これから始める、と思って、いくつか、目に付いたことや、心にとまったできごとを、メモした、とします。
次に、内容を掘り起こす、あるいは、考え直す、これを「推敲(すいこう)」といいます。
初心者が、たいていやってしまう、のが、完全無欠に作ろう、とする、ことです。
文学でも、絵画でも、完全無欠は、あんまり魅力がありません。
絵画には写実もありますが、全体から見たら、少ないです。
文字は、もっと、そうです。
完全なのは、教科書とか取り説、です。
間違っていてはいけない。足りないのはいけない。正確無比が理想です。
教科書に、魅力を感じますか?取り説に恋しますか?
考えてみてください。
ないでしょう?ま、誰一人居ない、とは言いませんが。少ないと思います。
ただ、例外的に、その点を逆手にとって、取り説の体をわざと記事にし、しかもすごく面白く書いてらっしゃる方も、おいでです。
発想の転換、ですね。すばらしく頭のいい方だと思います。
教科書が、その方の編纂で作成されたら、世の中に勉強が嫌いな子どもは、居なくなるかもしれませんね。
美人、お好きでしょう?
あれ、完全無欠なら、マネキンかロボットですから。
えくぼ、は、頬のゆがみ、です。魅力的でしょう?
右目と左目の大きさが違うのを、雌雄眼(しゆうがん)、と呼びますが、あれも、惹かれるものがありますよね。
髪の毛なんか、左右まったく同じにしたら、おかっぱ頭。幼女の象徴、です。
可愛らしいですけど、胸をぎゅっと掴まれるような魅力は、あんまりゴフォゲフォ。。。。以下自粛。
いや、魅力的なおかっぱの方も、多いです。それは、その他の要素が入るから、です。
生き物は、生まれつき、成熟したものに魅力を感じるようにできているのです。子孫を残すために。これは、本能です。
心に留まる、というのは、最初に、目をひく何かが、ある、ということ、です。
見たことも聞いたこともないものに心を囚われる、ということは、ありません。
目を引くには、完全無欠よりは、なにかの「ゆらめき」「隙間」が、あった方がいいのです。
初心者は、あれもこれも詰め込みすぎて、結果、句ではなくて説明になってしまうのです。
誰がこうしたから、そうなった。例=「いたずらを父にみつかり怒られた」(小学三年生)
何を使って、なにを作った。 例=「かあさんがかぼちゃを煮たよ うまかった」(小学一年生)
それでは、はい、そうでしたか、としか言えません。
もちろん、「上手にできたね~♪」と、言います。
最初は、そこから、ですから。大事なのは、作ろう、とする、気持ちです。
一年生の「うまかった」という自分の心を表しているのが、立派です。
句は、書き手の思いを載せますが、読み手の意識に訴えるもの、です。
同じ句を読んでも、読む側の経験により、受ける印象は変わります。
いま、蛙男『ミュージアム』(鳶助さんから情報いただきました、ありがとう!)(カエル男、妻夫木さんが主演とかで宣伝してます)という映画がありますが。
あれで使われている手法が、それ、だと思います。
見る側の経験値に、結果を想像させる。だから、R指定は、ありません。
観客が増えます。
どんどん、違う方向に走ってる、気がする。(-_-;)
うっかり映画に食いついたら、止まらなくなりそうなので、ストップ。(←映画狂)
まれに、まったくなにも考えていないのに、ちょっとはずす、方がおいでです。加減が絶妙です。
ご本人は完全に作った、つもりらしいのですが。無性に惹かれてしまう。
人は、それを「天才」と、呼びます。
感性が、そうできている、のだろうと思います。
とても魅力的ですが、案外、本人は気がついていないあたりが、天才の天才たる所以でしょう。
こういう句を作ろう、と、何日も考えたり直したり、しているのが「普通」です。
だから、数日経ってから、「あ、あそこ、こうこうの方がいいかな?これそれ、かな?」」などと、しょっちゅう、やってます。
あたしは、普通、なので(^▽^;)>゛てへ。
ただ、普通でも、長くやれば、そこそこは、できます。なれるから、です。大丈夫です。^^
はずす。
きちんと説明しきらない、という、わかりやすく言えば、「余裕を持たせる」「含みを持たせる」などと。
必要なもの、だけを入れ、イラナイものは書かない。
絵でいうと、電信柱を入れるか入れないか、みたいなもん、です。(大雑把過ぎる?)
