喪中につき、の手書きのお知らせがポストにあったのに気づいたのは、昨夜の遅い時間。
コロナでお葬式も縮小した傾向の昨今だったからなのか、県外に出ないよう、というあたりだったからなのか、
逝去の日には連絡が無かった。
成人するまで、同居していた。
家族だと思っていたのに、お別れも言えなかったこんな時代。
言葉も無く、深く頭を垂れる。
小学生だった時、わたしは交通事故に遭って生死の境をさまよっていた。
自分では何もわからないのだが、意識が戻ってからわかった。
輸血が間に合わなくて、唯一血液型が合う叔母は、もうすぐ血液が届くのだから、と
自分の精一杯の量(通常では危険なくらい)をあたしに輸血してくれたのだ、と。
自宅が病院だったので、叔母はあたしの介護をしてくれながら、うでをボリボリかいていた。
どうしたのか、と見ていたが、ひそひそ叔父と話しているのが聞こえてて。
どうやら、輸血用に届いた血液が、叔母に合わなかった、らしい。
昔。
輸血用の血液を入手するのに、当然センターから送ってもらうのだが、その血液に問題が多かった。
今は献血でまかなっているのだろうが、当時は生活のために売血する人があって、緊急の場合、なんやかや言っていられなくて。
売血でも、命が助かりさえすれば、と、半ば諦めにも似た感じに認めていた・らしい。
叔母は、あたしのために命をかけてくれたのだ、と、知った。
そして、病床のあたしに、小さく微笑みながら言った叔母の言葉を、あたしは今も覚えている。
○○ちゃんとあたしは、血のつながった家族、だよね~~~^^
無表情だったあたしは、内心、感激と感動と混乱で、言葉が出なかった。
血のつながった、と、何回も口の中でつぶやいた。
この、胸の奥から湧き上がる、生きたいという気持ちは何だろう、と思いながら。
ありがたい、と、しっかり感じられたのは、大学に行ってからのこと。(遅いっ!!)
今「ある」命は、たくさんの人に与えられたから。叔母の大きな愛も、常に感謝していたのだったが。
その後、旧式の家族の有り様を吠える祖父母たちと、あんまりそりが合わなかった叔父夫婦は遠くへ引っ越してしまい。
こちらの家族とも、なんとなく疎遠になって。
勤務地で結婚して、しばらく経って。
初めて叔母が家に来たとき。
その、すらりと背の高い、透き通るような肌で、映画の女優さんみたいに整った面立ち、すっぴんに薄く紅をひいただけの飾り気の無い様子ながら、凜とした美しさに驚いたっけ。
周囲の大人たちは、ひそひそ、『ハーフなんでねぇのか?』とささやいていたのを覚えている。
確かに、今思うと、北欧系の顔だったなぁ。
こんな、唐獅子踏んづけたようなあたしと、あの美しい叔母と、血がつながってるんだ、と、すごく畏れ多い気がしたっけ。
子供特有のずるさから(?)あたしは、叔母に近づくことを古い家族の手前、躊躇していた部分があった。
気恥ずかしさもあった、のだが。うまく言えないけど、そんなところだった。
今思えば、もったいないことをしたなぁ、と。
もっと、子供だから許される部分を強く押し出して、家族と叔母との架け橋に、なることもできたかもしれなかった、のに、と。
我が身の不甲斐なさ、生き方下手な部分を、今更ながら後悔している。
叔母さん。
あなたは、こちら(実家)から嫌われている、と思っていたようだったけど。
違うよ、大人たちは戸惑ってただけだったし、デキる女性だ、と、ちゃんと認めていたよ。
嫁に行った小さい叔母とは気が合ってたよね?
