私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

沈丁花

2010年03月16日 | 日々つつがなし
いい香りですね~。
春らしくなってきました。

今、「本が死ぬところ暴力が生まれる
―電子メディア時代における人間性の崩壊」(バリー・サンダース著)

という本を読んでいます。

もう長いこと図書館から借りっぱなしなので、
よく行く図書館の司書からは“返せ、返せ”
とうるさく言われているんですが・・・。




たまたま週末に、『26世紀青年』(邦題)
という映画を観たのですが、この本のテーマとも
重なり、とても面白いものでした。

映画では、500年後の未来にIQフツーの青年が、
冷凍睡眠で飛ばされるというものなのですが・・・。

その世界では、IQの低い人たちの子孫ばかりが増えて、
おバカでゴミだらけの世界になっているのです。
(高学歴の人たちは、子どもを産まなくなってしまっている・・・)

これはおそらくアメリカの今の現状と照らし合わせて
思いついたのではないかと思うのですが、

この本の中にも、似たようなアメリカ社会の現状がでてくるのです。

アメリカでは都市部の貧困層を中心に、
文字が読めない、書けないという子ども達が
増えているのだそうです。

そういう子ども達は、学校に居場所がないために、
ショッピングセンターなどにたむろして、ギャングの仲間に
なってしまうということです。

そこでは日常的に、暴力があふれていて、
かなしいかな、自分は大人になるまでに
銃で殺されてしまうだろうと考える子どもが
多いのだそうです。

それでは、何故、そんな子ども達が増えたのか?

というのが、この本のテーマなんですけれども・・・。

(まだ途中でなんとも言えないのですが・・・)

どうも、貧困層の親、特に母親たちは、
子供が生まれても外に働きに出なければならなくて、
テレビなどのメディアに子守をさせてきたことが
背景にあるようなのです。

子ども達が学校へ上がって、
文字を読んだり書いたりする為には、、
何も学校で教わるのが初めてではなくて、

その前段階として、
濃密な関係の中、この場合は、
とくに母親?との関係の中に、会話があること

―話したり、話しかけられたり―

というコミュニケーションがなければ、
次の段階、文字を読んだり、書いたりするということを、
習得するのは難しいのだそうです。


そして、テレビや映画、ゲームなどの
映像メディアにさらされていると、
例えば、暴力シーンなどがとても
リアルにインプットされてしまうのだそうです。

(現実感のないリアルな世界ということなのでしょう)


・・・・・・。

本を読まなくなったのではなくて、
本が読めないということ。

そして、本を読めないと、
自分を一度離して見るということが
できないので、

自我が育たない。

自我が育たないと、
相手に共感する能力も生まれてこないということらしいのです。

なのでいとも簡単に人を殺してしまいます。

でも彼らには人を殺すという感覚はありません。
(共感性―想像力がないからです)


なので彼らは、「ゴミを片付けた」とか「バラす」
などの言葉を遣うのだそうです。
(やはり現実感がないのでしょうね)


ただ、こちらはとても分かりやすい若者たちですが、
一見成功しているように見える若者たちの中にも、
空虚感を抱えている者がいるということで・・・。

そういう青年たちは、スポーツカーや恋人を
選ぶように、最新モデルの自動小銃や高級な銃を選び、
いつも側に置いておくのだそうですが・・・。

まあ、これは銃社会のアメリカならではの
お話なのかとも思いますが、
識字文化の前に、口承文化、
―すなわち、お話を聞かせたり、言い伝えを聞かせたりすること―
がいかに大切なのかを感じさせられました。


我が家の子どもはもう大きいので、
遅いのですが・・・

子どもが小さい時に、知っていたらなあ~
なーんて思いました。



まあ、母子の触れ合いは、自然に話しかけたりとか、
肌をくっつけたりということなので、
それでいいということだったのでしょうね。


そんなことを感じました。





☆それでは今日もよい一日でありますように。


小さなホン屋パモン堂


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桜の花が咲きました

2010年03月15日 | 日々つつがなし
我が家のさくらの花が咲きました。

染井吉野より、毎年2週間くらい早いのですが、
もう週末には満開になってしまいました。

咲くとあっという間に散ってしまうんですよね~。


なんだかあわただしいこの時期です。





★それでは今日もよい一日を。



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“罰しなさい”“罰しなさい”

