子供の頃、私の疑問は
「親になるということは、自分の人生すべてを、家庭と子供にささげるってことなのに、なんで自分の親たちは違うのだろう?」と言うことでした・・・。
私にはまだ子供はいませんが、子供がいたら自分の人生は2の次と今でも思います。子供の幸せが自分の幸せ。
登山に例えると、単独登山ではなく、パーティ登山になる。
でも多くの人にとっては、家族を持つことは、パーティ登山なのに、そうではない。
特にリーダーが男性の場合、リーダーの自己顕示欲の方がパーティ全体の利益より勝つ。それだけ、男性という生き物にとっては、パーティ全体の利益を自分の自己顕示欲よりも優先させるのは本当に難しいことなのだ、ということですね。
自己顕示欲の少ない分だけ女性はリーダーの資質としては楽だということです。自己顕示欲に惑わされない判断ができる。
そのように、自己顕示欲を満たされることを根本的な精神的ニーズとして持つ男性という生き物をうまくリーダーとして活用するには、けっきょく本人の登りたい山とパーティが登りたい山が一致しないといけませんね。それが一番難しいところ。
私の父と母の場合は、父親は都会に出て一旗揚げるという山を登りたかったのに、母親は地方都市で子だくさんの専業主婦として生きるという山を登りたかったんだな。登りたい山が全然違う。それでパーティは崩壊です。
私は父親を知りません。6歳くらいのときから、父親は家にいなかったし、その前も夜の仕事だったらしく昼間は寝ているような感じでその部屋は近づいてはいけないと言われ、むしろ気味が悪く、夜は当然留守がちでした。8歳の頃にやっと完全に離婚したので、まったくの父親不在に。弟は2年遅れ、妹は4年遅れですから、弟や妹にとっては、私にとってよりもさらに父親は存在感のない存在でしょう。そもそも顔も覚えていないのです…ただ使える部屋が増えてよかった。
というわけで、そもそも最初から父親自体の存在感が非常に希薄だったので、父親が居なくなるということは、子供心に特にショックでもなんでもなく…いや最初からいなかったですからねー。
とりあえず、皿が飛び交わないほうがよっぽど良いという感じでした。子供は激しい感情のやり取りが大嫌いなのです。大声も。大体今だって一番覚えているのは、皿が飛び交ったってことですから(--;)
大人は事実ではなく予断で判断するので断っておくと、親の離婚はこのような状況の場合、子供にとって悲しくはないです。ただ、皿が飛び交うような精神的虐待をしてしまうよう親なら、いない方がマシなので、実際いなくなって自閉症が治り、成績が向上したくらいです。
親がいなくて残念だったと思う瞬間は、会社の同僚など、他の年配の人が、自分の娘の出産や結婚について幸せそうに報告してくれるときです。私には、私が幸福な結婚をし、幸せな人生を歩んでいることを自分のことのように喜んでくれる人がいない。そういう人は居たらよかったな、と思います。親とは自分の幸福よりも子供の幸福を喜ぶものだと思うので、そういう人を見ると私が幸福になることで喜ばせてあげられる人がいないのを残念に思います。
さておき、まぁ話を子供のころに戻しますと、そもそも感情的なやり取り(夫婦喧嘩など?)が子供の心の健康には負担だったので、親の離婚は特に私のメンタルヘルスには悪影響は及ぼしませんでした。むしろ夫婦げんかがなくなって良かった。子供には経済力なんてどうでもいいですからね。愛されるかされないかが問題なだけで。
子供はさらに適応力があり、父親がいないならいないで、その地位を埋める人を見出すのです。私は学業で優秀だったので先生たちにはとっても可愛がられたので、父親から愛されるニーズは他所でまかなってしまったのです(笑) あるいは友達の家に行くと自宅で仕事をしている父親がいたり、特に子供好きな父さんたちは自分の子供のついでに遠出に連れて行ってくれたりしましたし…。さらに私は自己完結型のタイプだったのもあって本の世界に没頭できるほうが幸せでした。