美しい二人が、笑いながら話してるのを、遠目にうっとり眺めてた。
少なくともあたしは、叔母さんに憧れたし、大好きだったよ。
言えなかっただけ、だよ。
魂が身を離れると、自由に飛び回れると聞いたよ。
きっと、先に逝った大好きだったお母上とも、仲良くお話ししているんだろうな、と思っています。
たくさんのわだかまりも、みんな消えて。
自由に、あの優しい笑顔を見せてくれているんだろうな、と思っています。
生きていれば、いろんな確執も多かっただろうし、悩みもあっただろう。
こっそり泣いていたのも、黙ってたけど、知ってます。
もう、いいんだよ。
頑張り屋さんで、何にでも一生懸命だった叔母さんのこと、ちゃんと見てたから。
ずっと、見てたから。
生きているうちに、伝えたかった。
ごめんね、何も言えなくて。
ごめんね、ごめんなさい。
一度も言ったことがない、今言わないと、消えてしまうかも、な、言葉。
ずっと、憧れてました。
ずっと、大好きでした。
届け、思い。
残された叔父さん。
大好きな、小さい叔父さん。
ずっと元気で居てください。長生きしてください。
面と向かっては、恥ずかしすぎて言えないけど、いつも心にかかっています。
助けてくれて、ありがとう。
今あたしがあるのは、すべて、叔父さんたちのおかげなのです。
ありがとうございます。
助けた甲斐が無かった、と、思ってたりしたらどうしよう。(焦っ)
慎まなければ。励まなければ。焦る。
人は、生きていく上で、今の身の回りのことに集中してしまうけれど。
見えないところで、あなたに感謝の気持ちを送り続けている人間が、居ます。
気がついていないだろうけど。
居るんですよ。
きっと、誰にでも、居るんだろうと思う。
自分自身が忘れてしまったような、当たり前のことや些細なことが、誰かの人生を救っている、かも、しれないですよ。ね。
人はみんな、つながって、生きていく。
コロナでお葬式も縮小した傾向の昨今だったからなのか、県外に出ないよう、というあたりだったからなのか、
逝去の日には連絡が無かった。
成人するまで、同居していた。
家族だと思っていたのに、お別れも言えなかったこんな時代。
言葉も無く、深く頭を垂れる。
小学生だった時、わたしは交通事故に遭って生死の境をさまよっていた。
自分では何もわからないのだが、意識が戻ってからわかった。
輸血が間に合わなくて、唯一血液型が合う叔母は、もうすぐ血液が届くのだから、と
自分の精一杯の量(通常では危険なくらい)をあたしに輸血してくれたのだ、と。
自宅が病院だったので、叔母はあたしの介護をしてくれながら、うでをボリボリかいていた。
どうしたのか、と見ていたが、ひそひそ叔父と話しているのが聞こえてて。
どうやら、輸血用に届いた血液が、叔母に合わなかった、らしい。
昔。
輸血用の血液を入手するのに、当然センターから送ってもらうのだが、その血液に問題が多かった。
今は献血でまかなっているのだろうが、当時は生活のために売血する人があって、緊急の場合、なんやかや言っていられなくて。
売血でも、命が助かりさえすれば、と、半ば諦めにも似た感じに認めていた・らしい。
叔母は、あたしのために命をかけてくれたのだ、と、知った。
そして、病床のあたしに、小さく微笑みながら言った叔母の言葉を、あたしは今も覚えている。
○○ちゃんとあたしは、血のつながった家族、だよね~~~^^
無表情だったあたしは、内心、感激と感動と混乱で、言葉が出なかった。
血のつながった、と、何回も口の中でつぶやいた。
この、胸の奥から湧き上がる、生きたいという気持ちは何だろう、と思いながら。
ありがたい、と、しっかり感じられたのは、大学に行ってからのこと。(遅いっ!!)
今「ある」命は、たくさんの人に与えられたから。叔母の大きな愛も、常に感謝していたのだったが。
その後、旧式の家族の有り様を吠える祖父母たちと、あんまりそりが合わなかった叔父夫婦は遠くへ引っ越してしまい。
こちらの家族とも、なんとなく疎遠になって。
勤務地で結婚して、しばらく経って。
初めて叔母が家に来たとき。
その、すらりと背の高い、透き通るような肌で、映画の女優さんみたいに整った面立ち、すっぴんに薄く紅をひいただけの飾り気の無い様子ながら、凜とした美しさに驚いたっけ。
周囲の大人たちは、ひそひそ、『ハーフなんでねぇのか?』とささやいていたのを覚えている。
確かに、今思うと、北欧系の顔だったなぁ。
こんな、唐獅子踏んづけたようなあたしと、あの美しい叔母と、血がつながってるんだ、と、すごく畏れ多い気がしたっけ。
子供特有のずるさから(?)あたしは、叔母に近づくことを古い家族の手前、躊躇していた部分があった。
気恥ずかしさもあった、のだが。うまく言えないけど、そんなところだった。
今思えば、もったいないことをしたなぁ、と。
もっと、子供だから許される部分を強く押し出して、家族と叔母との架け橋に、なることもできたかもしれなかった、のに、と。
我が身の不甲斐なさ、生き方下手な部分を、今更ながら後悔している。
叔母さん。
あなたは、こちら(実家)から嫌われている、と思っていたようだったけど。
違うよ、大人たちは戸惑ってただけだったし、デキる女性だ、と、ちゃんと認めていたよ。
嫁に行った小さい叔母とは気が合ってたよね?
