今年は早くから気温が高い

2017-05-22 16:06:51 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。珍しいでしょう、お昼過ぎにあたしが出てくるなんてあんまりないわよ。うちのおばはんがさあ、なんか調子が悪くて風邪ひいたんだかなんだか、頭痛だ、熱があるって昨日からうるさいのよ。季節の変わり目はあの人、いつも体調がおかしいのよね。普段も低体温症だから体が気温の変化についていけなくて具合が悪くなっちゃうみたいなの。それでも何とか掃除洗濯だけしてさっきからテレビのドラマをみてたわよ。

お昼過ぎの番組で「やすらぎの郷」ってあるじゃない、あれを毎日楽しみにしてるのよね。うちのおばはんだって若くはないけど、この番組に出てくる有名な女優さんたちも、俳優さんたちも、あの人が子供の頃から知っているような方たちがずらっと並んでいて話も面白いんですってよ。先週の終わりにはなんだかわけのわからない役で樹木希林さんが出てきて、ガラス窓の外から中を覗き込んで、あたしってきれい、なんて聞いて主人公がおもわずお香を焚いて悪霊退散を念じる場面なんて笑っちゃったわよ。意外なところに意外な人がゲストで出てるのよ。

解熱剤や痛み止めよりも笑える場面は薬効あらたかなよく効くお薬みたいよ。もうちょっとして7月に入っちゃえば気温もあの人の体調も安定するからそれまでは誤魔化し誤魔化し行くしかないもんね。今週は家族の話し合いにも行かなくちゃならないんだし、なるべくなら風邪も治しておかないとまずいじゃないの。まったくさあ、世の中いろいろよねえ。

あの人だってお金はまるでないけど、インターネット機器や回線にはお金を掛けないことにはどうにもならないから、あっちもこっちも節約して機械にだけはお金を掛けててさあ、なんかもうちょっと何とかならないのかって、脇で見てるあたしだって心配しちゃうわよ。一家解体で、家も土地も全部義理のお母さん名義にしちゃうのは構わないけどさ、あの人と弟の今後って全く見通しつかないしさあ、なんだかなあ、だわ。

でもまあ、今までだって何とかなってきたし、この先もなんとかなるんじゃないの、すごく変てこな人生だけど、どう考えても自分でこうしようと思ったんじゃなくて、なんか大きなものに運ばれてここまできちゃった気がするんですってよ。だからこの先もなんとかなるさっていうのがあの人の気持ちなのよね。まあ、あの人が頼りにしている神様のお導きっていうのを信じるしかないみたいなんだわさ。

て、ところで今日のはなしはおしまい。ほんじゃまたね。

さだまさしの無縁坂か、なるほどねえ

2017-05-19 21:31:10 | Weblog
知人と電話で今日のはなしをしていたら、さだまさしの無縁坂の話になった。死んだ母の話やお墓のことを愚痴っていたところ、彼女が無縁坂の話をしてくれた。元の話はフェイスブックに出ているそうで、実はあまり当方とは仲の良くない英師の説教かららしい。

英か、ムカつくな、とか思いながらも読んでみるとなかなか良い話だった。そうだ、今はムカついていてよいような時ではないのだ。どれだけご当人の実体験があるかは知らないが、話自体は苦労してきた知人が、本当にその通りだといっていた気持ちもよくわかった。何しろ、こちらも死んだ母が身を削って新築した家も、父の失敗で人手に渡ってしまったし、義理の母の方も苦労し続けだったし、このままいけば多分我が家のお墓は確実に無縁墓になりそう。私や弟などはいずれ下手をすると共同墓地行だろう。

でも知人はそれでもイエス様は見捨てないから大丈夫よと力強くいうのだった。確かにそうだ、お墓があろうとなかろうと、この世で苦労した魂がそれっきりになるはずはない。大丈夫だという気がする。そういうことなのだ。もっと神様を、イエス様を信頼しなくては嘘だと思った。

そうなのだ、まだ書きかけの妹の話だって、全ては神様抜きには話は進まないのだとあらためて思った。

一家の解体

2017-05-19 18:55:22 | Weblog
夕べ、弟から電話があって、義母からの申し出で今後の面倒を減らすために、我が家の残っている家や資産を一括義母名義に移すことになった。義母(継母)が90歳になろうという年齢で、かつ私も弟も下手に相続などすれば税金の方が高くなってかえって自分の生活がますます成り立たなくなる状況だし、お墓をこの先どうするかもあるし、ここはもう名義を義母に一括してしまおうというわけだ。それで弟に言われて今日は自分の住民票や印鑑証明を取りに出かけ、来週義母と私、弟の三人集まることになった。

