※ このブログはカトリック信者で『相棒』のファンのおばはんが自分の身の回りの出来事、信仰、そして『相棒』に関したことを書いているので、おかしないたずらはやめてください。困ります。
こんばんは~、マリーで~す。
今日は一日中あんまりお天気が良くなくて、うちのおばはんもずっとおうちにいたのよね。何をしてたかっていうと、一生懸命小麦粉をこねて、練り粉を玉にして15に分けて冷凍保存したり、片栗粉と砂糖ときな粉で簡単で保つお菓子をつくったりよ。あの人、昨日、珍しくお値段の張る食事をしてきた分、当分は毎日手作りのパンやうどんの日々になるのよね。これから暮れは何かとお付き合いもあるし、頭痛の種みたいよ。
あの人お酒飲めないし、たまのお付き合いだからしょうがないからって出費も覚悟してるけど、ほんというと行きたくないのよね。その分連日手作りパンに納豆を乗せて食べることになるんだもの。手作りのたねを入れないパンと納豆って相性がいいからおいしいけど、毎日だと飽きちゃってついインスタントラーメンに手を出すと血圧があがるの。月末、野菜果物を買うお金も無くなると連日よ。生活保護で贅沢をする人って絶対何か裏があるんだと思うわ。だって真っ正直に行けばうちのおばはんみたいな生活になる筈だもんね。
あの人、テレビは見ないから持っていないけど、必要なパソコンやケータイにお金がかかるから毎月ぎりぎりなのよね。それでも食事は手作り、被服は古着や安物でそれほど特に欲しがらないからなんとかなってるのよ。なにしろ若い時に見たシスターたちの生活を思えば十分やっていけると思ってるのよ。欲しいのは本と機械類だけだから、無理しても買うのはそんなとこなのね。新しいお布団も買えないくせにまったく。
そんな人でもお付き合いにはしょうがないと思うらしいのが不思議よ。なんか、まあ一応社会の一員として生きてくんだから、たまのお付き合いはしょうがないってことみたいよ。聖歌隊は辞めちゃったし、教会の方の聖書研究会のクリスマスパーティも行かないからその分でなんとかなるだろうっていうの。でもさあ、世話役の方にはなるべくあの人のお財布の中身で足りるようにしてほしいところだわさ。あとは四ツ谷がこれからどうする気なのかにもかかってくるのかな、よくわかんないけど。
でもねえ、あの人、日毎の糧(食べ物)のほうはそんなだけど懲りないのよねえ。今朝もフト目が覚めてぼんやりしてたら、思い浮かんだのは今の自分の年齢よ。今度の24日で63歳でしょう。そのせいか何か、それはあればあったほうがいいけど、新しい機械を欲しがっても自分がいつどうなるかわからないのに馬鹿だなあって思えちゃったみたい。いずれ必ず全部後に残して行くときが来るのに欲しがったところで虚しいだけって感じちゃったのね。
ほんでもってさあ、ああ、この感覚だ、この感覚、これが自分をこんなところに連れてきた呼びかけだったんだ、なあんて自分で納得してんのよ。あたしにはよくわかんないわ。だけどそれがあの人を子供の頃からずっと導いてきた呼びかけらしいのよねえ。お金も物もなくても心が満たされてれば十分だっていうんだけど、そんなの現実の世間の中で生きてるのに可能だと思う? まったくうちのおばはんときたら何考えてるんだかあたしにはホントわかんない。
とにかくさあ、なんだかんだといっても毎日のちゃんとした食べ物は絶対必要なのよ。それがないと生きていけないじゃないの。もっとも今のあの人なら減量が必要なくらいだからちょっとくらい食べなくても大丈夫だけどね。だけど、あの人の言う本当に心が満たされるものっていうのはどうしたらいいのかしら、あたしは、ただのケータイだもん。そんなむずかしいことはわかんないわ。
