友達の電話で考えた(2)

2012-11-26 11:00:47 | インポート

1からの続き

うちのおばはん、以前にも別のところでこの話を書いてるんだけど、あれはどうなっちゃったのかしら。いやいや、そういえばカンガス神父様だって、うちのおばはんの話を聞いて、あなたは自分を実際以上に大きく見せようとしているとかってまるで見当はずれなことを言って、あの人の話をちゃんと聞こうとしなかったのよねえ。物事には原因があって結果があるのよ。召しだしは次の代に現れるっておっしゃったけど、あの人のおうちはキリスト教じゃないけど、お父さんの親はお坊さんだったのが今のあの人にまでつながってきてるんじゃないのかなあ。お父さんがへんてこりんだったから、あの人もへんてこりんなのよ。

うちのおばはんのお父さんてさ、仕事はかなり優秀なほうだったんじゃないの、ちっちゃな印刷会社の営業だったけど、ホンダの宣伝広告印刷を一手に引き受けられたのはうちのおばはんのおとうさんの働き無しにはできなかった筈よ。だけどそんな人が反面まるで世間知らずで、何もかも会社任せにして、退職後に手に入ったのは国民年金だけだったんだから子供だってびっくりよ。

だけど、子供のほうも、親の子だからやってることは親と同じで、20数年もわけのわからない状況に追いやられて生活保護なんていうなさけないことになっちゃってるのよね。親子で人を信じすぎて失敗してるんだもの、あきれちゃうわ。

世間的には親子ともどっちかっていうと間抜けかもしれないけど、良くも悪くもこの親だったから子供もこうなったんだわ。普通の家庭の普通のお父さん達は自分の子供がちっちゃいときから「闇の夜に 鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬさきの 父母ぞこいしき」なんて禅の道歌を覚えこませたりする? しないでしょう。ところがあの人のお父さんは、お正月って言えば家族がそろったところで、「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」って毎年必ず一席ぶってから始めるような人だったのよ。子供に禅の道歌を教え込んで意味がわかるかって聞く人だったのよ。

だからいつだってうちのおばはんは、この道歌を小さいときから心の中で繰り返し、考えながら大きくなったの。それでプロテスタントの教会に行っていたとき、礼拝の時の賛美歌の中の、すべてのものの造り主である神様を褒め称えよって言う意味の歌の詩を聞いて、あの人もハッとして、そうか闇の夜に鳴かぬ烏の声って、生まれる前は何にもなかったんだ、無だったんだ。自分も無から造られて存在を与えられたんだって思い当たったのよ。まあ、でもやっぱりへんてこりん親子だったのね。

小さいときの環境がお寺やお墓の多い、仏教のだけじゃなくて、カトリック市川教会の墓地も幼友達の家の近くで遊びに行く途中の道筋にあったのよ。それで親がそんなだったら物思う子供が出来上がって当然でしょう。あんまり一般的じゃないかもしれないけどさ。

うちのおばはんは一朝一夕に出来上がったわけじゃなくて、お父さんの代、お父さんの親の代からの流れがあって、ああいうへんてこりんなおばはんができたのよね。いいたくはないけど、あの人、自分を実際以上に見せようなんて全然してないわよ。天然のへんてこりんなのよ。

これ以上言ってると話がこんがらかっちゃうから止めとくわね。だいぶ長くなっちゃったから今日はこれでおしまい。

ほんじゃまたね。

 


友達の電話で考えた(1)

2012-11-26 09:22:28 | インポート

おっはようございま~す。マリーで~す。

珍しいでしょう、今日は久しぶりに朝早くからあたしの登場よ。よくわかんないんだけど、うちのおばはんが深刻になりそうな話だからあたしの軽さがどうしても必要だって言うのよ。あたしって風船みたい。

それはとにかく、昨日あの人、昔なじみの友達と長電話のおしゃべりをしてたのよね。その相手の人は若い頃からの知り合いでうちのおばはんとよく似ていて、それでいてまるで正反対なのよ。向こうはうちのおばはんより世故にたけていたから、いろいろとあの人も悔しい思いもさせられて、お互いに60歳過ぎて、大体同列に並ぶまで付き合うのはごめんだって、ずいぶん長いこと距離を置いてたんだけど、嫌いじゃなかったから、うちのおばはんも60歳を過ぎて少しは大人になってきた頃からまた付き合うようになったの。

だけど年月が経って、向こうは大変な病気を抱えるようになっていたの。大腸癌で頭と手足以外の全身に転移して、末期だと宣告されながら、良いお医者さんにめぐり合えて、体力もあったから、ものすごく広範囲な切除手術を受けてとりあえずは一命を取り留めて退院してきて、それからしばらくしてうちのおばはんの言葉に腹をたててここ7、8ヶ月絶交状態だったの。

それが同じ病気の別の知り合いの方のことから、うちのおばはんもこの絶交中だったお友達が心配になって久しぶりに電話したのがきっかけで、お互いに仲直りしちゃったのよ。だけど向こうはちょっと前まで入院してリンパ節の郭清手術を受けてたんですって。電話で聞こえてくる声も前とはかなり違って張りがないし、あの人もますます心配になっちゃってるみたいよ。

やたらに心配したからってどうにもならないし、お祈りして神様にお任せするほかない話なんだと思うんだけど、でも心配なものは心配よね。向こうはうちのおばはんより年上で、二人とも長女なのに、なんだか問題があるとうちのおばはんのほうが聞き役なのよ。向こうはお父さんがいなくてお母さんの影響が大きい人だし、うちのおばはんは丸っきりのお父さんっ子で何から何までお父さんの人だから、お互いに自分にないものに惹かれるみたい。

そんなことから、うちのおばはんも改めて自分の中のお父さんから受け継いできたものを見直してみたのね。うちのおばはんのお父さんて、結構へんてこな人だったのよ。そんじょそこいらにいくらでもいるような普通の人とは全然違うところがあったの。多分、お父さんの実の父親という人がお寺さん(お坊さん)だったっていうからそれが関係してるんだと思うんだけど、あの時代だから別に高等教育も受けていないのに、すごく勉強家で読書家で、何でも知ってる人だったの。

1(2につづく)