今年の一年

2011-12-27 21:26:58 | インポート
これはもうなんといっても3月11日以前と以後では大変な違いだ。

3月11日を境にして、かなりの期間、外出恐怖症のようになって、歩いて帰れる範囲以上のところに出かける気がしなかったものだ。いまだに部屋の中にはあの日の被害の跡がそのまま残っている。扉のガラスが落ちて応急処置のままの食器棚だ。

人間いつどこでどんなことになるかわからないという思いが心の奥にしっかり根を張っていて、普段持ち歩いているバッグの中身が増えて重くなった。いざというときに何とかこれだけは手元にあったほうがよさそうな物を持ち歩いているからだ。もっともこれも命が助かればだが。

自分の基本的な生きる姿勢といったものも本気で考えざるを得なくなった。地震も津波も、原発の事故もいきなりの予想をはるかに超えた規模で起こったわけで、いくら人間が自分で対策を考えていてもいざとなれば果たしてどうなるかはわからないのだ。

そして年末近くなって、知人が末期がんで大手術を受けた知らせがあった。日本列島で言えば東京から秋田のほうまでガンが広がっていた状態だったそうだ。大手術と新しい化学療法で、とりあえず退院して帰ってきている。勿論、治ってほしいのだが、へたをするとこの先何があっても不思議はなさそうだ。

子供のころから父がいつもよく「闇の夜に 啼かぬ鴉の声聞けば 生まれぬさきの父母ぞこいしき」と言っていた。本当に人間はちっぽけだ。昔ある映画評論家の先生が、みんな生まれる前は空気だった、どこにもいなかったと言っておいでだった。まさに、闇の夜に啼かぬ鴉の声聞けば・・・だ。そんなちっぽけな存在が、まるで自分がこの世界の中心のように思って生きている。それはなんと不思議なことなのだろうか。

ちっぽけな自分の一生、それも中高年期の残り物のような時間。それでも何かの役に立てられたらと思わずにはいられない。