情けないが致し方ない。亡母が生きていたら、とか思うが他にどうしようもないから、我が家はこれで解体だ。情けない。

私にとっての幼きイエスの聖テレジア

2017-05-18 12:14:42 | Weblog
今は昔、すでに半世紀以上前のはなしになるけれど、かなり怠け者の子供だった当方、怠けすぎて英語がひどい点数になり、これはまずいとお考えになった担任の先生の紹介で、週一度、某女子大生の方が家に来て勉強を教えてくださることになった。その方のおかげで今、インターネット機器を使うのに必要なくらいの英語力は身に付いたと言って間違いない。少なくとも何とか読めるくらいのことはできるようになったわけだ。本当に感謝するばかりだ。

で、その方の大学がミッション系だったので何かの端々にキリスト教関係の話もあって、細かいことは覚えていないが、幼きイエスの聖テレジアの名前を聞いたのはその時ではなかったかと思う。で、ずっとこのお名前を憶えていて忘れなかった。でも後年、カトリックに改宗したときなんだか照れくさくて、アシジの聖フランシスコのお名前のほうを霊名にいただいたのだった。おばあさんになっても一生付きまとう名前は、少女っぽいテレジアよりフランシスカの方が良いと考えたからだ。本名の名前を父が初め、可愛いから花子とつけようとして、祖父母から年を取ってからお花婆さんになるのはかわいそうだと言われて、今の名前にしたと聞いていたのが頭に残っていたのだ。

だから、小さいテレジア様の名前はかなり昔から知っていたしお父さんっ子だった当方、非常に共感するところ大だったのだ。そしてちょうど改宗して間もなく、小さいテレジアの伝記や手紙がどんどん出版され、お名前だけは子供のころから知っていたこの方がどういう方だったのかはじめてちゃんとわかったのだった。

(それがどうして、ある方々にはイエスの小さい姉妹会に入りたいなどと思っているとみられたのか全く訳が分からない。どこの誰がそういう話を作り上げたのか知らないが、そんな話は断然違う。作り話はいいかげんにしてもらいたい)

とにかく小さいテレジア様を通してカルメル会の名前を知り、遠藤周作先生や井上洋治神父様を知り、自分の中にある親から受け継いだ宗教的なものはどうも既成の修道会では対応するものがないのを感じて何十年も経って、つい最近、たまたま、風の家のミサや講座などに行っていて、あ、これだ、と思ったわけだ。

(今にして多少分かることは、日本人の宗教観と欧米のカトリック信者の考え方、感じ方は相当に違うのは確かだと思う。だから本や機械にはお金をかけても身なりにお金をかけていないと、中小企業に勤めていると、ただ、貧乏人、貧しい家庭の人の入る修道会向きと判断されたような気がする。まあ、そう思いたければ思っておれ。日本には襤褸は着てても心の錦という歌の文句もあるくらいなのだ。外見がその人の全てじゃないだろうがと言いたい。そんな程度のものはこちらでもお断りだ。)

鎌倉時代からの先祖代々の所縁があるのは中山法華経寺であり、日蓮宗が代々の背景にあるのは紛れもない事実だが、だからこそ宮沢賢治の作品もピンとくるし、宗教は違っても人間を遥かに超えた大きな大きなお方の存在も分かるから、その大本を辿ってイエス様に辿り着いたのだ。お金のあるなしや、どんな会社にいるのかや、身なりの良し悪しだけでその人が正しく判断できるのかい。そんなのはスペイン人ではない当方には正直、理解できかねるはなしだ。もっとも最近は日本人でも分からない人には分からないようだが。

小さいテレジア様に戻るが、この方が残してくださった教えは社会のどんな層の人にも、どんな年代の人にも、男女の違いも越えて神様に、イエス様に近づける道なのだとつくづくおもう。ああだ、こうだというより、子供が親を信頼し、任せるように神様に本気で向き合っていったらいろいろなことが変わっていくような気がするのだ。


いもうとよー17(2)

