God meant it for good

2013-07-05 17:10:59 | 魂と心の成長

今日はホントに暑いですね!飽和した空気が今にも水滴に変わりそうな具合です。

さらに参院選の選挙カーがうるさくて、イラっちスイッチがONになりそうです… その上、さっきから新聞社の電話調査がしつこく電話を鳴らしてくるんです!!私も調査会社に居たのでバイトで電話をかけている人には気の毒ですが・・・そんなのネットでやればいいのに・・・

週末に行きたいなと思っている後立山…大荒れ情報あり。うーん(汗)

なんだか毎週末、荒れ情報つきなんですよね…キタダケソウを見たいと思って見れていないので、行きたいのですが、人が多い山はゲンナリなんだなぁ… こんな天気の時はさくっと方角を都会側に変更するのがいいのかもしれない・・・と、ギーターの勉強会のお知らせが来たりして、会いたい指導者に会えないのを残念に思ったりもするのですが…わが身は一つ。どれかに狙いを定めないといけません。 

週末、山の不快指数かなり高そうです・・・。

■ エジプトのヨセフの話

聖書の話はご存知ですか?私は実は旧約には詳しい。子供の頃、聖書を読みこんだからです。新約はあまり好きになれず、旧約が好きでした。

旧約聖書のエジプトのヨセフの話は有名です。http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/11yosefu.html

末っ子ヨセフは家族に売られるのです。奴隷として。そして奴隷として働いた家で、奥様に誘惑され、それをはねつけると、今度は濡れ衣を着せられ、牢獄に。しかしそこで、王の夢を解き明かし、最終的には宰相まで上り詰めます。

大雑把にいうと、不幸な環境からのサクセスストーリーです。東洋に例えると、人間万事塞翁が馬に似ています。

何が転じて幸いとなるか分からない、という話です。

人間の幸不幸なんてものは、一個人の視野で見た場合の幸不幸であって、大きな目で見ると、禍は福と転じ、その人の最も善い性質とつながる、と言う寓話です。

「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」

が大変有名なセリフです。あなたがたというのが兄弟というのが痛い話です。

Do not fear, for am I in the place of God. As for you, you meant evil against me, but God meant it for good, to bring it about that many people, should be kept alive, as they are today.

人はevil(悪)を行いますが…それさえも、神の采配(摂理)の一部で、それをGood(善きこと)にしてしまう…という意味の寓話です。

だだ、災い転じて福となる、というだけでなく、この話には、その先があります。

■ ミッションの発見

その人の使命(平たく言うと生きがい、生きる理由)というものは、もっとも苦しい時代にその種が撒かれている、というのがそのそれです。

人にはそれぞれカルマがあります。カルマと言うのは、その人が今世で乗り越えるべき課題ですね。前世からの宿題です。ヨガでは、人はそのカルマを乗り越えるのにもっとも適した親や境遇を選んで、生まれてくるのだ、としています。乗り越えるのに失敗すると、また次も人間に生まれる。カルマを乗り越えれば、もう二度と人には生まれ変わりません。人生とはカルマを乗り越える修練の場である、というのがヨガの見かたです。なので、カルマにおいてすべての人は平等、です。どんな人も自分の課題に取り組んでいる、という意味においては平等なのです。まるでボルジムのようですね(笑)

ただ多くの人の問題は、何が自分のやるべきことなのか(カルマは何か?)を見つけることのほうで、こっちに長い時間がかかってしまいます。見つけたころに人生タイムアウトというのはよくあるパターンで、また人間に生まれなおさなきゃならない。

(ちなみに惑星なんとか号に行けるらしいです、カルマ卒業すると・・・瞑想により透視されていますがそんな話になってしまうとニューエイジカラーが強すぎて、良くわからない世界になりそうです・・・汗)

その人の使命やこの世界でやるべきこと、平たい言葉でいうと”生きる意味”のようなものは、その人の身に起こった、もっとも不幸な出来事に端を発する、ということが、ミッションの発見のヒントとして与えられています。あとは、ワクワクするものですね。

感情を羅針盤にせよ、とよく言われます。

人は…私自身も含めて… 自分の身に起こった良いことは、自分の努力に起因すると結論しがちです。たくさん頑張ったから、というわけですね。特に世間で認められる成功者たちは、努力の価値を大きく評価する傾向にあることは心理学でもよく知られています。

