漫画喫茶のブース席を30分で出た。3Fからエレベーターで降りて日曜日の平凡な通りを歩く。さっきまで窮屈な姿勢で座っていたから歩くことがいつもより快活だ。より地下鉄の新大塚駅の近くまでいこうとするとよく見かけるファミリーレストランがあった。しかし周りは閑散としている。地下鉄の駅前とはあまり栄えぬものなのかと寂寞な風景をやはり引き返すことにした。ジーパンの裾がアスファルトの地面に擦れるたびに、Converseのウィンドブレーカーの中はアマゾンの湿地帯のようになり着ていた薄生地の白いTシャツはすっかり汗ばんでいた。風が強い。中国からの影響である黄砂と花粉が飛び回っている。歩を進めるたびに顔に微粒子のような花粉と黄砂があたり目の中に痛みをもたらすのがわかる。生まれてから1度も花粉症になったことがなかったが、地下鉄の新大塚駅とJR山の手線の大塚駅の中間地点で私の鼻腔に溜まった花粉と黄砂は限界に達しくしゃみをした。
私にとっては珍しい花粉により引き起こされた目の痛みとくしゃみを認識すると同時にまたくしゃみをした。そうして歩きながらくしゃみをしていて汗ばむ陽気とは裏腹に苦悩の散歩道になっていっていた。
きょうは手ぶらで出掛けたからジーパンのポケットがいつもしょっているPorterのダークブルーのミニショルダーバッグの代わりをしている。左のポケットにはiPhone4を右のポケットには萎れている2つおり式の財布を入れていた。路面電車の線路を横断してバスターミナルを備えたJR山の手線の大塚駅前に到着した。
リーズナブルであるDoutorはないかとバスターミナルを囲むように建つ雑居ビルを眺めて1Fには松屋そして階上にはカラオケ店があるビルの奥にはもしかしてDoutorがあるのではないかという勘がした。第6感に突き動かされて私はバスターミナルを周回して松屋の脇を抜けて奥の道を入って行く。汗ばみによる肌の不快感や黄砂と花粉による鼻と目のむずむずやそして僅かながらの歩行による疲労が座りたいという激しい欲求を私にもたらしていた。
入った道を行き、辺りを見回してみると黄色の見覚えのある看板と緑の足拭きマットを備えた珈琲の匂いを放つDoutorになんとか辿り着いていた。バスターミナルで閃いた第6感は間違いではなかったようだった・・。グレーの自動ドアボタンを丁寧に押して中に入りアイスコーヒーのLサイズを迷わず注文してジーパンの右のポケットから2つ折式の財布をとりだしマジックテープで閉じている小銭を入れてあるスペースを開けて首尾よく100円玉を3枚取り出してカウンターの上の銀のトレーに置いた。アイスコーヒーを受け取り禁煙席に雪崩れ込むと私は左のポケットからiPhone4を取り出してロック解除しKindleのアプリを開いた。すでに購入しダウンロード済みの電子書籍を読むことにした。体内の疲れと黄砂と花粉を吹き飛ばすために。アイスコーヒーを飲みながら読み進め体力も回復した。結局、私は日曜日の散歩において喫茶店を梯子してしまった。
最近とみに人生がよく分からなくなったとDoutorの自動ドアーをくぐる時に想起し歩を進めるにしても角度の高い陽射しが行く先への推進力を弱まらせた。裏路地である暗がりのすぐ3歩先にはもう照り付けられたアスファルトと体感温度の低い熱気が顔を出す。バスのターミナルにはひと気が無いようだったが亀の親子が甲羅を並べるように駐車されているタクシーにはそこを通過する人々の姿が反射し対比的に賑やかな雰囲気をしているように私には見えた。タクシーもバスも乗るために待つ人は誰もいなかったのだが、乱反射する喧騒は眩い光となり虚空にさえ意味を与えていた。大塚駅前に辿り着くとiPhone4のハードケースに忍ばせていたPASMOを取り出して私は山の手線に乗った。池袋に着くと陰ることを知らない陽光を背中に浴びながら西武デパートの前を人の波にのまれて歩いた。何度も前から来る人にぶつかりそうになり摩耗する神経と休めたはずの足の痛みが揺り戻してきた。店舗が2Fにあるマクドナルドの前はいままでにおそらく何百回も通ってはいるはずなのに私はその内装が具体的にどうなっているかや店舗の敷地面積を知らなかった。無知蒙昧なる己を恥じた。
