ここに、よく遊びに来られる、越後美人さんのブログで、素敵な記事を拝見しましたよ^^
幼かった越後美人さんが、伯父様におんぶしての帰り道のこと。
空を見上げて、お月様がついてくる、と言った越後美人さんに、伯父様は
『おつきさまは、あっこ(越後美人さんの愛称)が好きなんど(なんだよ)。』
とおっしゃった、のだそうです。
そのお話を読ませていただいて、なんだか、ほっこりほっこり、温かい気持ちが湧きあがってまいりましたよ。
挿絵付きでの童話のひとこま、のような、おだやかな空気感に満たされて。
日暮れの、湿った草の匂いやら、どこぞから漂ってくる夕餉の香りやら、風が木々を揺らすかすかな音やら。
聞こえるか聞こえないくらいの、遠くの電車の響き、とか、犬の鳴き声とか。
もっともっとたくさんの、いろんなもの。
そういった、優しい風景に包まれた、幸せな時間の中を漂っているような気持ちになれたのでした。
越後美人さんの、そのときの、おんぶされててお腹が温かい感触やら、しがみついている背中の大きさ、広さ、たくましさ、
伯父様が歩くたびに一緒に揺れる心地よさ、などなどなど
人を信頼して寄り添うこととか、たくさんのことが、一瞬に思い出されて圧倒されるのではないかなぁ、とか、考えました。
なんとふくよかで、豊かな時代を過ごしてこられたことか、と。
おそらくは、ありふれた日常のひとこま、なのだろう。
それは、彼女にとっては当たり前の、あるべきことがらで、とりたてて問題視するようなことですらなかった、のだろう。
だれもが通ってきた「子ども時代」という、過ぎた時間のありがたみが、彼女の人となりを形成するたいせつなものだった、など、
子どもの頃は気づかずに過ごされたのだろうなぁ。
うらやましい時間なのだ、なんて、その時は考えもしなかった、のだろう、と。
勝手に言わせてもらえば。
そういう思い出を持っている子どもは、成長してから、ゆがみません。
つらいことにも、しっかり向き合い、乗り越える強さを育んでいくことができます。
命を「育てる、はぐくむ」というのは、そういうことなのだ、と、あたしは思っています。
子どもは、周囲に存在する大人たちの言葉や、態度から、学びます。
温かい心遣い、穏やかな考え方、愛するものへの態度の表し方、もろもろ、積み重ねていくのです。
小学校の低学年の子供たちは、それが顕著に表れます。
「ははぁ・・・・(にやり)」なんてこと、しょっちゅうでした。
家族の態度やら言葉づかい、出す調子の強弱までが、もろに出るのが、子ども。
少し大きくなれば、隠すことを覚えてしまいますが、根本はなかなか変わりませんよ。^^;;
親子は似る、といいますけど、子どもは、懸命に「似せて」育つ、もので、そこもあると思います。
周囲が何も言葉にしなくても、子どもは本当に幼いときからずっと、しっかり感じ取っています。
大人の優しさも、ずるさも、なにもかも。
大人になると、見たい部分しか心に残りませんけれど。
子どもの心は、写真のように、ありとあらゆる物事をとらえ、感じ、反芻し、咀嚼します。
長い時間をかけて。
それを肥やしにして、成長していくのです。
わたしたち「大人」は、慎重に暮らすことをこころがけなければならない、と、よく思います。
子どもは、教えたいようには育ちません。
恐ろしいことに、子ども自身が見たように、育っていきます。
そして、結果は、何年も何十年も先になって、出てくるのです。
心して、背中を見られて恥ずかしい思いをしない生き方を、したいです。
とてもとても難しいですけれど。
何も考えずに居るのと、少しでも気にして生きるのと、では、きっと違うと、思うから。
そういうことを、真剣に考えさせられた夜です。
偉そうなこと、書きました。
書いてるわりには(自分が理想と思うようには)できてない現実、なのが残念なあたしですけれども。
年寄りのたわごと、と、笑われるかもしれませんが。
何かと不安定な今の時代、大事なことなのではないかなぁ、と思いましたもので、なにとぞお許しを。^^;
幼かった越後美人さんが、伯父様におんぶしての帰り道のこと。
空を見上げて、お月様がついてくる、と言った越後美人さんに、伯父様は
『おつきさまは、あっこ(越後美人さんの愛称)が好きなんど(なんだよ)。』
とおっしゃった、のだそうです。
そのお話を読ませていただいて、なんだか、ほっこりほっこり、温かい気持ちが湧きあがってまいりましたよ。
挿絵付きでの童話のひとこま、のような、おだやかな空気感に満たされて。
日暮れの、湿った草の匂いやら、どこぞから漂ってくる夕餉の香りやら、風が木々を揺らすかすかな音やら。
聞こえるか聞こえないくらいの、遠くの電車の響き、とか、犬の鳴き声とか。
もっともっとたくさんの、いろんなもの。
そういった、優しい風景に包まれた、幸せな時間の中を漂っているような気持ちになれたのでした。
越後美人さんの、そのときの、おんぶされててお腹が温かい感触やら、しがみついている背中の大きさ、広さ、たくましさ、
伯父様が歩くたびに一緒に揺れる心地よさ、などなどなど
人を信頼して寄り添うこととか、たくさんのことが、一瞬に思い出されて圧倒されるのではないかなぁ、とか、考えました。
なんとふくよかで、豊かな時代を過ごしてこられたことか、と。
おそらくは、ありふれた日常のひとこま、なのだろう。
