昨日のこと。
ポストに、恒例の喪中はがき。
あぁ、もう、そういう季節だわねぇ、と、何気に手にとって。
どなただろう?と裏を見たら、おじいちゃんの従兄弟が、八月に亡くなった、というお知らせだった。
喪中につき、年賀欠礼いたします。
詳しいことは何にも書かれていない、ありきたりのはがき。
まだ、72歳。。。。早すぎるご逝去に、しばし呆然として玄関で立ち尽くす。
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兄弟の多かった大おじいちゃまは長男で、その三番目の弟の息子さん、が、今回亡くなられたTちゃん。
大学に進学して、初めての都会生活におどおどしていたあたしを、イッショウケンメイ元気づけてくれてた、東京在住の彼ら。
東京には、大じいちゃまの兄弟たちがたくさん住んでいて、よく夏休みとかになると、あたしんちに遊びに来てた。
しょっちゅう顔を見ているから、「離れて住んでいる家族」みたいな感覚だった。
かれらもまた子沢山で、おじいちゃんの従兄弟はとこは、すごく大勢存在してた。
しょっちゅう、「激励会」と称して、あたしを引き回してくれた。
だれか、二人か三人都合をつける、なんて、朝飯前。
おいらはこの前行けなかったから、今回は飲むぞ~!とか、ボクだって、参加するんだから!とか、理由はいくらでもつく。
問題は、あたしが主賓で、毎回引っ張り出される、というところ、だったんだが^^;;
もう、彼らは社会人で、大人の男の雰囲気で、田舎からポッと出てきた小娘を、まるでお姫様みたいに、大切にして、とっても可愛がってくれた。
おじさんたちからは、疎開のときお世話になった本家の跡取り娘だぞ、というので、下にも置かぬもてなしを受けたもんだった。
社会人のつきあい、って、どうして、飲み会ばっかりなんだろう?とか思ったが。
なにしろ、「ボトルを入れてあるお店だと、安く飲めるから」というのだから、そうなのか、と、単純なあたし。
寒い青森では、付き合いはお酒、っていうのは当然のことだったので、別にヘンだとも思わず。
苗字で呼ぶと、みんな同じなので、名前で呼び合う。
さん、とつけたら、「おいおい、水臭い呼び方、するなよぉ。」
ちゃん、でいいよ。
ということで、ずっと、ちゃん付けで呼び合っていた。
ずっと年上の人たちとも対等に話し合う、家族と同じようにきさくであっけらかんとした付き合いだった。
そのころ、件のTちゃんは、結婚したばかりで、三回~四回に一回くらいしか顔を見せなかったが、悪いいとこたちは
「なんとか、新婚さんの邪魔をしてやろう♪」とたくらんでいる節もあって、しょっちゅう電話で呼び出していた。
奥さんに悪いよ、呼ばないでいいよ、と言うと、「あいつだけ、従兄弟会からのけ者にするのはかわいそうでしょ?」と、しれっとして言う。
わっるいヤツらだなぁ、と、苦笑してたが、そのうちに勉学に本腰をいれなければならないから、と、あたしも三回~五回に一回くらいしか行かなくなり
連中は、飲み会の主賓なんかとは無関係に、相変わらず楽しく飲んでいたようだった。
ま、元々から、そうだったんだろうな、と、見えたよ。^^
いろんな話をした。
かならず複数で、集まった。
「抜け駆けはダメ。平等に。」それが彼らのルールだった。
あたしにとって、おじいちゃんの従兄弟会は、都会そのものだった。
さまざまな職種の彼らは、情報交換したり、知恵を出し合ったり、とても明るく楽しそうで、活気にあふれていた。
田舎の、山や川とはかけ離れた、きらびやかな世界だった。
時間の流れがとてつもなく速く、のんびりやのあたしは、おろおろしたり、あっけにとられたり、していた。
青森に戻ってからも、連中の誰かが、数年に一度は、旅行のついでに、と、立ち寄ってくれた。
なつかしい話に、時を忘れた。
数年前に、Tちゃんのお兄さんが来てくれたとき、「みんな、元気してる?」と尋ねたら
「みんな、なんも変わりないよ、少しは大人になれ、っちゅうのよ、ねぇ(;´▽`lllA``)」
と、笑っていた。
もう、居ないんだなぁ。。。。一番下の弟だったのに。。。。
あたしの中でのTちゃんは、笑った顔、ばかり。
いつも、ひょうきんなことを言っては、みんなを笑わせてる、楽しい人だった。
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お兄さんたち、寂しいだろうなぁ。。。。
布団に潜っても、なつかしさと悲しさに、なかなか寝つけなかった、昨晩でした。
ご冥福をお祈りします。。。。(-人-)
ポストに、恒例の喪中はがき。
あぁ、もう、そういう季節だわねぇ、と、何気に手にとって。
どなただろう?と裏を見たら、おじいちゃんの従兄弟が、八月に亡くなった、というお知らせだった。
喪中につき、年賀欠礼いたします。
