「軽み」について
以前話した「軽み」について、もう少し考えてみましょう。芭蕉が晩年「軽み」を推し進めたのは、これも以前
述べた「新しみ」のためだと思われます。新しさが無いということは、マンネリ・停滞を意味します。しかし、新しけれ
ば何でも良いかというと、そう単純ではありません。新しければ何でも作品になるわけでもなく、奇をてらうという弊害
さえ生み出します。「軽み」は日常卑近なところに題材を探すということですが、そのほうが過去の作品を探るよりも
新しい発見があるからです。「軽み」の反対は「重み」ですが、過去の名作に頼り自画自賛したり、権力者におもねる
ような作品を作って自慢したりする事を指します。
新しさというのは、革新でもあるわけですが、和歌の歴史をたどってみると、何度かの革新と保守のせめぎあいが
あります。藤原定家の手法が当時ダルマ歌と呼ばれたことが鴨長明の無名抄に見えます。正岡子規の写生も江戸時代の
保守的和歌に対する反感から出たものであることは、当時の文明開化からすれば当然だったと言えるでしょう。
保守と革新の対立は政治の世界にもあるわけですが、こと芸術の世界ではその克服を目指さなければ、上に述べた
愚作を多産するということになってしまいます。保守・革新のどちらにも欠点が潜んでいるのです。伝統と新しさ
の対立とも言えるわけですが、伝統の中に本質を探り当て、新しい美を見つけ出すという、二つの要請を同時に満たす
作品作りを心がけるということでしょう。まずは写真の本質は何かを問うことから。