ビックカメラを抜けてヤマダ電機のLABIで携帯電話のフロアーを見て回った。大量に並べられているスマートフォンはそれだけでひとつのアートのような錯覚に陥りそうになる。TOSHIBA製のREGZAフォンを手にとってワンセグ機能を確認してみると高鮮度な作りに驚かされ私の左ポケットに少し疲れて眠るように横たわっているiPhone4もすっかり歳を重ねたことを実感させられた。REGZAフォンを急角度な展示台の上に戻してLABIを後にした。池袋からもう家に帰ることにした。電車に乗り最寄り駅前に着くとできたばかりの100円パーキングに停めてあった自転車を取り出してとりあえずサドルに跨った。それだけ足が疲れていた。しばし静かな時間軸で流れる街並みを眺めたあと私は自転車を漕ぎ出した。陽はまだ陰ろうとはしていない。南中高度はだいぶ上がったはずなのであるのだが大気の中に日光を遮るだけの充分な湿度がないと思われたので、とても乾燥している3月というものを手に刻まれたひび割れと共に実感した。自転車のハンドルを強く握り少しスピードを上げてみた。歩くよりも疲労が感じない。私はあっという間に自宅に着き自転車をガレージに停めて家の中に入るとすぐさま階段を上がり部屋でウィンドブレーカーとジーパンを脱ぎ眠りについた・・。
中途半端な時間に目覚めたことを後悔した。ベッドから起き上がり暗がりの中掛布団をたたむ。開け放たれたカーテンを閉めると電灯を付けた。そのままベッドに座ってしばらく本を読んでいたが頭に激痛が走り1階へと下りて、台所の冷蔵庫から水のペットボトルをとりダイニングで飲んだ。不規則に入眠したことが起因させたと思われる頭痛を抑えるためにと鼻から吸いこんだ空気を口からゆっくりと吐き出すという動作を繰り返した。冷たい水を飲みながらしばらくすると激痛は抑えられた。時刻は夕方の5時である。あたりはもう暗くてまだ訪れぬ春を待つ焦燥感とのたたかいを感じながら夕飯をどうすべきか思慮に明け暮れた。昼に摂取したカフェインは残ってい頭痛が引く事を邪魔しているように思えた。
1階のダイニングの椅子に掛けてあったスラックスを履きコンビニまでゆく事にして出掛けた。歩いていくとすっかり暗くなった夜道が長く感じられた。まだ芽吹かぬ桜の木を見上げながら通り過ぎてマンションも通り過ぎて右に曲がり横断歩道を渡った。
先には点灯しているファミリーマートの看板が見えた。頭痛はだいぶん抑まってきていた。暗がりの中にはためくファミリーマートのネオンライトに近づくにつれて下がっていた気持ちが上向いてきていた。なにを購入するか逡巡することは物品を手にしたあとよりも人のテンションを否が応でも上げる。物品を手にしたあとはそれを失う不安に心が押し潰されそうになるからだ。ネオンライトはだいぶん近づいてはいるのだがまだ着かない。足は疲労することはないが昼間の歩行で足の裏に薄く豆ができていてそれがスニーカーのなかでたまに擦れて僅かな痛みを感じた。ファミリーマートの自動ドアーをくぐると弁当コーナーで海苔弁当を手にとってレジで会計をしてコンビニを出た。夕飯は結局いつもと変わらずコンビニの海苔弁当になってしまった。頭痛も足の裏の豆の擦れる痛みも帰り道ではあまり感じることはなかった。夜の空気は昼間に濁っていた時とは違い透明さがあるように思えた。