弟と縁が切れたような気がします。
色々と確執があったけれど、
もう彼らとの関係は無くなったのだと、
そう思いました。
縁が切れたと言っても、
別にどうもなりません。
それだけの事です。
相手は相手で幸せに生きて欲しいと思います。
鹿児島で、祖母の墓参りをしたら、
父が一番手前におりました。
にこにこ笑っていました。
その側に母がいて、
後ろに祖母がいました。
その父が笑いながら、弟たちが落ちていくのを見ているのです。
それは馬鹿にして笑っているのではありません。
それでいいのだと言うことです。
弟たちはその選択をしました。
だから、その気持ちを尊重するという事です。
それがたとえ、地獄へ落ちる選択だったとしても、弟がそれを選ぶのなら、それでいいと言うのです。
今回父と弟を通して感じた事は、
人間にとって何が一番大事なことかと言う事です。
人間にとって、一番大切な事は、
自立すること
だと思いました。
自分の足で歩いていくこと、
誰にも頼らずに。
精神的にも
肉体的にも
経済的にも
我々人間にとって一番大切な事は、
自立だと、思いました。
父は生前、弟に自立する事をさせずに、
自分の子飼いのように守ってきました。
それは弟の能力では、生きていけないと感じていたからでしょう。
自分のコネで就職させたり、金銭的にも困らないように援助してきました。
駐車場を買ったり、家賃収入をあげたりしていました。
それがアダとなったのです。
本当は突き放すのも、大きな愛だったのです。
スポイルする事だけが愛ではなかった。
その辺りを履き違えていました。
結局、弟は五十を過ぎても甘ちゃんで、一人では何も決められない、判断出来ないという情けない大人になってしまいました。
そして、意見する者にも、牙を剥くように。
素直な性格だったのに、今では相手の財産ばかりを狙うようになりました。
まるで、遺産相続ビジネスです。
働くのが嫌いで、遺産が入るなら、それを当てにして生きていこう、という風になっていったのです。
それは全て父の甘やかしが原因でした。
遅ればせながら、父もそれに気づいたようで、
お父さん、それでいいの?
と私は何度も聞いたのですが、
やはり父は笑いながら、
うん
とだけ、言うのです。
父は弟達が地獄へ落ちても、人間としての気持ちに目覚めたくれたらそれでいいと思っているようです。
ちなみに地獄はそんなに恐ろしいところではありません。
私たちが思う地獄は、私たちの想念が見せているだけの幻想です。
実際は痛くも痒くもないのです。
けれどそれに囚われているからそう感じるだけであって…。
なんちゃら地獄などで散々苦しんで、ようやく目が覚めた時に、これは幻だったのだと気がつくのです。
気がついたら、地獄は消えます。
全ては私たちの罪悪感が見せている映像だからです。
なので、弟達はそこで修行をする事になりました。
まあ、あくまで私のイメージの中でのお話ですが。
そうして私とのご縁も切れました。
前世での関わりも感謝して手放しました。
ありがとうございます。
もうこれで、私の方も心置きなくあの世へ逝けます。
ありがとう
ありがとう
〇〇君(弟の名前)
前世では私を死に至らしめてくれました。
また、別の世では私の苦しみを軽減するために自ら手を汚してくれた事もありましたね。
感謝しております。
今回の事は、誰もあなたを責めてはいませんよ。
どうぞ安心してください。
けれど、そういうことになったので、
その結果は受け取らないと…。
大丈夫。
また、修行が終われば帰って来れますからね。
それではいってらっしゃい。
南無三宝南無三宝。
☆それでは今日も良い一日を。