美しい二人が、笑いながら話してるのを、遠目にうっとり眺めてた。
少なくともあたしは、叔母さんに憧れたし、大好きだったよ。
言えなかっただけ、だよ。
魂が身を離れると、自由に飛び回れると聞いたよ。
きっと、先に逝った大好きだったお母上とも、仲良くお話ししているんだろうな、と思っています。
たくさんのわだかまりも、みんな消えて。
自由に、あの優しい笑顔を見せてくれているんだろうな、と思っています。
生きていれば、いろんな確執も多かっただろうし、悩みもあっただろう。
こっそり泣いていたのも、黙ってたけど、知ってます。
もう、いいんだよ。
頑張り屋さんで、何にでも一生懸命だった叔母さんのこと、ちゃんと見てたから。
ずっと、見てたから。
生きているうちに、伝えたかった。
ごめんね、何も言えなくて。
ごめんね、ごめんなさい。
一度も言ったことがない、今言わないと、消えてしまうかも、な、言葉。
ずっと、憧れてました。
ずっと、大好きでした。
届け、思い。
残された叔父さん。
大好きな、小さい叔父さん。
ずっと元気で居てください。長生きしてください。
面と向かっては、恥ずかしすぎて言えないけど、いつも心にかかっています。
助けてくれて、ありがとう。
今あたしがあるのは、すべて、叔父さんたちのおかげなのです。
ありがとうございます。
助けた甲斐が無かった、と、思ってたりしたらどうしよう。(焦っ)
慎まなければ。励まなければ。焦る。
人は、生きていく上で、今の身の回りのことに集中してしまうけれど。
見えないところで、あなたに感謝の気持ちを送り続けている人間が、居ます。
気がついていないだろうけど。
居るんですよ。
きっと、誰にでも、居るんだろうと思う。
自分自身が忘れてしまったような、当たり前のことや些細なことが、誰かの人生を救っている、かも、しれないですよ。ね。
人はみんな、つながって、生きていく。
いくら合うからといっても、輸血で駆けつけてくれるなんて、愛情そのものじゃん~♥
羨ましいくらい素敵な叔母さんだねー
今は体がない分、otikomi さんのとこに来やすくなってるかもねー
時々思い出して感謝してれば、安心して、喜んで天国で見守ってくれてるよ♪
叔母さんの御冥福を御祈りいたします
憧れの叔母さま 亡くなっていたんですね
深い悲しみ お察しします
実は首輪のない猫も 同じような経験があるんです
知ったのは1年以上経ってから 喪中はがきもありませんでした
亡くなっていた と知った時は なんで教えてくれなかったんだろう と・・
いろいろ お世話になったんです 一緒にスキーもしましたし 仲が良くて、お酒もよく飲みました
お線香の1本もあげたかった
後から知ることの寂しさは どこに捨てていいのか分からないような深みがありますよね
otikomi さんの叔母さま 輸血してくれて ほんとうに感動ものです
鳶助さんのおっしゃるように、羨ましいくらい素敵な叔母さま やさしいお方
otikomi さんのことが大すきだったんですね きっと 今 この瞬間も otikomi さんを見守ってくれていると思います
叔母さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます
後から聞いた話によると、『そんなに採血したら、あなた自身(叔母)が危険だ』と叔父(医師)から止められたのに
『大丈夫よ、(血液を運んでいる)車は、もうすぐそこまで来てるはずだし。
もしも、の時だって、あなた(旦那様=医師)が、ここに居るじゃない^^』
と、必要な分だったら、いくら採ってもかまわない、と強く言ったそうです。
亡母が、泣きながら教えてくれました。
亡母は、叔父夫婦の子供たちの世話を、一生懸命やってました。
娘(あたし)を助けていただいた恩返しの気持ちも強かったのだろうと思いますよ。
だって、悪化したとき、医師は三人居たのに、みんな口をそろえて『諦めてください、これは、手の打ちようがありません。』って言ったんだって。
叔父だけが、必死でくらいついて、できることは何でもやったんだって。
祖父が亡父に「かわいそうだけど、あきらめるんだ。」と言ったら
それまで一度も親に逆らったことがない亡父が『あきらめるって、なんだ!できるかっ!!』って
くってかかった、んだって。
亡父は、叔父の長兄。兄弟で助けてくれたんだ。
血のつながらないあたしを。
そして、本当につながった、叔母が、できた。
昔のことだから、今のような医療技術も設備もなくて。
みんな、たいへんだったんだろうと思うよ。
叔父は、そのあと大学に通って、持っていたのと別の医学博士の資格を取った。何年も勉強して。
研究は血液に関する物だったんだが、叔母(奥さん)が健康で無い血液でじんましん起こしたことも、いくらかは関係してるんでないかな?^^
学ぶことの大切さを、あたしは叔父から教わったんだよ^^
叔母は、あたしんとこよりか、自分たちのこどもや孫のところに、行ってるんでないかな^^♪
みんな、幸せに暮らして欲しいよね^^
お悔やみ、ありがとうございます。伝わっていると、思います。
自身の生き方を見直すことが大事かな?と、おもいましたですよ^^;;;(冷や汗)
猫さんも、同じような経験、おありだったんですね・・・・。
ねぇ、悲しみの落としどころが、見つかりませんよねぇ。。。
引きずる、というか。親しくて、好きな方ならなおのこと。
お察しします。。。(TT)
鳶助さんへのコメントに書きましたけど、輸血のおかげで助かったのだと思います。
当時、売血は、専門にやってるような人も居て、もう、何回もやるから、血液が薄くなってたり、質の悪いものも、まざってたと聞きましたよ。
今は採血の前に検査してますでしょ?だから、安全です。
命をつなぐものですからね=血液。
あたしも、献血手帳、数冊持ってました。できることはしよう、と、思って。
今は年齢制限でできないのが、悔しいくらい。^^;;
世の中、ぐる~~~っと回ってるんだなぁ、って、よく思います。
みんな、つながってるんだ、って。
お悔やみ、ありがとうございます。叔母の自由な魂が、きっとほほえんでいると、思っています^^