それ故に夜道を歩く私を不安にさせた。しかし透明さのある夜道の空気は昼間と違い遮るものがなくて、不規則な入眠と自意識の追い込みで私にもたらされた不健康をその中に吸い込むと同時に大気の遥か彼方へといざなってくれた。帰宅して茶色のファミリーマートのビニール袋から海苔弁当を取り出してダイニングのテーブルに置くと洗面所で手を洗った。洗面所のライトをつけ鏡を覗き込むといつより血色は良いが目の下にクマがある冴えない私の顔に遭遇した。この目の下のクマがなくならない限り私は花粉症にはならないことをなんとなしに思った。そしてダイニングに戻って海苔弁当を食べた。
ダイニングで海苔弁当を食べ終わるとプラスチックのケースをゴミ箱に捨てて2階の自分の部屋へと上がった。夜の7時にはなろうかという時刻である。
自意識の波に押しつぶされそうになるのを感じながら薄暗い電灯の下で私は黙々とクマの木彫りをしていた。下請けしたデザインを木に掘り起こして行くことが私の唯一の収入源であり内職としての生きるあり方であった。
このようなものを削り上げて観光地などにある民芸ショップに納品したとしてもそれで得られるお金は雀の涙にしかならない。しかし私には自分の暗い部屋で木彫り専用に改良した机の上でやり続けなければ時間が埋まらない。とりたてて趣味がないし企業などで働くのをどこか拒否してしまう私の引っ込み思案で内向的な性格が、仮の生きる意味を木を削って熊やイノシシやシカといった民芸ショップに並ぶような形を作り上げていくことにしか見出せないでいた。
しかしそんな隠匿した生活そして、間接照明の部屋、そして私のそんな非生産的な在り方を気にってはいた。
すこし掘りおこすのに疲れるとコーヒーを下から淹れてきてドビュッシーや久石譲などのインストロメンタルを聴きながら一服する。
そしてまた木彫りを机の上でして、夜の11時にはシャワーを浴びてまた眠った。
朝起きると昨日、完成させた木彫りの熊が太陽の光を浴びて誇らしげに立っているのを見て夜半前に終えた作業が少しは満足いくものであったことを確認できた。
私にとっては珍しい花粉により引き起こされた目の痛みとくしゃみを認識すると同時にまたくしゃみをした。そうして歩きながらくしゃみをしていて汗ばむ陽気とは裏腹に苦悩の散歩道になっていっていた。
きょうは手ぶらで出掛けたからジーパンのポケットがいつもしょっているPorterのダークブルーのミニショルダーバッグの代わりをしている。左のポケットにはiPhone4を右のポケットには萎れている2つおり式の財布を入れていた。路面電車の線路を横断してバスターミナルを備えたJR山の手線の大塚駅前に到着した。
リーズナブルであるDoutorはないかとバスターミナルを囲むように建つ雑居ビルを眺めて1Fには松屋そして階上にはカラオケ店があるビルの奥にはもしかしてDoutorがあるのではないかという勘がした。第6感に突き動かされて私はバスターミナルを周回して松屋の脇を抜けて奥の道を入って行く。汗ばみによる肌の不快感や黄砂と花粉による鼻と目のむずむずやそして僅かながらの歩行による疲労が座りたいという激しい欲求を私にもたらしていた。
入った道を行き、辺りを見回してみると黄色の見覚えのある看板と緑の足拭きマットを備えた珈琲の匂いを放つDoutorになんとか辿り着いていた。バスターミナルで閃いた第6感は間違いではなかったようだった・・。グレーの自動ドアボタンを丁寧に押して中に入りアイスコーヒーのLサイズを迷わず注文してジーパンの右のポケットから2つ折式の財布をとりだしマジックテープで閉じている小銭を入れてあるスペースを開けて首尾よく100円玉を3枚取り出してカウンターの上の銀のトレーに置いた。アイスコーヒーを受け取り禁煙席に雪崩れ込むと私は左のポケットからiPhone4を取り出してロック解除しKindleのアプリを開いた。すでに購入しダウンロード済みの電子書籍を読むことにした。体内の疲れと黄砂と花粉を吹き飛ばすために。アイスコーヒーを飲みながら読み進め体力も回復した。結局、私は日曜日の散歩において喫茶店を梯子してしまった。