2017-05-16 21:47:30 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。うちのおばはん、今日はもう書かないって言ってお布団に入りかけたから無理やりたたき起こしてお布団から引っ張り出してパソコンの前に座らせたのよ。だってさあ、あの人ったら全く、ちゃんと注意して見てないと何をしでかすかわからないんだからもう。

なんかねえ、今度駅前の西友が改装して売っているものもいろいろ増えたのよ。それはいいんだけど、体重を落とさなくちゃいけないっていうのに、すごくおいしいチョコレートを見つけちゃったもんだからあの人チョコレートをいっぱい買ってきて食べちゃってるのよ。今日は久しぶりに一駅区間歩いたからいいじゃないかっていうのよ。いいわけないじゃないのよ、まったく。

西友はうちのおばはんには今後危険だわ。油断するとあの人、果物より、子供の時からの大好物のチョコレートの方に足が向いちゃいそうなのよ。安くておいしいって評判だからあの人、昨日試しに一つ買ったら、アズダとかいうメーカーのそのレーズンとナッツ入りミルクチョコレートがすごくおいしかったのね。あの人、アルコールもタバコも縁がないけど、すっごい甘党だから、こんな大きくておいしいチョコレートなんてやたらに買ってたら病気になっちゃうわよ。原産国ドイツだって言うけど、チョコレートはやっぱり向こうのものはおいしいらしいわ。でも、あたしはうちのおばはんだとこんなの油断してると丸ごと一日でひと箱食べちゃいそうで怖いわよ。心配よ。

頼むから、チョコレートより胡瓜とかニンジンの丸かじりでいってほしいわ。今日だってお医者さんの血液検査の結果はカリウムが低めだって言われてたわよ。チョコレートじゃなくて、トマトを食べてほしいんだわさ。もしチョコレートを食べるんだったら一日最低一駅区間は歩きんさいよね。トマトにしなさいよ、トマトに。

ねえ、皆様もチョコレートはデブの素ですからね、おいしくても食べ方には気を付けてよね。山登りの時の良いエネルギー源になる位なんだからさ、うちのおばはんみたいな体型の人には断然お勧めしないわよ。それよりトマトやキュウリにしといた方が絶対安心だわさ。

お前さんは口うるさい? あ、そう、じゃあ黙るけどさ、おいしいものはカロリーも高いんですからね、お忘れなくよ。あの人の妹は甘いものやチョコレートにはあまり関心がなかったのにねえ。おんなじきょうだいなのに全然好みも違うんだわさ。

うちのおばはんだって、死んだ人のことって普段はなんとなしに忘れていても、ふっと思い出しちゃうと、本当は忘れていない沢山のいろいろな思いがわきあがってきちゃうみたいよ。普段はさあ毎日の日常って奴が胸の中の痛みも隠してくれてるのよね。それなのに、忘れてなんかいないし、隠せてもいないのよね。なんか妹がチョコレートなんかで誤魔化されてなりますかって騒ぎだしちゃったみたいな感じ。
言葉にならない思いが押し寄せてくるのをチョコレートが防ぎとめていたのかな。

つづく




似たもの父娘

2017-05-16 19:01:23 | Weblog
遠藤文学も風の部屋も日本的霊性もちょっといったん全部取っ払って見ることにした。その上で自分の持っているつもりのもの、土台になっているものを見直していくと、どうしても今は亡き自分の父親に行き着いてしまう。死んだ父は長年印刷会社の営業の仕事をしていた人だ。お得意先はホンダさんだった。昔は本田技研工業だ。そのご縁でサントリーさんとか異分野の会社にもかかわりがあった。それで我が家では開高健さんや山口瞳さんの名前も何故かよく出ていた。広告関係からだったのだろうか、遠藤周作先生のお名前もだ。

で、子供のこちらは先生方の書いたご本は読んでいなくてもお名前だけは知っていた。中学生の頃は北杜夫先生のものばかり読んでいたのが、だんだん、遠藤先生の狐狸庵シリーズあたりから手をだして、難解な純文学作品まで読み始めたわけだ。でも当然それほどふかく読んではいない。十代の女の子の程度の読みだ。それでも親がよく本を読む人だったから、本は片端から読んでいた。そして自分の好みがはっきりして自分でもどういうものがいいと思うかわかってきたわけだが、それがまたなんと父親譲りというかなんというか、どちらかといえば日本文学、それも笑いがあるもの、落語や漫才、お芝居、といったものにもどこか通じているものが好き、笑いが好き。父が好んでいたものが自分も好きなのに気が付いた。