存在するものを、いかに切り捨てるか。ですね。
何が要らないもの、なのか、そこをとことん、突き詰める。それが、推敲、です。
なにしろ、文字数が少ないので。
あたしの好きなものに、
『叱ってはみたが子どもは俺に似る』
馬糞(ばふん)さんの句です。
何について誰を叱ったのか、どういう風に叱ったのか、子どもは何歳なのか、男なのか女なのか、似たのは、どんなことなのか、何一つ説明はありません。
でも、情景が浮かびます。いわゆる「あるある!」です。奥底に、深い愛情、やさしい眼差しをを感じます。
これを見た方は、いろんなことを思うでしょう。
ろうたけたお嬢様をお持ちの方は、その年齢なりの自分の姿と現在の娘さんの姿を重ね合わせるでしょうし、いたずらっ子に手を焼いておられる方は
幼い頃の、自分が親から叱られたこととか、今のやんちゃぶりを発揮してるお子のこととか、いろいろ考えるでしょう。
まだ子どもをもたない、若い方は、自分を叱ってくれた親を思うかもしれません。
叱りながら、自分と似てるんだ、って、思ったりしてくれてるのかな、うちの親も。そう考えると、親に対して気持ちがほぐれてくるでしょう。
書いているのは自分でも、その先は、読者に任せる。
だからこそ、余分な説明を入れると、感動の幅が狭くなってしまうのです。
長くなったので、今日はこのへんで。
今夜あたり、一句、ものしてみませんか?^^
次に、内容を掘り起こす、あるいは、考え直す、これを「推敲(すいこう)」といいます。
初心者が、たいていやってしまう、のが、完全無欠に作ろう、とする、ことです。
文学でも、絵画でも、完全無欠は、あんまり魅力がありません。
絵画には写実もありますが、全体から見たら、少ないです。
文字は、もっと、そうです。
完全なのは、教科書とか取り説、です。
間違っていてはいけない。足りないのはいけない。正確無比が理想です。
教科書に、魅力を感じますか?取り説に恋しますか?
考えてみてください。
ないでしょう?ま、誰一人居ない、とは言いませんが。少ないと思います。
ただ、例外的に、その点を逆手にとって、取り説の体をわざと記事にし、しかもすごく面白く書いてらっしゃる方も、おいでです。
発想の転換、ですね。すばらしく頭のいい方だと思います。
教科書が、その方の編纂で作成されたら、世の中に勉強が嫌いな子どもは、居なくなるかもしれませんね。
美人、お好きでしょう?
あれ、完全無欠なら、マネキンかロボットですから。
えくぼ、は、頬のゆがみ、です。魅力的でしょう?
右目と左目の大きさが違うのを、雌雄眼(しゆうがん)、と呼びますが、あれも、惹かれるものがありますよね。
髪の毛なんか、左右まったく同じにしたら、おかっぱ頭。幼女の象徴、です。
可愛らしいですけど、胸をぎゅっと掴まれるような魅力は、あんまりゴフォゲフォ。。。。以下自粛。
いや、魅力的なおかっぱの方も、多いです。それは、その他の要素が入るから、です。
生き物は、生まれつき、成熟したものに魅力を感じるようにできているのです。子孫を残すために。これは、本能です。
心に留まる、というのは、最初に、目をひく何かが、ある、ということ、です。
見たことも聞いたこともないものに心を囚われる、ということは、ありません。
目を引くには、完全無欠よりは、なにかの「ゆらめき」「隙間」が、あった方がいいのです。
初心者は、あれもこれも詰め込みすぎて、結果、句ではなくて説明になってしまうのです。
誰がこうしたから、そうなった。例=「いたずらを父にみつかり怒られた」(小学三年生)
何を使って、なにを作った。 例=「かあさんがかぼちゃを煮たよ うまかった」(小学一年生)
それでは、はい、そうでしたか、としか言えません。
もちろん、「上手にできたね~♪」と、言います。
最初は、そこから、ですから。大事なのは、作ろう、とする、気持ちです。
一年生の「うまかった」という自分の心を表しているのが、立派です。
句は、書き手の思いを載せますが、読み手の意識に訴えるもの、です。
同じ句を読んでも、読む側の経験により、受ける印象は変わります。
いま、
あれで使われている手法が、それ、だと思います。
見る側の経験値に、結果を想像させる。だから、R指定は、ありません。
観客が増えます。
どんどん、違う方向に走ってる、気がする。(-_-;)
うっかり映画に食いついたら、止まらなくなりそうなので、ストップ。(←映画狂)
まれに、まったくなにも考えていないのに、ちょっとはずす、方がおいでです。加減が絶妙です。
ご本人は完全に作った、つもりらしいのですが。無性に惹かれてしまう。
人は、それを「天才」と、呼びます。
感性が、そうできている、のだろうと思います。
とても魅力的ですが、案外、本人は気がついていないあたりが、天才の天才たる所以でしょう。
こういう句を作ろう、と、何日も考えたり直したり、しているのが「普通」です。
だから、数日経ってから、「あ、あそこ、こうこうの方がいいかな?これそれ、かな?」」などと、しょっちゅう、やってます。
あたしは、普通、なので(^▽^;)>゛てへ。
ただ、普通でも、長くやれば、そこそこは、できます。なれるから、です。大丈夫です。^^
はずす。
きちんと説明しきらない、という、わかりやすく言えば、「余裕を持たせる」「含みを持たせる」などと。
必要なもの、だけを入れ、イラナイものは書かない。
絵でいうと、電信柱を入れるか入れないか、みたいなもん、です。(大雑把過ぎる?)
