私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

“罰しなさい”“罰しなさい”

2010年03月13日 | 最近思うこと

夕べ、ふと思い出して「聖書」を開いてみた。
調べ物をするために、読んだのだが、

昔、自分が赤線をして、チェックした箇所に目がいった。

そこはどういうところかと言うと、

人はちゃんと生きていないと、
最後の審判のときに、“罰”が下る

というような所だった。


その時は、ふ~ん・・・と思ったのだけれど、
一晩あけてみて思うことは、

やはり私たちは、この「罰が下る」という
言葉に脅されて生きているんだなあ~・・・と
思ったことだった。


これはたまたま「聖書」を読んだから、
そう思っただけで、
仏教でも、イスラム教でも、
読んだことはないけれど、
似たようなことが書いてあるのではないかと思った。
(すんません・・・あくまで推測)


何か“神”が人間を“罰”するという
ことを教える宗教が多い気がします。


私はあまり好きではないのですが、
「業」とか「原罪」とか、

なんだかこんなおどろおどろしい言葉で、
人間を縛っている気がするのです。


これは例えていえば、「人類の病」とでも言いましょうか、
何かこの“脅し”で人を支配しているような気がするんですよね。

“あなたには、生まれ持って悪い性質があるので、
そこを直さなければ、神さまから罰が下りますよ”

とか、

“あの人は業が深いので、酷い目に遭っているんだ”

とか、

おいおい、勝手に決め付けないで欲しいよォ~なんて
思うことが、今までは平然とまことしやかに言われていたんだなあ~
と思ってしまいました。

(みんながそれを信じていたので、―共通の認識としてあったので―
“人類の病”となってしまったのでしょう)

どうも、私たちは、事あるごとに、

自分を

“罰しなさい”“罰しなさい”

と言われているようです。



でも本当にそうなのか?

というところから検証していかなければなりませんよね。

神さまは本当にそんな地獄の閻魔大王のような審判をするのか、

とか

生まれながらにして、罪があるって・・・どういうこと?
業って何?

などと、鵜呑みにしないで、考えていかなければなりませんよね。


そんなことを思いました。



反対に、“罰が下る”と思わなければ、
人間ってちゃんと生きてはいけないのか?

という疑問も生まれます。

(そんなに人間ってダメなの?)


“罰”が下ろうと下るまいと、
ちゃんと生きていけるのが、
人間という生き物ではないのかな?
と思ってしまいました。


もう“脅し”はいらないですよね。

なんだかそんな時代は終わった気がしました。




☆それでは今日もよい一日でありますように。

小さなホン屋パモン堂








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