でも、真実は、身に起こった良いことも悪いことも、それは自分のコントロール外の存在の采配なのかもしれませんね。私だって、実は超ラッキーガールなんです。 大学に進学した時も受験勉強しなかったしな。なんか受かるの当然と思っていましたし、アメリカに行くのも先輩の伝手ですがまったく知らない先輩でした(笑)まぁアメリカは行くまでそれがアメリカのどこなのかさえ知らずに行ったんです(笑) 

物事がうまく行くときは、なにがしか、不思議な力が働いてうまく行く。もちろん、アメリカでは一日りんご一個みたいな生活の切り詰めようでしたが、別になんてことなし。いろいろ苦労はしましたがそのプロセスは楽しかったんですよね。まぁ高校時代は最悪でしたけど。

社会人になってからもそうで、自分のことをわらしべ長者だと思っていました(笑)

自分の運命を自分で切り開いていると考えていることこそが人間の傲慢と言うものかもしれません。

■ 特定の心理状態 → 行動 のパターンは個人による

・子供が3人もいるのにぜいたくな暮らしを改められなかった母は子供たちを愛していなかったのだろうか?

・自分の一人娘が子供を三人も抱えて苦労していたら、普通は助けたいと思うのではないだろうか?そうしなかった祖母は孫を本当に愛していたのだろうか?

・子供を3人も儲けたのに、子供たちと会おうともせず、養育しようともしない父親は、つまり子供たちを愛していないのではないだろうか?

などと 色々な苦悩がありました。まぁ大人になれば、愛情には夫や恋人の存在で充足しますし、親の存在感は希薄になり、だんだんどうでもよい問いになってきて(^^;)、これらの疑問に答えを出すこと自体が、あまり意味を持たなくなります。なので放置。

でも、最近、当時の不安な心理状況をほうふつとさせる事柄が起こる。すると、心理状態的に類似した状態に置かれると、行動までも同じものをとりそうになるんですね。 人間とは心理のメカニズムにおいて、条件反射の動物のようです。

さらに、ある心理状態 → 起こす行動 は個人に特有の行動のようです。経験が特有だからですね。だから、ある行動がもつ意味は、その人の人生を紐解かないと正確には分からないんですよね。推測はできますが。

■ 愛情は行動と一致しない

大人になって人間観察に習熟してくると、発見したのは、愛情って、人によって表し方がそれぞれらしいってことです。

夫にとっては、私のそばでパソコンをいじっているのがもっとも心安らぐらしいですし…、愛は惜しみなく奪うものと言いますが、それは必ずしも真理ではないのかもしれませんね。

愛情の度合いが何で図れるかは人それぞれ。なにしろ、私なんて、夫を放置して山小屋に働きに行くんですからね(笑) 

そもそも愛情は無限にあるものなので、量らなくても良いのかもしれません。山を見ていると、あふれんばかりのグリーンは愛情そのものだと思えるんですよね、直観的に。愛のチャクラのカラーはグリーンですし、地球は溢れんばかりの再生力を持つのが愛のメタファーなのかもしれません。受け取ることも与えることも恐れなくて良いほど豊か・・・。以前瞑想した時に、ハスの花が次から次に咲く姿が浮かんだのでした・・・枯れることのない泉のように。

おそらく、神は個人のもっともすぐれた才能を、困難を克服することによってさらに磨かれるように仕組んだはず。

ということは、それは何に該当するか?

というと、困難な状況におかれた場合に、危機的状況を潜り抜ける発想力こそ、私の無二の才能なのかもしれないなぁと思ったりしています。

というのも、ストレングスチェッカー(『さあ才能に目覚めよう!』は安直なタイトルが微妙に手に取りがたいですが、欧米では非常に有名な本です。強みの発見ツール)では私の最も強い強みは、戦略性なんですよね。 http://blog.goo.ne.jp/osakahensyu05/e/af1e3f4daadcfce09ee1bf1c309f617c

ごちゃごちゃした中からもっとも良い道筋を見つけ出す力。これは何で育まれたかと言うと、自分の人生をなんとかした、スィートセブンティーンの頃の私だと思うんですよね・・・ 強い子だったと言われますが、強くはなくて、第三の目が開いた子だったんだろうなぁ・・・

 あ、今気が付きましたが、神が愛情を表すやり方も、一時はevilに見えたりする・・・but he meant it for goodですね~


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