そして高校卒業間際に母の突然の死でさすがに毎日悲しんでいたころに出会ったのが遠藤先生の狐狸庵シリーズで、お友達の北杜夫先生のエッセーでもお名前を見て知っていたから、喜んで飛びついた。だって、すごく面白くて笑っているうちに悲しみもどんどん吹き消されていきましたから。でも先生と再び出あったのは、はるか後年になって、それがなんとユング心理学絡みで、当時奇妙なありそうにもないような事ばかり起こって、どうしてこんな変なことになるのかと悩んでいたころだ。

でもそんな話をここでしようとは思わない。わからない方には分からないという種類の話はやめておく。それより今は、自分の父や遠藤先生から学んだ笑うということの大切さを言いたい。生真面目は悪くないけれど、物事を見るには笑いを忘れては見え方が歪んでしまうのだ。

様々な問題に出会ったとき、それを乗り越えていく力になるのは笑いだ。喜び楽しみに通じる笑いの力だ。自分は大したものは書けないが、書くならなるべくなら笑いの要素の多いものを書いていきたいと思うのだ。真剣になりすぎ、一直線になりすぎは結局どこかゆがんでしまうではないか。そうではなくてもっと豊かな何かが必要なのだと思う。そんなわけで、私の相棒にケータイのマリーさん、いや今はスマホのマリーさんが登場してきたのだ。今後もいろいろな面でマリーさんの視点で物事を見させていただくつもりだ。

といったところで今日のはなしはこれまで。ではまた。

若松英輔先生と山根道公先生の連続対談 第2回を聞いてきた

2017-05-15 23:12:38 | Weblog
こんばんは~、マリーで~す。今日はねえ、うちのおばはんが直接書くって言ってるからあちらにまかせるわよ。あたしはここまででひっこむけどよろしくね。


・内容は悪くなかったのだが、音量が小さいのがちょっと気になった。還暦を過ぎた当方少々耳が遠くなってきている。もうちょっと音響を何とかしてほしい気もした。

・遠藤周作と宮沢賢治の接点としての川、ガンジス河であったり、銀河だったりするが、河のイメージ、話を伺いながら、イメージが目に浮かぶようで非常に面白かった。ストーリーにばかり気を取られていたのを反省。

・個人的感想だが、読むと書く、書くといってもねえ、うちの親類の作家志望で一生を棒に振った身内を持つものとしては、食べていく道を確保した上でと付け加えた方が良いかもしれないとも思った。当人もお嫁さんも、母親である伯母もこの人の大成を願って一緒に苦労しながら最後はお嫁さんにも母親である伯母にも先立たれ、お酒に潰されてしまったああいう一生を見ては、書くはあくまでも食べていく道を別に持った上ででなければならぬと思ってしまっているのだ。簡単に考えられないのは仕方がない。当方自身は、書きたかったのではなく、本来は観想修道会に入りたかったのが諸事情あってこうなっただけだ。

・でも刺激になって面白いから次回も聞きに行こうと思う。何といってもさすが、若松英輔氏、山根道公氏お二人の優れた分析、説明、対話、これは直にその場で聞くべき価値があると思う。次回第3回は6月12日(月)四ッ谷・幼きイエス会9階ホール 03-3261-0825
参加費1000円(学生半額)知の刺激という点ではおすすめの時間だ。

うちのおばはんでも悩みは尽きない

2017-05-14 16:07:21 | Weblog
こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはん、今朝は腰の痛みも一昨日よりははるかに軽くなってきてるし、昔整形で教わった腰痛の改善体操も思い出して実行してるから今はもう動けないほどの痛みはないみたいよ。歩く時も意識してお尻をひいて、おへそを前に突き出すように歩いてるわよ。これってさあ、早い話がコルセットを付けたときと同じ形になるみたい。しまい込んだコルセットも一応出して使えるようにしとかなくちゃ。大体あの人、やっぱりまず減量が必要なんだわさ。おなかの周りの脂身の重さで腰や股関節に負担がかかるんだと思うわよ。そんなだから調子のよくないところに、気温が下がった時の冷えの直撃でたちまちダウンしちゃうんだわ。お医者さんだって顔を見れば減量。減量ってうるさく言ってるじゃないの。それなのにさ、まったくうちのおばはんときたらしょうがないったらないんだからまったく。

