友情というかなんというか、ご縁があっての不思議な結びつき、というしかないが初めて出会った時からもうかれこれ35、6年になる同性の古い友達がいる。年末の、それもイブの前日に彼女の大病を知って、心から心配しているところだ。
若い時、初めて出会った頃の彼女は大変な美女だった。お洒落で着道楽でなんでも一流のものが大好きで、まるで私と正反対。それでいていろいろな面でお互いにすごくよく似ているのだった。
大きな違いはたぶん私はお父さんっ子の娘で、父から受け継いできたものが内面をつくっていたところにあったと思う。彼女のほうがお姉さんなのだが、なぜか時々二人の関係は逆転する。お互いに相手にあって自分にない部分で支えたり、支えられたりしているのだ。ユング心理学でいう相補性というところか。
なんというか他人なのに身内?のような人。あまりに近すぎて相手をわかりすぎるから、大事な人なんだ?けど普段はあまり近寄りすぎると腹が立ってくる、人生のライバル?にして自分自身の半分のような本物の重要な友達。お互いに年を取?ってきて、そろそろ一緒にいても周りから外見で比較されることも?少なくなってきて、引き立て役は終わりだろうと思ったら、彼女の?方は大病になってしまった。私の一部のような大切な人が。
その大病の友人が来年の1月6日にはまた病院に入院して、抗がん点滴療法の続きを受けると聞き、それならぜひ一番近い松戸教会の神父様にお願いして癒しの秘蹟(終油の秘蹟)を授けていただくようにと伝えた。あの秘蹟は別に助からない人が受けるのではなくて、病気の重い人も受けられるのだと説明したのだ。で、当人もお願いしてみると言っていた。
ルルドのお水、このあいだ四谷で見た時にやっぱり手に入れておけばよかったと今にして後悔しきり。ドン・ボスコならいつでもいけるからと後回しにしたのは失敗だった。松戸教会の神父さまは存じ上げないが、松戸教会に知り合いのいる友達がこの話を伝えてくださったそうだ。あの人はすぐに無理をして、元気な頃と同じように動いてしまうのだけれど、重い病気を抱えているので、もし、松戸教会に彼女が行ったら、周りはなるべく静かに見守っていただけたらと願っている。彼女の体調が守られて松戸の元旦の14時のミサに行けますように。