いい香りですね~。
春らしくなってきました。
今、「本が死ぬところ暴力が生まれる
―電子メディア時代における人間性の崩壊」(バリー・サンダース著)
という本を読んでいます。
もう長いこと図書館から借りっぱなしなので、
よく行く図書館の司書からは“返せ、返せ”
とうるさく言われているんですが・・・。
たまたま週末に、『26世紀青年』(邦題)
という映画を観たのですが、この本のテーマとも
重なり、とても面白いものでした。
映画では、500年後の未来にIQフツーの青年が、
冷凍睡眠で飛ばされるというものなのですが・・・。
その世界では、IQの低い人たちの子孫ばかりが増えて、
おバカでゴミだらけの世界になっているのです。
(高学歴の人たちは、子どもを産まなくなってしまっている・・・)
これはおそらくアメリカの今の現状と照らし合わせて
思いついたのではないかと思うのですが、
この本の中にも、似たようなアメリカ社会の現状がでてくるのです。
アメリカでは都市部の貧困層を中心に、
文字が読めない、書けないという子ども達が
増えているのだそうです。
そういう子ども達は、学校に居場所がないために、
ショッピングセンターなどにたむろして、ギャングの仲間に
なってしまうということです。
そこでは日常的に、暴力があふれていて、
かなしいかな、自分は大人になるまでに
銃で殺されてしまうだろうと考える子どもが
多いのだそうです。
それでは、何故、そんな子ども達が増えたのか?
というのが、この本のテーマなんですけれども・・・。
(まだ途中でなんとも言えないのですが・・・)
どうも、貧困層の親、特に母親たちは、
子供が生まれても外に働きに出なければならなくて、
テレビなどのメディアに子守をさせてきたことが
背景にあるようなのです。
子ども達が学校へ上がって、
文字を読んだり書いたりする為には、、
何も学校で教わるのが初めてではなくて、
その前段階として、
濃密な関係の中、この場合は、
とくに母親?との関係の中に、会話があること
―話したり、話しかけられたり―
というコミュニケーションがなければ、
次の段階、文字を読んだり、書いたりするということを、
習得するのは難しいのだそうです。
そして、テレビや映画、ゲームなどの
映像メディアにさらされていると、
例えば、暴力シーンなどがとても
リアルにインプットされてしまうのだそうです。
(現実感のないリアルな世界ということなのでしょう)
・・・・・・。
本を読まなくなったのではなくて、
本が読めないということ。
そして、本を読めないと、
自分を一度離して見るということが
できないので、
自我が育たない。
自我が育たないと、
相手に共感する能力も生まれてこないということらしいのです。
なのでいとも簡単に人を殺してしまいます。
でも彼らには人を殺すという感覚はありません。
(共感性―想像力がないからです)
なので彼らは、「ゴミを片付けた」とか「バラす」
などの言葉を遣うのだそうです。
(やはり現実感がないのでしょうね)
ただ、こちらはとても分かりやすい若者たちですが、
一見成功しているように見える若者たちの中にも、
空虚感を抱えている者がいるということで・・・。
そういう青年たちは、スポーツカーや恋人を
選ぶように、最新モデルの自動小銃や高級な銃を選び、
いつも側に置いておくのだそうですが・・・。
まあ、これは銃社会のアメリカならではの
お話なのかとも思いますが、
識字文化の前に、口承文化、
―すなわち、お話を聞かせたり、言い伝えを聞かせたりすること―
がいかに大切なのかを感じさせられました。
我が家の子どもはもう大きいので、
遅いのですが・・・
子どもが小さい時に、知っていたらなあ~
なーんて思いました。
まあ、母子の触れ合いは、自然に話しかけたりとか、
肌をくっつけたりということなので、
それでいいということだったのでしょうね。
そんなことを感じました。
☆それでは今日もよい一日でありますように。
小さなホン屋パモン堂
春らしくなってきました。
今、「本が死ぬところ暴力が生まれる
―電子メディア時代における人間性の崩壊」(バリー・サンダース著)
という本を読んでいます。
もう長いこと図書館から借りっぱなしなので、
よく行く図書館の司書からは“返せ、返せ”
とうるさく言われているんですが・・・。
たまたま週末に、『26世紀青年』(邦題)
という映画を観たのですが、この本のテーマとも
重なり、とても面白いものでした。
映画では、500年後の未来にIQフツーの青年が、
冷凍睡眠で飛ばされるというものなのですが・・・。
その世界では、IQの低い人たちの子孫ばかりが増えて、
おバカでゴミだらけの世界になっているのです。
(高学歴の人たちは、子どもを産まなくなってしまっている・・・)
これはおそらくアメリカの今の現状と照らし合わせて
思いついたのではないかと思うのですが、
この本の中にも、似たようなアメリカ社会の現状がでてくるのです。
アメリカでは都市部の貧困層を中心に、
文字が読めない、書けないという子ども達が
増えているのだそうです。
そういう子ども達は、学校に居場所がないために、
ショッピングセンターなどにたむろして、ギャングの仲間に
なってしまうということです。
そこでは日常的に、暴力があふれていて、
かなしいかな、自分は大人になるまでに
銃で殺されてしまうだろうと考える子どもが
多いのだそうです。
それでは、何故、そんな子ども達が増えたのか?
というのが、この本のテーマなんですけれども・・・。
(まだ途中でなんとも言えないのですが・・・)
どうも、貧困層の親、特に母親たちは、
子供が生まれても外に働きに出なければならなくて、
テレビなどのメディアに子守をさせてきたことが
背景にあるようなのです。
子ども達が学校へ上がって、
文字を読んだり書いたりする為には、、
何も学校で教わるのが初めてではなくて、
その前段階として、
濃密な関係の中、この場合は、
とくに母親?との関係の中に、会話があること
―話したり、話しかけられたり―
というコミュニケーションがなければ、
次の段階、文字を読んだり、書いたりするということを、
習得するのは難しいのだそうです。
そして、テレビや映画、ゲームなどの
映像メディアにさらされていると、
例えば、暴力シーンなどがとても
リアルにインプットされてしまうのだそうです。
(現実感のないリアルな世界ということなのでしょう)
・・・・・・。
本を読まなくなったのではなくて、
本が読めないということ。
そして、本を読めないと、
自分を一度離して見るということが
できないので、
自我が育たない。
自我が育たないと、
相手に共感する能力も生まれてこないということらしいのです。
なのでいとも簡単に人を殺してしまいます。
でも彼らには人を殺すという感覚はありません。
(共感性―想像力がないからです)
なので彼らは、「ゴミを片付けた」とか「バラす」
などの言葉を遣うのだそうです。
(やはり現実感がないのでしょうね)
ただ、こちらはとても分かりやすい若者たちですが、
一見成功しているように見える若者たちの中にも、
空虚感を抱えている者がいるということで・・・。
そういう青年たちは、スポーツカーや恋人を
選ぶように、最新モデルの自動小銃や高級な銃を選び、
いつも側に置いておくのだそうですが・・・。
まあ、これは銃社会のアメリカならではの
お話なのかとも思いますが、
識字文化の前に、口承文化、
―すなわち、お話を聞かせたり、言い伝えを聞かせたりすること―
がいかに大切なのかを感じさせられました。
我が家の子どもはもう大きいので、
遅いのですが・・・
子どもが小さい時に、知っていたらなあ~
なーんて思いました。
まあ、母子の触れ合いは、自然に話しかけたりとか、
肌をくっつけたりということなので、
それでいいということだったのでしょうね。
そんなことを感じました。
☆それでは今日もよい一日でありますように。
小さなホン屋パモン堂