そういえば、あの人の妹のみいちゃんはお姉ちゃんとは正反対で、細くてスマートで何を着ても似合ってたのに、うちのおばはんと来たら若い時から歯がわるくて歯医者さんと本代にはお金をかけていたけど、お父さんと同じで、服なんて着られればなんでもいいってとこがあって、それも問題だったのよね。それでも更年期まではほどほどの体重だったのに、今はほんとに見る影もないじゃないの。着られる服を探すのだって苦労するし健康面にも響くし、もう大変よ。

でもそれはそうとして、あの人昨日、二コラ・バレの集まりが終わった後、なんとなく気が向いて聖三木図書館に行ったのよね。伊藤神父様のお話で、神父様の恩師の井上洋治神父様のことも思い出して、そのつながりで日本的な霊性ってのに考えが向いて、ずっと気になってる。いまはもう亡くなった昔の神父様たちのことをおもいだしたわけよ。あの人が、生前ぜひ会ってみたかったって思っているのはカルメル会の田中輝義神父様って方だったんだけど、もう手遅れだわ。ただちょっぴり分かるのは、この方の持っていらっしゃったものはただ頭で考えたものじゃなくてある種、天賦の才ってやつだったんじゃないかなあって、あたしは思うわ。ときどきたまに本当にいるのよ。

殆どは偽物だったり、浮世の塵やほこりまみれになって、見えない世界とのつながりを見失って浮世と妥協しちゃったり、堕ちてしまったり、なかなか本物はいないんだけど、たぶんこの方は本物っぽかった気がするんだわさ。だからこの方は死ぬまで表にはほとんど出なかったんだわ。世の中にはいろいろなタイプの人間が必要なのよね。考えて考えて考え抜いてそれをまとめてたくさんの人たちに役に立つようにしてくださる方も絶対必要だし、さらに一般の普通の人たちの心を動かして、この世的なこと以上のことにも心を向けさせてくれる、司祭、僧侶、小説家、作家っていう方たちも必要だわ。でも全く違うタイプの方たちもやっぱりおいでなのよね。押田神父様と、田中神父様はこのお二人は確固とした自分のものをもっておいでで、一生それぞれ違うけど、ご自分の持っているものを貫いたんだって思えるんだわさ。

そういえば、もう一つ思い出したわ。昔うちのおばはんがしばらくかかわっていたイエスの小さい姉妹の友愛会っていう修道会、あの人はこれは自分の心にあるものじゃないから嫌だって断っちゃったけど、日本じゃなくてフランスの方かな、最終誓願のときにどういう生活を望むのか尋ねられて、小さい姉妹のまま。隠遁者になりたいって申し出て受け入れられたという話を読んだことがあったけど、日本じゃ果たしてどうかしらねえ。そういうことが可能だったら話はまた違ってたかもね。とにかくトイレとお風呂以外一人になれない生活じゃ生きていけないタイプの人間だっているんだもん、そこんとこ間違ってもらっちゃ困るわ。

とにかくもうこの世にいない方が、何をどう考えていたのか知りたいと思ってももうそれは無理。今できることはそれに触発された当人が自分で、自分なりの考えをまとめていくしかないのよね。貧弱なつまらない答えしか出てこなくてもそれが自分なんだったらそれを受け入れるしかないわよ。自分を生きるってことはそう言うことなんじゃないのかなあ。

といったところで今日のはなしはおしまい。みいちゃんのことからずいぶん離れたとこに来ちゃったから来週はまたもどるわよ。ほんじゃまたね。



久しぶりにニコラ・バレと隣の大教会へ

2017-05-13 21:53:12 | Weblog
今日は午後から夜までずっと四ッ谷。ついでだから18時の主日のミサにもあずかってきてしまった。

それはとにかくとして今日の伊藤神父様のお話、非常に面白かった。大雨の中を腰痛を抱えながらでも出かけるだけの価値があったと思った。今度の月曜日も断然行くつもり。なるべくなら腰の痛みが軽くなっているといいんだけどなあ。テキストの井上洋治神父様の新刊のご本も買ってしまった。

ユーチューブでドミニコ会の故押田師のビデオも見つけた。今日は大変だったけど収穫が多かった。もっとも6月まで家計はかなりピーピーだが、それでもこれだけ得るものがあれば十分だ。