それより、何より、高校生くらいから疑問だったのは、父親は私たち3人の子供を愛していなかったのだろうか?なんで離婚してしまうような女性との間に3人も!!子供ができてしまったのか?!ってことでした。
だって子供ができるかできないか、は運命ではなく、個人の選択肢でしょう… 出来ちゃった婚なんて言葉がありますが、事実は”作っちゃった婚”ですよね(笑) 「作らなきゃできないわ、そりゃ」って感じ。
ってわけで、まぁ、私は女性なので性衝動に関する男性の気持ちはわかりませんが、結局は父親については、「んー?わかんないなぁ」ってくらいで、長らく彼の心を理解することは保留になっていました。
でも、最近わかってきた。いやわかってきたとは言えないが、どんな状況で親になってしまったのかが、勝手な想像で、できるようになってきた。
母からの多少一方的な情報では、父は地方都市で暮らすことがイヤで大都会に出たのだそうです。父は地方のさらに片田舎の小さな町の、代々続いた伝統がある神主の家系の出です。ボンボンですね。その小さな集落では一番優秀。と
言っても、井の中の蛙で、地方大学を出たくらいにすぎませんが、それでも都会でチャンスを試したいという気持ち、野心は、私にも分からないでもありません。私は大いに打って出るべし!と思うので。男はチャレンジしてなんぼでしょ。
でも…そうだったら、地方の片田舎で家族を作る前に都会に出るべきだと思うんだけどなぁ…。都会で家族を作っていれば八方丸く収まった話。
まぁ人生の物事の順番的にちょっとおかしかったから、子供を三人も孕ませた妻を離縁する、ってことになったんですが、そのことについて父には罪悪感は一切ないようです(汗) 子供に会いたい、ってのもないらしい(汗)
俺には俺の人生がある。まぁホントにありますけどねぇ… 子供を持つ前までは。
そういうのはたぶん、地方都市で生まれ育ち、周囲より優秀だったりして、大事に大事に育てられてしまった人には理解できないんですよね…。親も周囲も、期待をかけ、子供一番!で生活してくれます。その子供一番!だった少年(少女)は、いつしか青年になり、大人になり、それでも子供一番!つまり自分一番!の価値観からの転換ができる前に結婚して子供を持ってしまう。地方都市は結婚が早いのです…大学卒業したら結婚する以外することなさそうです…(汗)母も父も20代前半で結婚していますし。
母はその小さな片田舎でのトップお嬢様だそうです。資産家の家で、そう遠くもない親戚の銅像まであるそうで、一度見に行ったことがありましたが・・・まぁ私には他人でした。まぁとりあえず一番のお嬢様と一番の優秀な若者の結婚だったそうで、結婚式は盛大だったのだそうです。想像するに、そういう状況では、父にとってはその母を娶ることは、小さな集落で、「おいらが一番!」と高らかに戦利品を掲げるようなことだったのでしょう…だから彼は、”一番宣言”をしてから、その先に進んだのです。地方を捨て、都会に勝負を打って出る、というその先のステップに。
ただ…家庭を持つということは、パーティ登山だったんですよねぇ…。 単独行を腹いっぱいする前にパーティ登山だから、その不自由さに納得がいかなかったんでしょうねぇ。
ただそういうことなんだなぁとこちらが勝手に想像しているにすぎませんが。
リーダーとして自分がすべきことを客観的に判断する力がない。そういう人は、まだリーダーの資質が十分でないのです。
■ 感謝が尺度であること
家庭によって、夫が家庭のリーダーの場合と、妻がリーダーの場合があると思います。
誰がリーダーかを男性はプライドの問題にしてしまいがちですが、これは単に生まれつきの資質の問題のようです。
演繹思考の人、鳥瞰図的に物事を大きく把握してから細部に落とす人は、リーダー向きの思考回路です。逆に帰納法的思考が得意で、虫の目的な思考がある人はプレイヤー向きです。それはどっちが上ということではなく、単なる役割分担なのです。オーストラリアはその点態度がはっきりしていて、マネージャ職の給料はプレイヤー職と同じです。