これ以上、あたしが考えたってわかるわけないもん、今日はこのへんで終わりにするわよ。
ほんじゃ、またね。
こんばんは~、マリーで~す。
今日は一日中あんまりお天気が良くなくて、うちのおばはんもずっとおうちにいたのよね。何をしてたかっていうと、一生懸命小麦粉をこねて、練り粉を玉にして15に分けて冷凍保存したり、片栗粉と砂糖ときな粉で簡単で保つお菓子をつくったりよ。あの人、昨日、珍しくお値段の張る食事をしてきた分、当分は毎日手作りのパンやうどんの日々になるのよね。これから暮れは何かとお付き合いもあるし、頭痛の種みたいよ。
あの人お酒飲めないし、たまのお付き合いだからしょうがないからって出費も覚悟してるけど、ほんというと行きたくないのよね。その分連日手作りパンに納豆を乗せて食べることになるんだもの。手作りのたねを入れないパンと納豆って相性がいいからおいしいけど、毎日だと飽きちゃってついインスタントラーメンに手を出すと血圧があがるの。月末、野菜果物を買うお金も無くなると連日よ。生活保護で贅沢をする人って絶対何か裏があるんだと思うわ。だって真っ正直に行けばうちのおばはんみたいな生活になる筈だもんね。
あの人、テレビは見ないから持っていないけど、必要なパソコンやケータイにお金がかかるから毎月ぎりぎりなのよね。それでも食事は手作り、被服は古着や安物でそれほど特に欲しがらないからなんとかなってるのよ。なにしろ若い時に見たシスターたちの生活を思えば十分やっていけると思ってるのよ。欲しいのは本と機械類だけだから、無理しても買うのはそんなとこなのね。新しいお布団も買えないくせにまったく。
そんな人でもお付き合いにはしょうがないと思うらしいのが不思議よ。なんか、まあ一応社会の一員として生きてくんだから、たまのお付き合いはしょうがないってことみたいよ。聖歌隊は辞めちゃったし、教会の方の聖書研究会のクリスマスパーティも行かないからその分でなんとかなるだろうっていうの。でもさあ、世話役の方にはなるべくあの人のお財布の中身で足りるようにしてほしいところだわさ。あとは四ツ谷がこれからどうする気なのかにもかかってくるのかな、よくわかんないけど。
でもねえ、あの人、日毎の糧(食べ物)のほうはそんなだけど懲りないのよねえ。今朝もフト目が覚めてぼんやりしてたら、思い浮かんだのは今の自分の年齢よ。今度の24日で63歳でしょう。そのせいか何か、それはあればあったほうがいいけど、新しい機械を欲しがっても自分がいつどうなるかわからないのに馬鹿だなあって思えちゃったみたい。いずれ必ず全部後に残して行くときが来るのに欲しがったところで虚しいだけって感じちゃったのね。
ほんでもってさあ、ああ、この感覚だ、この感覚、これが自分をこんなところに連れてきた呼びかけだったんだ、なあんて自分で納得してんのよ。あたしにはよくわかんないわ。だけどそれがあの人を子供の頃からずっと導いてきた呼びかけらしいのよねえ。お金も物もなくても心が満たされてれば十分だっていうんだけど、そんなの現実の世間の中で生きてるのに可能だと思う? まったくうちのおばはんときたら何考えてるんだかあたしにはホントわかんない。
とにかくさあ、なんだかんだといっても毎日のちゃんとした食べ物は絶対必要なのよ。それがないと生きていけないじゃないの。もっとも今のあの人なら減量が必要なくらいだからちょっとくらい食べなくても大丈夫だけどね。だけど、あの人の言う本当に心が満たされるものっていうのはどうしたらいいのかしら、あたしは、ただのケータイだもん。そんなむずかしいことはわかんないわ。
これ以上、あたしが考えたってわかるわけないもん、今日はこのへんで終わりにするわよ。
ほんじゃ、またね。