徒然草は学校でも少しばかり読む本なので誰でも知っている思うが、若いうちは
昔の本なので、興味は薄かった。しかし年を取った今、改めて全文を読んでみる
と、兼好と言う人の考え方がいかに現代的かという事がよくわかる。多くの人が
解説書を書いているのも、そんなところに理由がありそうだ。(右の本)
しかし、生い立ちとなるとよくわかっていないらしく、左の本を読んでみた。
元々、卜部兼好とか吉田兼好とかあって、名前には不審な点があったのだけど、
副題にもあるように「吉田」という姓は兼好の死後100年ほど後の吉田兼俱とい
う人がねつ造したらしい。天皇に仕えたというのも嘘らしい。そこは西行と似て
いるのも不審だった。この本は古文書を丁寧に調べていて、右の文学書と違い、
学術書と言うべきだ。両書を読むと、乱世をしたたかに生きた兼好が見えてくる。
兼好は和歌四天王と呼ばれるほど歌の名手だった。徒然草137段を読めばそれも
理解できる。著者小川氏は勅撰集(天皇の命による歌集)入集に執着した晩年の兼
好について「あれほど「死」についても立派な省察をしていた人が、最後につま
らない妄執にとらわれたものだと失望すべきか、それともこれが人生の真実とし
て沈思すべきか。」と書いておられるが、私は後者を採りたい。徒然草は「無常」
感があちこちにあるが、無常とは読んで字のごとく「常なるものは無い」というこ
とで、きわめて科学的な考えである。太陽でさえ、50億年後には燃え尽きる。だか
らこそ今を大切に生きろと言っているわけで、生きる原動力は厭世観にはない。
人はやるべきことが無くては生き生きとは生きられないものだ。兼好は歌が生きが
いだったのだろう。ただ、生まれた時代が悪かった。いや悪すぎた。鎌倉幕府の滅
亡、南北朝の混乱等、乱世を生きるにはしたたかさが必要だった。歌で名作を残せ
なかったが、徒然草は残ったのがせめてもの幸せかもしれない。
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