というわけで、我が家は、私がリーダーです。その登山にピンチがきた。夫の転勤です。
人生は、私と夫のパーティ登山…そのリーダーとして判断した結果、私自身は失職しても、結婚と家庭を維持するほうが重要だと判断したので、今、私は無職です。新しい環境への適応力と言う意味でも夫が仕事を手放すより、私が手放す方が合理的ですし。
この境地に至るには私は1年近くを要し、メルボルンまで行って納得しました。
人生にはわかりやすいピンチがいっぱいあります。たとえば男性なら閑職に追いやられるとか。
私のピンチは失職で、閑職に追いやられた男性の境遇とそっくりでしたので、そういう場合にピンチをチャンスに変える逆転の発想としては常套手段の、「閑職(=時間)を利用して勉強(充電)時間に充てる」を実行しようという目論見で行った海外の大学院留学でしたが、行ってみると、そこで教えられているようなことはとっくの昔に身に着いたようなことばかりでわざわざメルボルンくんだりまで行って復習する必要はないのでした…いやあれは失敗だった。失敗もやってみないと失敗とは分からないからいいのですが。
失職する前は、瞬間最大風速ではありますが、年収で700くらいを稼ぐこともできたので、一般的な働く女性の収入としては悪くはないと思います。そこからの転落(?笑)は、最初から働く女性になりたくない人が多い一般的な感情からは、どれくらいの墜落事故なのか?はちょっと理解が難しいと思います。妻が失職するなんて、ただつまづいて膝をすりむく程度に一般的には思えると思いますから。でも、私には600m転落したくらいの大事故です。なにしろ、私は人生の前半はそれだけにかけて生きてきたのですから。自立。それは重要な価値観だったのです。
私は働いて才能を社会に生かすことは当然だと、収入の多寡はその貢献の具現化だと思っていました。いつも上司のために仕事をしているのではなく、ロボットの開発部にいたときはロボットの神様に仕えているつもりでしたし、翻訳をしているときはコミュニケーションの神様に仕えている気でした(笑) こういう感じ方は稀かもしれませんが、正しいと思います。今ヨガを教えているときだってヨガの神様に仕えているつもりでヨガを教えています。まぁ趣味に過ぎない登山だって山の神様にこっちにおいでと言われているから行っているんです(笑)。
それはさておき、結局、一般的な雇用労働者として仕事をすることは、私には天職ではなかった。だから、今の私がここにいるんですよね。
収入の多寡で、その人の生き方も、人となりも測ることはできないし、社会貢献の度合いさえも量ることはできない。
それでも、人はそういった外部の要因で図ろうとします…それが判断する罪。先入観。
私たちは誰も相手がどんな困難を潜り抜けて今があるのか推し量ることはできないのです。大金持ちは友達が一人もいないで孤独に生きているかもしれません。人気者は自分の富や美貌だけに人が群がっていると知っているのかも?自由に見えても自律という苦労を背負っているかもしれないし、安定した仕事について成功への道を歩んでいるように見えても退屈と言う二文字も背負っているかもしれません。
人生の成功は、外部的な要因からは決して計ることができないのです。名声も、地位も、美貌も。
本人が人生にどれだけ幸福を感じるか?つまり、感謝を感じるか?それだけが尺度です。
感謝を感じられるとき、人は幸福であると、そしてその人生は成功である言えると思います。
それを教えられた。本当にすべての出会いは神の贈り物ですね。
今日はこのことに気が付いたために、普段より早朝に目覚めたのでした。
それとタイミングを同じくするようにしていただいたコメント。シンクロニシティです。私の直観が正しいことの証。
「変化の起点になるコト」が好きで、いつでも読めるようにブックマークしています。
…思い出しました。私も年中のときに保育園から自宅へ歩いて帰ったことがありました。
ごく自然に。帰りたかったので(思い出すと笑えます)。
コメント、こちらこそうれしかったです。