ちょっと気になったので、
ここに記しておきますね。
「キャンディ キャンディ」と言っても、もう分かる人も少ないと思いますが、
私の子どもの頃のバイブルのような少女漫画です。
孤児院育ちのキャンディが成長する物語なのですが、
このキャンディをいじめるキャラクターがいるのです。
それがお金持ちの兄妹。
ニールとイライザです。
こいつら、お金持ちを鼻にかけて、キャンディを色々といじめてくれるのですが、
長じてから、なんとニールはキャンディを好きになってしまうのです。
それも面白いのですが、
「俺(様)を好きになるのは当然だろう?」という態度なのです。
あんだけいじめたのに?
と読者は思うのですが、
そうも思うのですが、
実は私は、このニールの態度にコロッと参ってしまったのです…。
ヘンでしょう?だって相手は自分をいじめていた奴ですよ?
なのに、「俺様を愛さなくてどうする?」みたいな態度を取られたら、
主人公のキャンディはまったく意に介さなかったのに、
一読者の私は、「ニール、可哀そう…」ってなっちゃったんです。
なんだか、自分を好きになってくれた人を裏切っては悪いような…気持ちですね。
そうなっちゃったんです。
それで、この間から、なんだかこのシーンが何度も甦ってきて、
どういう事だと考えていたのですが…、
ようやく分かりましたよ。
私、〝自分軸〟で生きていなかったのです。
相手に合わせる事ばかり考えていたのです。
それが〝愛〟だと思い込んでいたんです。
だから、キャンディは見向きしなかったニールに、
私は、惚れちゃったんです。
「愛してあげないと可哀そう…」
という同情婚なんですよね。
(だって私の事、好きなのに…)
と、そんな事を思ってしまいました。
私、今までの人生が全てそうなんですよ。
相手に合わしまくり。
友人関係だって、わがまま言ったことないですよ。
全部こちらが受け身になって、折れてきたんです。
(だからすごい、〝いい人〟って言われてました。)
でも、それってやっぱりおかしいですよね。
いびつな関係だと思います。
もちろん、元夫との関係だって、そう。
今の片思いのあの方にだって、そうです。
私が合わせているんですよ。
それにようやく気がついたのです。
だから息ぐるしくて、別れる羽目になったんだよな~と。
だから、やっぱりこれからは、
自分の意見を大事にしなくっちゃな~。
自分中心。
〝自分軸〟で物事を考えていきていかなきゃだめだな~と思ってしまいました。
でないと、新しいパートナーができても、また別れる羽目になる、
と、そう思いました。
深いですね、人間関係は。
心してかからなければ…。
ちなみになんでこれを思い出したかと言うと、
友人に離婚の事を話したら、
「もっともっと苦しめ、あんないいご主人を苦しめた罰よ」と言われたからです。
もちろん、冗談でですが…。
でも、
その時、え?と思ったんですが、
そうなんですよね。
自分軸で生きていないと、愛されていた方が、
なんか悪い事をしているような気持ちになっちゃうんですよね。
相手軸で生きている人にとっては、今回の事は、
私の単なるわがままに見えるんでしょうね。
本当は、やむにやまれぬ事情があるのですが、
それは見えない。
ただ、〝愛〟を袖にした方が悪く見られるという、
まさにニールとキャンディ状態だったのです。
そう思いました。
ま、面白いですね。
人って。
このテーマ、まだまだ奥が深そうです。
☆それでは今日もよい一日を。