最近とみに人生がよく分からなくなったとDoutorの自動ドアーをくぐる時に想起し歩を進めるにしても角度の高い陽射しが行く先への推進力を弱まらせた。裏路地である暗がりのすぐ3歩先にはもう照り付けられたアスファルトと体感温度の低い熱気が顔を出す。バスのターミナルにはひと気が無いようだったが亀の親子が甲羅を並べるように駐車されているタクシーにはそこを通過する人々の姿が反射し対比的に賑やかな雰囲気をしているように私には見えた。タクシーもバスも乗るために待つ人は誰もいなかったのだが、乱反射する喧騒は眩い光となり虚空にさえ意味を与えていた。大塚駅前に辿り着くとiPhone4のハードケースに忍ばせていたPASMOを取り出して私は山の手線に乗った。池袋に着くと陰ることを知らない陽光を背中に浴びながら西武デパートの前を人の波にのまれて歩いた。何度も前から来る人にぶつかりそうになり摩耗する神経と休めたはずの足の痛みが揺り戻してきた。店舗が2Fにあるマクドナルドの前はいままでにおそらく何百回も通ってはいるはずなのに私はその内装が具体的にどうなっているかや店舗の敷地面積を知らなかった。無知蒙昧なる己を恥じた。
ビックカメラを抜けてヤマダ電機のLABIで携帯電話のフロアーを見て回った。大量に並べられているスマートフォンはそれだけでひとつのアートのような錯覚に陥りそうになる。TOSHIBA製のREGZAフォンを手にとってワンセグ機能を確認してみると高鮮度な作りに驚かされ私の左ポケットに少し疲れて眠るように横たわっているiPhone4もすっかり歳を重ねたことを実感させられた。REGZAフォンを急角度な展示台の上に戻してLABIを後にした。池袋からもう家に帰ることにした。電車に乗り最寄り駅前に着くとできたばかりの100円パーキングに停めてあった自転車を取り出してとりあえずサドルに跨った。それだけ足が疲れていた。しばし静かな時間軸で流れる街並みを眺めたあと私は自転車を漕ぎ出した。陽はまだ陰ろうとはしていない。南中高度はだいぶ上がったはずなのであるのだが大気の中に日光を遮るだけの充分な湿度がないと思われたので、とても乾燥している3月というものを手に刻まれたひび割れと共に実感した。自転車のハンドルを強く握り少しスピードを上げてみた。歩くよりも疲労が感じない。私はあっという間に自宅に着き自転車をガレージに停めて家の中に入るとすぐさま階段を上がり部屋でウィンドブレーカーとジーパンを脱ぎ眠りについた・・。
中途半端な時間に目覚めたことを後悔した。ベッドから起き上がり暗がりの中掛布団をたたむ。開け放たれたカーテンを閉めると電灯を付けた。そのままベッドに座ってしばらく本を読んでいたが頭に激痛が走り1階へと下りて、台所の冷蔵庫から水のペットボトルをとりダイニングで飲んだ。不規則に入眠したことが起因させたと思われる頭痛を抑えるためにと鼻から吸いこんだ空気を口からゆっくりと吐き出すという動作を繰り返した。冷たい水を飲みながらしばらくすると激痛は抑えられた。時刻は夕方の5時である。あたりはもう暗くてまだ訪れぬ春を待つ焦燥感とのたたかいを感じながら夕飯をどうすべきか思慮に明け暮れた。昼に摂取したカフェインは残ってい頭痛が引く事を邪魔しているように思えた。
