私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

地球のカルマ2

2010年03月04日 | 日々つつがなし
しかし、実のところ、この“善人”である、という事が
問題であって・・・。

というのは、「善人」がいるということは、
「悪人」がいるということです。


「善人」を作ってしまったがために、
「悪人」が出来てしまうのです。

ジレンマですが・・・。


本当は、私達には、「いい」と思われる部分と、
「これはちょっと・・・」と思う両方の部分があるはずです。

完璧な善人、完璧な悪人というのは、
おそらくお目にかかったことはないでしょう。
(まあ、たまにはいるんでしょうけど)


けれど、私達はなぜか、この悪感情、
私達が単にこれは「わるい」と思っている感情を
抱いてしまうと、その瞬間、その気持ちを抹殺しようとする
動きがあるのです。

悪いとは、嫉妬とか、憎しみとか、怒り、悲しみ、苦しみ、不安、心配、
恐怖とか・・・まあ、ありとあらゆる「わるい」とされている感情です。

けれど、どうも・・・これらの感情と向き合うことができないような、
そんなシステムになっているのではないかと思いました。
(それが地球のカルマと言うものでは・・・?)


でもこれらは本当に「わるい」感情なのでしょうか?
果たして感情に、「いい」も「わるい」もあるのでしょうか?

分かりません。

でも少なくとも、これらの感情だって、大切な私達の一部には
変わりないでしょう。

これらの感情にずっと蓋をして、見ない振りをしてきたがために、
苦しんでいるということもあるのです。


問題はこれらの“感情”にあるのではなく、
これらの感情を感じさせないようにしている
この“システム”自体に問題があるのではないかと
今、考えています。



例えば、「あいつ、ムカつく」では、
一見すると、「あいつ」のせいで、
嫌な気持ちになっているように思いますが、

実のところ、この気持ちに、
「あいつ」は全く関係なく、

私達一人一人の心にある“許せない”という
ことが嫌な感情を引き起こしているのです。


つまり、自分が「わるい」感情を持っていること自体が、
もう“許せない”のです。

私達は、あまりにも“善人”すぎて、
自分たちの「わるい」と思われる部分を受け入れられないのです。

そうして、逆に、そういう感情を抱いてしまった自分を、
今度は許せなくなってしまうのです。
(何故なら、“善人”なので・・・)


そうして、どんどん、どんどん、許せない自分が増えてくるのです。

そうして、「わるい」感情を抱く度に、自分でも気づかないうちに、
(まあ、知らず知らずのうちに)、自分を責めるようになってしまうのです。

(この気づかないとか、知らぬ間に、というのが
ミソです。怖いところです・・・)

なので、本当はこの“自責感”が問題なのです。


でも、この「許せない」自分をどんどん、どんどん、
「許して」いかなければなりません。

でなければ、私達は“悪人”である、ということになり、
今度は、自分が“悪”であることを証明しなければならなく
なってしまうのです。

(逆説のようですが、自分には“悪”の部分もあるということを認められないと、
今度は自分はとんでもない“悪人”であるということになってしまうのです)

私は世の中を騒がせる“悪人”と言われる人たちの中には、
こういう気持ちがあるのではないか思います。

「わるい」考えをもってしまった自分は、もう“善人”ではない。
“悪人”だ。

もう元に戻れないなら、徹底的に、
自分の「悪」を証明してやれ、
みたいな・・・。

なので、この「わるい」とされている感情を、
本当は普通のことなんだよ、として、
受け入れていかねばならないと思います。
(ストッパーに負けずに)。


私達には、本当は、“善”も“悪”もない。

その存在自体が貴重なのだ。


ということに気づき、

この「地球のカルマ」を解消していけたらいいなあ~と

そんなことを思いました。


(すみません・・・ちょっと分かりにくかったかも・・・?)


☆それではおやすみなさ~い。



小さなホン屋パモン堂










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