日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

十年、経って

2021-03-12 15:49:02 | 日常
11日は、テレビでずっと震災関連の話題が流れてて。

こんなに復興しました、って、美しい景色が流れたり、してる。

海岸線を、どこまでも走った、昔むかし。

起伏に富んだ三陸海岸は、リアス式と呼ばれ。
大海嘯の言い伝えは、幼かったあたしも、確かに聞き及んでいた。
母方の大きい爺ちゃまは、まだ若かった頃、岩手県の田老という所で大津波に遭って。
そのとき、大きな地震のあとの引き波がひどくて、みんなで浜に出て魚や貝を捕って喜んでいたところに、大きな津波が襲いかかり。
たまたま北海道の親戚んちに遊びに行ってたおなご衆(姉や妹たち)だけが生き残り。
爺ちゃまは、肋に木の枝が刺さったけど、なんとか助かり、自分の母親を砂の中から掘り起こして助け。
そこらここらの木に、引っかかってる死体の山をどうすることもできず、必死に山に走って、揺れ返しから逃れた、と。
何回も、聞いた。
地震の後の引き波が大きかったら、まず山に逃げろ。魚なんか、ほっておけ。
大きく揺れたら、井戸を見ろ、濁っていたら、そこには津波が来るから、高い場所に逃げろ、一刻も速く、と。
聞いていた、はずだったのに。
いつの間にか遠い言い伝えになって、おとぎ話のように忘れられていた、のだと思う。
それとも、岩手の隅っこの方の津波情報は、仙台の方にまでは伝わらなかったのだろうか?

今。
実家までの道ですら、もう、知らない風景になっているんだよね。
震災の時に生まれてなかった子たちも、どんどん育ってきていることだし、新しい景色がこれからの故郷になっていく、のだろう。

心意気と人情のあつさ、海産物の美味しさ、だけは、むかしと変わりないよ、って思ってる。
宮古のタコ飯は、んまいんだよ!!しかも、安いんだよ~^^
大津波で流されてしまった民宿に、妹と一緒に泊まった記憶だって、まだ鮮明に「ある」というのに。
民宿の親父さんや女将さんたちと、夕飯食べながら笑い合った記憶だって、ここ(胸)に、残ってるのに。
いま、いろんな、いろんな人たちが、もう、この世には居ない。
震災の後、必死で走ったいつもの道。見たことも無い、がれきの山のあいま。
車を降りて、よじ登った防波堤の「向こう側」を目にした瞬間のショックが、そこだけは忘れたいのに、消えてくれない。

だけど。

きっと、忘れたくないたくさんのことたちは、いろいろとからんで「ある」必要性なのだろうもの、まとめて忘れないのが良いのだろうね。
十年経ったから、って、何かの線引きができる、わけでもないし。
無理に消そうとしなくても、きっと、いいのだと、思うよ。

震災に対する心構えは、忘れずに、居て欲しいな。
ひとりひとり、みんなが、さ。
・・・・と、一番アブナそうな、あたしが、言う。
えへ。

みんな、元気で頑張ろうね。
ずっと、忘れないよ。
朝焼けの写真を、貼っておくね。
朝は、いつでも、希望を運んできてくれるから、さ。

悲しみにくれる人にも、希望の光が、届きますように。
太陽の下、あたしたちは、誰も、ひとりじゃない、よ。
みんな、つながってる。









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