久々の
ブログ更新となりました
ここ1週間ドタバタと忙しく・・・・・
実は先週の日曜日に新潟の叔母が亡くなり、水曜日の告別式まで
で向かったりと。
叔母は母方の兄嫁なのですが、自分が幼少の頃から夏休みなどは
その新潟の親戚
にずっと居た事から、叔母さんではなく
「お母さん」と呼んでいて、甥にあたる自分を本当に息子のように
接してくれていたので。
最後に話が出来たのが、先月の中旬頃に急遽
新潟へ行った際、
入院中の叔父を見舞った後、約30年振りに乗った新潟交通の
路線バスで叔母が入院していた脳外科病院に向かい、寝ていた叔母が
自分が来たのに気付き、自分の顔を見た途端、「あっ、○○(←自分の本名)、
おめぇ、カネあるんけ?」と。「そんな事気にしなくていいわねぇ!
難儀かね???(新潟弁)」と自分。
これが最後だったかな、まともに話が出来たのは。
翌日再度見舞った時は「東京に帰るよ、また来るね」と自分が話しても
頷いていただけで。
叔母の孫達(自分のイトコの子供達)にその事を話したら、
「おばぁちゃまらしいね」と笑っておりましたが。
もうねぇ、ほんといろんな思い出があるな。
お母さんが作ってくれた豚肉とネギのお吸い物のようなスープ。
あれは絶品だった。自分が新潟へ行く都度、自分が作ってくれるように
頼んでいたので、近年では「おめぇが来るすけ、また作っておいたわね
」と。
娘にあたる自分のイトコもあのスープはお母さんにしか出来ないと
言っていたぐらい、絶品だった。
自分が6歳ぐらいの時だったかな、
のキャディをしていた
叔母のカントリークラブの社員旅行に新潟から東京まで付いていったり。
年号が「平成」に変わった日も本家の叔父とお母さんと
早朝
したり。
お棺に納められたお母さんが自分の結婚披露宴に出る為に
作った100万円の着物を着てくれていたのも嬉しかった。
告別式の最後のお別れの際に声を掛けていた親族の中で
自分が一番長く声が大きかったらしい(って後で孫達に指摘され
)
本当に有難うね・・・可愛がってくれて。
お母さん。


ここ1週間ドタバタと忙しく・・・・・
実は先週の日曜日に新潟の叔母が亡くなり、水曜日の告別式まで

叔母は母方の兄嫁なのですが、自分が幼少の頃から夏休みなどは
その新潟の親戚

「お母さん」と呼んでいて、甥にあたる自分を本当に息子のように
接してくれていたので。
最後に話が出来たのが、先月の中旬頃に急遽

入院中の叔父を見舞った後、約30年振りに乗った新潟交通の
路線バスで叔母が入院していた脳外科病院に向かい、寝ていた叔母が
自分が来たのに気付き、自分の顔を見た途端、「あっ、○○(←自分の本名)、
おめぇ、カネあるんけ?」と。「そんな事気にしなくていいわねぇ!
難儀かね???(新潟弁)」と自分。
これが最後だったかな、まともに話が出来たのは。
翌日再度見舞った時は「東京に帰るよ、また来るね」と自分が話しても
頷いていただけで。
叔母の孫達(自分のイトコの子供達)にその事を話したら、
「おばぁちゃまらしいね」と笑っておりましたが。
もうねぇ、ほんといろんな思い出があるな。
お母さんが作ってくれた豚肉とネギのお吸い物のようなスープ。
あれは絶品だった。自分が新潟へ行く都度、自分が作ってくれるように
頼んでいたので、近年では「おめぇが来るすけ、また作っておいたわね

娘にあたる自分のイトコもあのスープはお母さんにしか出来ないと
言っていたぐらい、絶品だった。
自分が6歳ぐらいの時だったかな、

叔母のカントリークラブの社員旅行に新潟から東京まで付いていったり。
年号が「平成」に変わった日も本家の叔父とお母さんと
早朝

お棺に納められたお母さんが自分の結婚披露宴に出る為に
作った100万円の着物を着てくれていたのも嬉しかった。
告別式の最後のお別れの際に声を掛けていた親族の中で
自分が一番長く声が大きかったらしい(って後で孫達に指摘され

本当に有難うね・・・可愛がってくれて。
お母さん。