたい山がないのかワカラナイ…。

実は他にも番外編があって、両俣小屋の左俣コースは現在崩落で通行不可なのですが、だったら隣の2436のピークに登って尾根伝いに行けばいいんじゃないか?とか考えてしまうのです…。まぁ近所のウラヤマならともかく、大山岳地帯で地図読みする資格はないのですが…。それこそ予想外の事態が起きてケガをしても誰も見つけにきてくれませんから…。でも崩落しても沢沿いの道なら沢歩きが出来ればそこは歩けるってことになるじゃん、と思ってしまいます…。

夫は西穂に登りたがっています。なぜなら、独評までは行けて、そのときチラッと見たロープ持参のオジサンがとってもかっこ良かったからです。行きたい理由なんてそんなんでいいと思うのです。

■ 意味があるツアーの使い方

思考停止になってしまうツアーは必要ないが、スキルアップのための機会は必要だと思います。

夫は西穂に行きたいので…基本の岩場のこなし方講習は必須科目ですね。となると講習の効果を最大化するには、適当に近場で岩場がある山に自分達で行ってみておかないと行けません。漫然と講習を受けても無駄になるだけなので。

もし、岩登りの山でコケて、危うく頭を打つところだったら…スリルにゾクゾク…ではなく、私だったらクライミングジムに通いつめて絶対に同じシチュエーションでコケない自信をつける努力をしますね。

なぜなら、それはガイドさんがいなければ、自分は危なかったと言う意味であり…「君、あぶないよ」と神様が親切にも教えてくれたってことを意味しませんか(笑)?

ガイドさんがいたから登れた山は自分の実力の山じゃない。いくら難かしい山に登っても実績ではありません。

意味があるとすれば、明日へつなぐ山。経験の前取り。どのような技術が必要で自分に何が欠けているのか?

それを安全に知るために高い登攀技術を体験させてもらう。そうすると一気に自分の課題がクリアになり、自分の限界点を越えるためには、今何をしなくてはいけないのか?明らかになる。

ただの数自慢のための山なんて…。いくらたくさん登っても、自力でもなく、リスクもとらず、限界を押し上げてもいない。そんな試行錯誤がない山経験なんて…
100%成功するに決まっている予定調和の世界。
 
所詮、良い学校を出て良い会社に入って、課長から部長になって郊外のニュータウンに一戸建ての家を買って子供2人で定年退職と同じではないか?

敷かれたレールの上をいくら先に走っても終点はみんなと一緒。

そんなの先に行くまでもなく分かりきっていることなのに、なぜ急ぐのか?ただ他人と自分を比較するために?

他人と自分を比較する必要は昇進だとか、就職だとか、受験のとき意外いらないのだ。それだって切り取られた一時点の比較でしかない。所詮比べられないものを比べても労力の無駄だ。

それよりも重要なのは、自分に嘘をつかないということ。 

■ 山の楽しみは1粒で3回おいしい

山の何が楽しいって、行く前も企画でアレコレ考え、行っても反省、帰っても反省、と合計3回は楽しめるところです。

山へ行くと、必ず「家にいるとき○○を調べておけば良かったね~」とか出てきます。

例えば今回は稜線で風に吹かれて、めがねを飛ばしたおじさんのめがねを探してあげました。おじさんは結局自分で見つけたのですが、片方レンズが外れちゃってた。私がテープを出してあげました。登山暦2年にして、ずっと持っているだけで出番がなかった緊急キットの出番出現。

夫も良くめがねを飛ばされるので、めがねの人は古くても良いからめがねの予備を持て、という天からの忠告ですね。ド近眼でメガネがないと絶対に歩けません!! かといってメガネだけは人のを借りるわけにも行きません。

そして、帰宅してからは、大型プラズマテレビで写真会♪

「筋肉痛はどう?あの下り、膝にこなかった?」「いや僕、膝はだいじょうぶだけど、足首がなんかヤバイよ」 「やっぱりピストンのほうが道が上等な分、楽かな?」と企画の成否を吟味できる点です。
「ここは暑い日はバテるから秋にしようよ!」とか、「この道ならむしろ冬が楽だね」とか、「やっぱり2日目は荷物を少し持ってほしいな」とか、「ラーメンが予備食でも水がないと役にたたないね」とか。

そして、やっと下界の美味しいものにありつける~!とばかり「何食べたい?」って聞くと必ず炊き立てのご飯に目玉焼きとかの簡単な食事…疲れて準備する気になれないってのもありますが・・・人間、基本的には本当に必要なものはほんの少しなんだなってことを実感するひと時でもあります。

お風呂と炊きたてご飯があれば何もイラナイ…は長くは続かないのですが…
そんな食事をしながら、やっている山の反省会からは…次の山行が出てくる…出てくる限り、”山は続くよ、どこまでも♪”です(笑)。


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