存在するものを、いかに切り捨てるか。ですね。
何が要らないもの、なのか、そこをとことん、突き詰める。それが、推敲、です。
なにしろ、文字数が少ないので。
あたしの好きなものに、
『叱ってはみたが子どもは俺に似る』
馬糞(ばふん)さんの句です。
何について誰を叱ったのか、どういう風に叱ったのか、子どもは何歳なのか、男なのか女なのか、似たのは、どんなことなのか、何一つ説明はありません。
でも、情景が浮かびます。いわゆる「あるある!」です。奥底に、深い愛情、やさしい眼差しをを感じます。
これを見た方は、いろんなことを思うでしょう。
ろうたけたお嬢様をお持ちの方は、その年齢なりの自分の姿と現在の娘さんの姿を重ね合わせるでしょうし、いたずらっ子に手を焼いておられる方は
幼い頃の、自分が親から叱られたこととか、今のやんちゃぶりを発揮してるお子のこととか、いろいろ考えるでしょう。
まだ子どもをもたない、若い方は、自分を叱ってくれた親を思うかもしれません。
叱りながら、自分と似てるんだ、って、思ったりしてくれてるのかな、うちの親も。そう考えると、親に対して気持ちがほぐれてくるでしょう。
書いているのは自分でも、その先は、読者に任せる。
だからこそ、余分な説明を入れると、感動の幅が狭くなってしまうのです。
長くなったので、今日はこのへんで。
今夜あたり、一句、ものしてみませんか?^^
じゃー、続き、どうぞ!
字数は、どうなるの?
『 しょ 』とかの、小っさい字数、後 『 タクシー 』とかの、伸びるやつ …… 1それとも2?
ちっと、忙しかった。(猫に隣の部屋に脱走されて、そっちで喧嘩勃発で、えらいこっちゃに((((( ; ゚Д゚) )
うん、馬糞さんは『どこにもそこにもある、馬のクソみたいなもんだ、俺なんか』っておっしゃってたんだって。
今どき、馬のくそなんか、競馬場とか牧場に行かないと、無いわ(^▽^;)>゛
うん、次のに書くね^^
いま、珍しくネタが入ったから、これのつぎの記事が、やっとできた、とこ( ´艸`)モウケ♪
自分のしていることってなんでも中半端なことがわかっているので
敢えて深入りしないみたいなところがワタシにはあります。
そして難しそうなことには手を出さないΣ(ノ∀`*)ペチッ
句を作ることって五感が研ぎ澄まされる気がします。
色々なことを色々な面から感じるって贅沢で豊かな人生になるんでしょうなぁ。
おぉ、素晴らしくいい句ができてるではないですか( ´艸`)♪
難しそうなことには手を出さない。処世術ですね^^
深入りは、怖いですよ。ある意味、狂気に似ています。他の事が、何にもできなくなる。
種田山頭火なんか、もろ、それでしょう。
こじき坊主とののしられ、軽くあしらわれ、生きることが辛くなかったなんか、無かったはずなのに。
しんしんと、生ききった、と、後世のものは思うのです。
物事には、すべて裏と表、両面がありますから。いいことも、悪いことも、輪っかのように繋がって、いるんだと。
それを、どちら側からも、見る。楽しいとも苦しいとも、同じこと、なのです^^
豊かかどうか、ってのも、何を求めているのか、で、違ってきますし、ねぇ。
研ぎ澄まされたらいい、ってもんでも、ない(;´▽`lllA``)
包丁なんか、家庭で使うには、研ぎすぎたら危険ですし、ね^^
身の丈に合う、というのは、とても大事です。
ま、ぼちぼち、ということで、いいんではないかなぁ?と。( ´艸`)