それは、彼女にとっては当たり前の、あるべきことがらで、とりたてて問題視するようなことですらなかった、のだろう。
だれもが通ってきた「子ども時代」という、過ぎた時間のありがたみが、彼女の人となりを形成するたいせつなものだった、など、
子どもの頃は気づかずに過ごされたのだろうなぁ。
うらやましい時間なのだ、なんて、その時は考えもしなかった、のだろう、と。
勝手に言わせてもらえば。
そういう思い出を持っている子どもは、成長してから、ゆがみません。
つらいことにも、しっかり向き合い、乗り越える強さを育んでいくことができます。
命を「育てる、はぐくむ」というのは、そういうことなのだ、と、あたしは思っています。
子どもは、周囲に存在する大人たちの言葉や、態度から、学びます。
温かい心遣い、穏やかな考え方、愛するものへの態度の表し方、もろもろ、積み重ねていくのです。
小学校の低学年の子供たちは、それが顕著に表れます。
「ははぁ・・・・(にやり)」なんてこと、しょっちゅうでした。
家族の態度やら言葉づかい、出す調子の強弱までが、もろに出るのが、子ども。
少し大きくなれば、隠すことを覚えてしまいますが、根本はなかなか変わりませんよ。^^;;
親子は似る、といいますけど、子どもは、懸命に「似せて」育つ、もので、そこもあると思います。
周囲が何も言葉にしなくても、子どもは本当に幼いときからずっと、しっかり感じ取っています。
大人の優しさも、ずるさも、なにもかも。
大人になると、見たい部分しか心に残りませんけれど。
子どもの心は、写真のように、ありとあらゆる物事をとらえ、感じ、反芻し、咀嚼します。
長い時間をかけて。
それを肥やしにして、成長していくのです。
わたしたち「大人」は、慎重に暮らすことをこころがけなければならない、と、よく思います。
子どもは、教えたいようには育ちません。
恐ろしいことに、子ども自身が見たように、育っていきます。
そして、結果は、何年も何十年も先になって、出てくるのです。
心して、背中を見られて恥ずかしい思いをしない生き方を、したいです。
とてもとても難しいですけれど。
何も考えずに居るのと、少しでも気にして生きるのと、では、きっと違うと、思うから。
そういうことを、真剣に考えさせられた夜です。
偉そうなこと、書きました。
書いてるわりには(自分が理想と思うようには)できてない現実、なのが残念なあたしですけれども。
年寄りのたわごと、と、笑われるかもしれませんが。
何かと不安定な今の時代、大事なことなのではないかなぁ、と思いましたもので、なにとぞお許しを。^^;
私など、誠実に実直に生きていた伯父たちに比べ、ちょっとずるい考えが出たりして、
まだまだ甘っちょろい人間です。
でも、時々は伯父たちの生き方を思い出して、自分の心に照らしてみようと思っています。
私の思いを充分に代弁して頂き有難うございました(^_-)-☆
素敵、と言っていただけて、とてもうれしいです♪
そちらの言葉の後ろ側を、透かして見ただけ、ですから、「他人のふんどしで相撲をとるな!」ってお叱り受けなくて、ほんと、よかったです^^;;
でも、何度読み返しても、何度でもほっこりできるんですよね、越後美人さんの記事。
言葉の奥にある、伯父様の愛情やら周囲の豊かな自然やら、リンク記事にも、浮き上がって見えてくる、精神豊か、情緒あふれる暮らしぶりが
嫌味なく、淡々と書いてあって。
越後美人さんの凛とした姿勢やら、楽しく笑える心の豊かさ、思いやりやゆとり、
ちょっと負けん気の強いところ、なんにでも頑張れる強さ、その他もろもろの「生きる姿勢」。
そういったものが、あぁ、ここからできてきてたんだなぁ、って。静かな、でも深い感動でした。
>自分の心に照らしてみようと思っています
そうですよね、あたしたちは、ただ素直に、「生きる」ことで、それでいいのだ、と。
こうやりなさい、そうしちゃいけない、そんな小賢しい教育ではなくて、他人を苦しめないとか、意地悪はしない、とか、
そんな単純な生き様を、幼いものたちは、ちゃんと見ていると思います。
昨今のいじめ問題だってね、大人たちが、社会の中でいじめ、やってるんですよね、あちこちで。
それやってながら、子どもたちには「いじめはいけない!」って言ったって、説得力ないですもん、ね。
あ、いけない、これ系になると、熱くなってしまうんですよ、あたし。
「我が子を良くしたいなら、とりまくみんなを良くしないと。」が持論な、宇宙人ですから、あたしは^^;;
おかげで、我が子から『お母さんは、あたしたちよりよその子どものほうをかわいがってるでしょう!』って泣かれたもんでした。^^;
よそのお母さんは、よその子よりも自分の子、って、当たり前なのに、なんで「みんな同じ」に扱うの?って。
でも、机上の空論であれなんであれ、一人だけでも、やらなきゃ始まらないですからね、何でもそうですけど。
ま~た脱線^^;;ごめんなさい。あたし、ここ(ネット)では、八歳のはずなのに。いかんいかん、です。
今の世の中、めまぐるしく変わっていますから、ね。
人間、自分がやらないことは他人もやらない、って決めつけてるところがあって。
なかなか、いろいろと理解してもらえないのですよ、あたし。てへ。
でも、いつも、いつでも、たくさんの方々から助けられて、生かされて「存在してる」という気持ちは、大事にしてます^^