2010年03月13日 | 最近思うこと

夕べ、ふと思い出して「聖書」を開いてみた。
調べ物をするために、読んだのだが、

昔、自分が赤線をして、チェックした箇所に目がいった。

そこはどういうところかと言うと、

人はちゃんと生きていないと、
最後の審判のときに、“罰”が下る

というような所だった。


その時は、ふ~ん・・・と思ったのだけれど、
一晩あけてみて思うことは、

やはり私たちは、この「罰が下る」という
言葉に脅されて生きているんだなあ~・・・と
思ったことだった。


これはたまたま「聖書」を読んだから、
そう思っただけで、
仏教でも、イスラム教でも、
読んだことはないけれど、
似たようなことが書いてあるのではないかと思った。
(すんません・・・あくまで推測)


何か“神”が人間を“罰”するという
ことを教える宗教が多い気がします。


私はあまり好きではないのですが、
「業」とか「原罪」とか、

なんだかこんなおどろおどろしい言葉で、
人間を縛っている気がするのです。


これは例えていえば、「人類の病」とでも言いましょうか、
何かこの“脅し”で人を支配しているような気がするんですよね。

“あなたには、生まれ持って悪い性質があるので、
そこを直さなければ、神さまから罰が下りますよ”

とか、

“あの人は業が深いので、酷い目に遭っているんだ”

とか、

おいおい、勝手に決め付けないで欲しいよォ~なんて
思うことが、今までは平然とまことしやかに言われていたんだなあ~
と思ってしまいました。

(みんながそれを信じていたので、―共通の認識としてあったので―
“人類の病”となってしまったのでしょう)

どうも、私たちは、事あるごとに、

自分を

“罰しなさい”“罰しなさい”

と言われているようです。



でも本当にそうなのか?

というところから検証していかなければなりませんよね。

神さまは本当にそんな地獄の閻魔大王のような審判をするのか、

とか

生まれながらにして、罪があるって・・・どういうこと?
業って何?

などと、鵜呑みにしないで、考えていかなければなりませんよね。


そんなことを思いました。



反対に、“罰が下る”と思わなければ、
人間ってちゃんと生きてはいけないのか?

という疑問も生まれます。

(そんなに人間ってダメなの?)


“罰”が下ろうと下るまいと、
ちゃんと生きていけるのが、
人間という生き物ではないのかな?
と思ってしまいました。


もう“脅し”はいらないですよね。

なんだかそんな時代は終わった気がしました。




☆それでは今日もよい一日でありますように。

小さなホン屋パモン堂








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あぁ・・・

2010年03月12日 | 日々つつがなし

お腹空いたあ~・・・。

これから少し、PCに向き合います。





★それでは今日もよい一日を



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「ハート・ロッカー」 「渇き」

2010年03月11日 | こんな映画を見た
本年度アカデミー賞を受賞した
「ハート・ロッカー」を見てきた。

平日の朝にも関わらず、満席で、
立ち見となってしまった・・・。
(何年ぶりだろう?)

イラクに派遣された爆弾処理班の話なのですが、
この「ハート・ロッカー」ってどういう意味なのかな?

と、観ながら、ずっと考えていました。

 ↓

ハート・ロッカーの意味

一応、「棺桶」とか、「心の痛み」とか・・・そのような意味があるそうですが、
私は、「心に蓋をする」「鍵を掛けて、この現状をみないようにする」
という意味なのではないかと思ってしまいました。