詳しいことは何にも書かれていない、ありきたりのはがき。
まだ、72歳。。。。早すぎるご逝去に、しばし呆然として玄関で立ち尽くす。

兄弟の多かった大おじいちゃまは長男で、その三番目の弟の息子さん、が、今回亡くなられたTちゃん。
大学に進学して、初めての都会生活におどおどしていたあたしを、イッショウケンメイ元気づけてくれてた、東京在住の彼ら。
東京には、大じいちゃまの兄弟たちがたくさん住んでいて、よく夏休みとかになると、あたしんちに遊びに来てた。
しょっちゅう顔を見ているから、「離れて住んでいる家族」みたいな感覚だった。
かれらもまた子沢山で、おじいちゃんの従兄弟はとこは、すごく大勢存在してた。
しょっちゅう、「激励会」と称して、あたしを引き回してくれた。
だれか、二人か三人都合をつける、なんて、朝飯前。
おいらはこの前行けなかったから、今回は飲むぞ~!とか、ボクだって、参加するんだから!とか、理由はいくらでもつく。
問題は、あたしが主賓で、毎回引っ張り出される、というところ、だったんだが^^;;
もう、彼らは社会人で、大人の男の雰囲気で、田舎からポッと出てきた小娘を、まるでお姫様みたいに、大切にして、とっても可愛がってくれた。
おじさんたちからは、疎開のときお世話になった本家の跡取り娘だぞ、というので、下にも置かぬもてなしを受けたもんだった。
社会人のつきあい、って、どうして、飲み会ばっかりなんだろう?とか思ったが。
なにしろ、「ボトルを入れてあるお店だと、安く飲めるから」というのだから、そうなのか、と、単純なあたし。
寒い青森では、付き合いはお酒、っていうのは当然のことだったので、別にヘンだとも思わず。
苗字で呼ぶと、みんな同じなので、名前で呼び合う。
さん、とつけたら、「おいおい、水臭い呼び方、するなよぉ。」
ちゃん、でいいよ。
ということで、ずっと、ちゃん付けで呼び合っていた。
ずっと年上の人たちとも対等に話し合う、家族と同じようにきさくであっけらかんとした付き合いだった。
そのころ、件のTちゃんは、結婚したばかりで、三回~四回に一回くらいしか顔を見せなかったが、悪いいとこたちは
「なんとか、新婚さんの邪魔をしてやろう♪」とたくらんでいる節もあって、しょっちゅう電話で呼び出していた。
奥さんに悪いよ、呼ばないでいいよ、と言うと、「あいつだけ、従兄弟会からのけ者にするのはかわいそうでしょ?」と、しれっとして言う。
わっるいヤツらだなぁ、と、苦笑してたが、そのうちに勉学に本腰をいれなければならないから、と、あたしも三回~五回に一回くらいしか行かなくなり
連中は、飲み会の主賓なんかとは無関係に、相変わらず楽しく飲んでいたようだった。
ま、元々から、そうだったんだろうな、と、見えたよ。^^
いろんな話をした。
かならず複数で、集まった。
「抜け駆けはダメ。平等に。」それが彼らのルールだった。
あたしにとって、おじいちゃんの従兄弟会は、都会そのものだった。
さまざまな職種の彼らは、情報交換したり、知恵を出し合ったり、とても明るく楽しそうで、活気にあふれていた。
田舎の、山や川とはかけ離れた、きらびやかな世界だった。
時間の流れがとてつもなく速く、のんびりやのあたしは、おろおろしたり、あっけにとられたり、していた。
青森に戻ってからも、連中の誰かが、数年に一度は、旅行のついでに、と、立ち寄ってくれた。
なつかしい話に、時を忘れた。
数年前に、Tちゃんのお兄さんが来てくれたとき、「みんな、元気してる?」と尋ねたら
「みんな、なんも変わりないよ、少しは大人になれ、っちゅうのよ、ねぇ(;´▽`lllA``)」
と、笑っていた。
もう、居ないんだなぁ。。。。一番下の弟だったのに。。。。
あたしの中でのTちゃんは、笑った顔、ばかり。
いつも、ひょうきんなことを言っては、みんなを笑わせてる、楽しい人だった。

お兄さんたち、寂しいだろうなぁ。。。。
布団に潜っても、なつかしさと悲しさに、なかなか寝つけなかった、昨晩でした。
ご冥福をお祈りします。。。。(-人-)
もうすぐ、師走だもんねぇ。。。そしてまた、新年明けまして、って言うのよね^^;;
毎日の積み重ねは、そんなに変わりなく過ごせてきているのに、と。
兄弟、多かったから、ね。。。末っ子が最初に、って、嫌だろうねぇ。。。。みんなに、「可愛がってた記憶」があるんだもの。
奥さんだって、悲しいでしょ、心細いでしょ、新婚時代、引き出してごめんなさい、もっと一緒に居たかったでしょうに、と。。。
きっと、あっちに行っても、みんなを笑わしてる、気がする。
それが欠けた分、こっちは余計に寂しさがつのる、よ、ねぇ。。。
年上より、年下が先に逝くと、よけい悲しいだろうね。
暖かい思い出があると、また一層悲しいね ……
楽しい思い出を心に持つことが、Tさんの供養かもね。
T さんのご冥福をお祈り致します。