1階のダイニングの椅子に掛けてあったスラックスを履きコンビニまでゆく事にして出掛けた。歩いていくとすっかり暗くなった夜道が長く感じられた。まだ芽吹かぬ桜の木を見上げながら通り過ぎてマンションも通り過ぎて右に曲がり横断歩道を渡った。
先には点灯しているファミリーマートの看板が見えた。頭痛はだいぶん抑まってきていた。暗がりの中にはためくファミリーマートのネオンライトに近づくにつれて下がっていた気持ちが上向いてきていた。なにを購入するか逡巡することは物品を手にしたあとよりも人のテンションを否が応でも上げる。物品を手にしたあとはそれを失う不安に心が押し潰されそうになるからだ。ネオンライトはだいぶん近づいてはいるのだがまだ着かない。足は疲労することはないが昼間の歩行で足の裏に薄く豆ができていてそれがスニーカーのなかでたまに擦れて僅かな痛みを感じた。ファミリーマートの自動ドアーをくぐると弁当コーナーで海苔弁当を手にとってレジで会計をしてコンビニを出た。夕飯は結局いつもと変わらずコンビニの海苔弁当になってしまった。頭痛も足の裏の豆の擦れる痛みも帰り道ではあまり感じることはなかった。夜の空気は昼間に濁っていた時とは違い透明さがあるように思えた。それ故に夜道を歩く私を不安にさせた。しかし透明さのある夜道の空気は昼間と違い遮るものがなくて、不規則な入眠と自意識の追い込みで私にもたらされた不健康をその中に吸い込むと同時に大気の遥か彼方へといざなってくれた。帰宅して茶色のファミリーマートのビニール袋から海苔弁当を取り出してダイニングのテーブルに置くと洗面所で手を洗った。洗面所のライトをつけ鏡を覗き込むといつより血色は良いが目の下にクマがある冴えない私の顔に遭遇した。この目の下のクマがなくならない限り私は花粉症にはならないことをなんとなしに思った。そしてダイニングに戻って海苔弁当を食べた。
ダイニングで海苔弁当を食べ終わるとプラスチックのケースをゴミ箱に捨てて2階の自分の部屋へと上がった。夜の7時にはなろうかという時刻である。
自意識の波に押しつぶされそうになるのを感じながら薄暗い電灯の下で私は黙々とクマの木彫りをしていた。下請けしたデザインを木に掘り起こして行くことが私の唯一の収入源であり内職としての生きるあり方であった。
このようなものを削り上げて観光地などにある民芸ショップに納品したとしてもそれで得られるお金は雀の涙にしかならない。しかし私には自分の暗い部屋で木彫り専用に改良した机の上でやり続けなければ時間が埋まらない。とりたてて趣味がないし企業などで働くのをどこか拒否してしまう私の引っ込み思案で内向的な性格が、仮の生きる意味を木を削って熊やイノシシやシカといった民芸ショップに並ぶような形を作り上げていくことにしか見出せないでいた。
しかしそんな隠匿した生活そして、間接照明の部屋、そして私のそんな非生産的な在り方を気にってはいた。
すこし掘りおこすのに疲れるとコーヒーを下から淹れてきてドビュッシーや久石譲などのインストロメンタルを聴きながら一服する。
そしてまた木彫りを机の上でして、夜の11時にはシャワーを浴びてまた眠った。
朝起きると昨日、完成させた木彫りの熊が太陽の光を浴びて誇らしげに立っているのを見て夜半前に終えた作業が少しは満足いくものであったことを確認できた。
いままでにも何回かコメントはついたのですがブログリニューアルで編集する際に消えてしまいました・・。といってもほんとに僅かなのですが・・。
僕もひとのブログをたまに見ますがコメントするかどうかは意外とハードルが高いですよね・・。好きな芸能人の方のブログなどはコメントしやすいのですけどね・・。
たまに見にきてくれる方がいるだけで私のような素人のブログにとってはとてもありがたいですしコメントいただけたこと改めて誠にありがとうございます( ´ ▽ ` )☆!