毎日毎日、生死の分かれ目にいて、その緊張が持続してしまう生活・・・。

精神的にも正気と狂気の境目にいるような状態・・・。

そんな状態の心に鍵を掛けて、見ないようにしてしまっているのでは
ないかと思いました。


とにかくうんざりします・・・。
この状況に。

何が正義かなんて分からなくなってしまいます
(そんなこと考えたら、心が死んでしまいます)。


私が一番、印象に残ったのは、
ある仕事が終わったあとに、家族の元へ電話を掛ける
主人公の姿。

でも、妻の声が聞こえてくると答えずに、切ってしまうのです。


後腐れがないように、離婚してきたのに、
それでももう最期だというような体験をすると、
頼りたいのは、妻の声、家族だったということに
私は心を揺さぶられました。


私の隣にいた方は、
主人公たちが、「もう辛くてどうしようもない」と
会話の中で吐露する場面で、独身の兵士が、

「俺は子どもが欲しい。子どもが持ってみたかった。
男の子が欲しい」と言う所で泣いていました。

(なんせ立ち見ですぐ側にいたもので・・・)

映画が終わり、その方を見ると、
身なりのよい中年男性で・・・
色々な思い入れがあったんだろうな・・・と思います。


ただ、問題は、戦場から帰ってきてからです。

主人公が妻に話すのは、戦場の話ばかり。

それも、

「その時、市場にトラックが突っ込んできて、爆破して・・・」

なんて話を延々と聞かされるのです。

私は果たして、こういう夫を支えられるかな?と思いました。

(けれど、これが戦争とは縁の切れないアメリカの現状なんでしょうね)


War is a drug

という冒頭の言葉が心に残りました。

言葉通り、神経が麻痺してしまうような衝撃的な映画でした。

「ハート・ロッカー」



その次に観たのが、同じ映画館でやっていた「渇き」です。

「渇き」

「JSA」や「オールド・ボーイ」を撮ったパク・チャヌク監督の作品です。


この映画は・・・
う~ん・・・

まだ今年が始まったばかりで恐縮ですが、
(私の中では)今年のワースト1
ぐらいには入るのではないでしょうか?

とにかく・・・ヒドイ・・・です。
訳分かりません・・・。

主人公の神父がある感染症の人体実験に応募するのですが、
まずその意味がよく分からない・・・。

自殺願望があるとしか思えない。

しかも、ここに出てくるキリスト教の描き方が、
“病んで”いて・・・これ、本当なの?
(韓国はクリスチャンの国とは言うけれど、
どちらかというと、儒教じゃないの?これ?)
とか思ってしまいました。

とにかくよく分からないづくめで、
物語は進行していきます。

最終的には、「火曜サスペンス」と吸血鬼ものが
合体したようなお話で、
最後まで、こりゃ一体なんなんだー!?
と思ってしまいました。
(何が言いたいのかよく分からない)

この映画を観ているうちに、
ふと、私には“獣道”という言葉が浮んできましたよ~。

まったく、人はどこまで獣になれるのか?って感じです。



「JSA」のような人間ドラマを期待していると、
手酷い目に遭います。

「オールド・ボーイ」も「?」だったのですが、
この「渇き」はもっとヒドイ・・・。

なんでこんなに面白くないのかと
夕べからずっと考えていたのですが、

やっぱりこの監督の提示してくる「ギャグ」感覚が
わたしらおばさんにはさっぱり分からないからなんだろうなーと
思いました。

というのは、観終わったあと、
おばさんたちが話しているのを聞くと、
「なに?あの監督」と憤激している様子が
伺えたからです。

私らが古いのか、この監督のギャグセンスが
特異なのか・・・
それは分かりませんが、

映画を普遍なものにするためには、
もうすこし、分かりやすいセンスでお願いしますよ、監督・・・
とか思ってしまいました。

まあ、文句ばかり書いてしまいましたが、
このセンスが面白いという人だっているかもしれませんからね。
ぜひご意見を伺ってみたいと思います。

(ちょっとお化け屋敷にいるような感じです。
どうだ怖いだろ?エゲツないだろう?
もっと怖がれ、気味悪がれ、ヒヒヒ・・・みたいな)

ま、B級映画、ばんざーい!ってことで・・・。




☆それでは今日もよい一日を。


小さなホン屋パモン堂
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