エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

日記そして村上春樹

2013-05-19 18:34:54 | 日記
久しぶりに村上春樹さんの本を読んでその書評をしようとも思ったのですが、内容が難しくて再読・再々読してみないとまだ自分の認識がもてないことに気付いて、エッセイや小説に少し力を入れて記事をupしていたのですがただ日記をupしてみようかとも思ったのです。
とりあえず村上春樹さんのことを2013年4月12日から考えているのですが、なかなか捉えどころがない方であり、作家さんなのだということを感じています。とりあえず読んだ本を
『色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年』
『1Q84』 のBOOK1・2・3
という小説
あとは、走ることと書くことについてのエッセイとインタビュー集を読みました。
なんでもやはり村上春樹さんは猫が好きなようで、クリエイティブな人にはほんとに猫好きが多いと実感させられます。
ぼくは猫好きなときもあるのですが、犬を飼っていたこともあり、自らの性格傾向から犬好きであり犬派なのです。猫好きな犬派とも言えるかもしれません。
村上春樹さんは猫派(クリエイティブな人の多くはそうであるように)のようで捉えどころがないのかもしれません。
犬派であり犬好きな私はやはり凡庸な存在であることを認識させられます。
でも犬派としては犬のひた向きさ(ハチ公にみられるような)に価値を自分自身になんとか付与していくしかないとも思っています。
そういえば、アイドルについてBlogのはじめの頃よく書いていたのですが、沢松綾子さんという148cmの超絶美少女について書いた記事をバックアップもなしに消してしまって少しモチベーションが下がっていました。あと私が最近敬愛している橋本治さんのエッセイでアイドル論は難しいというような過去の箇所を見つけて二の足を踏んでしまっていたのですが、ネット上での週間プレイボーイの連載で橋本治さんが檀蜜さんについて語っていたので刺激を受けてアイドルについて感じたことを書くことも悪くはないのかとも思っています。(檀蜜さんは厳密にはアイドルではありませんが・・)
というわけでとりあえず日記でした。

読書に関する考察

2013-05-19 04:09:42 | エッセイ
私は、ストーリーに入っていったりするのが苦手で時間がけっこうかかります。ゲームでもRPGはほとんどやらなくて、スポーツゲームばかりやっているのです。なので、理系的な読み方として斜め読みというやつをするようになりました。物語は1度斜め読みして、しばらく置いて再読、再々読して小説の読書は完了します。なので手間がかかります。でも文系の読書好きな人からはたぶん嫌がられる読み方だと思い、やはり読書は基本的に字面を余すところなく追いながらするのが本流であるのです。
おそらく本には、文系的な読み方と理系的な読み方があるのではないかとおもっています。文系的な読み方は幼い頃から物語が好きで自然な読書欲として読み、そして小説をたくさんたまに社会科学や思想をつまむというような在り方でいわば本流です。
理系的な読み方とは、やはりどちらかというとサイエンスや思想や社会科学を得意とし、物語は苦手だけれど小説は、まず斜め読みして再読、再々読するというような在り方で亜流です。
私は亜流の理系的な読み方で小説を読むのであまりたくさんはストーリーを読めないのです。とくに10代後半から20代後半くらいの10年くらいは小説を字面を余すところなく追いながら苦心して読んでいました。
いまでもそう変わりはないのですが、最近は一種の文系的な読み方を諦め、でも小説を読みたいという欲求はあるので、ポイントを抑えながら飛ばし読みするということをしています。そして最後までとりあえず辿り着いて、しばらく漬け物のように机の上などに置いときます。3日くらいしてから再読、再々読を2日くらいかけてするわけです。要するに1つの小説を読むのには約1週間をかけていることになります。
分析的に読むというあまり小説への愛情の足らないことかもしれません。しかしそのあとも何回も実は読むので気に入った小説であれば繰り返し読みます。物語のバリエーションや実際の数はたぶん少ない方だと思うのですが、気に入った小説に関してはけっこう思い入れを強くして再読を繰り返します。左脳(男性脳)に力点を入れた読み方であることは間違いないです。それでもやはり小説よりもエッセイや思想や社会科学を再読する事の方が多いのですが。
たぶん女性は文系的な読み方をする人がほとんどで、男性は半々くらいではないかと思っています。
そんなこんなで読書に関する考察でした。

束の間の休息

2013-05-18 13:53:05 | 小説
私は電車に乗り込んだ。揺れる電車の後方車両の真ん中。シートから立ち上がり吊り革を両手でつかむ。平日の昼間ということで誰1人いなく私は窓に流れる風景を眺めていた。
駅で停車しドアが開いた。誰も入ってこない。熱気が立ち込めドアは閉まり私は吊り革から手を離すと前方の車両に近付いた。その後ろから2番目の車両にも人はいず私は安堵のため息をついた。揺れる車内を歩いてまたシートに座った。車窓に流れる風景に田園が増えた。東京から随分離れた。
私は車輪とレールの擦れる音を打ち消すためにポケットに忍ばせていたMP3プレイヤーとヘッドフォンを膝の上にのせる。耳にヘッドフォンを装着して邦楽ロックをそれなりの音量で流した。電車はまた何処かの駅に停まり、そして発進した。何曲か聴き終わると私はMP3プレイヤーとヘッドフォンをまたポケットにしまい込んで立ち上がり車内をぐるりと歩いてみた。誰もそこにはいない。電車の揺れは田園風景と同じように穏やかだった。たまに大きな工場地帯が見えた。そのたびに私はそれがなんの工場かということに想像を巡らせた。唯一、ガム工場は社名が大きく出ていたのでわかった。
北与野に着いた。降りると、ポケットに手を入れて階段までの距離を歩いた。草と土の匂いがして、5月の光が私を照す。階段を登りきり、改札に切符を入れて、北与野の駅の階段を下る。
駅前に出ると、ちらほらとチェーンの店やコンビニがあったのだが、何メートルか先は田園や田畑や草木が多く私の不安を5月の光の中に溶けさせた。
マクドナルドはその中で居心地の悪そうに建っていて、私はそこに足を踏み入れる。元気の良い店員の女性にココアを注文して、席に腰を降ろす。
私はそこで眠った。たぶん疲れていたのだろう。そして店員が起こしたのならまた東京に戻らなくてはならない。

1Q84(途中経過)

2013-05-15 12:44:38 | 本の紹介
村上春樹の1Q84はBOOK2の後半まできたのですが、けっこう読むのに苦労しています・・・。1Q84に出てくる『ふかえり』という女の子も17歳で空想のキャラクターなのに憧れちゃうほどすごいんです。久々に空想のキャラクターにメロメロになってしまった。1Q84を村上春樹さんは60歳くらいで書いていたかと思うとやはりすごいなと思う。
漫画のキャラクターは2次元だとしたら、小説の中のキャラクターは1次元でいいのだろうか!?ふかえりは1次元の架空のキャラクターとしては相当魅力的です。まだ1Q84自体途中なのですが、賛否両論あるなか私は本筋の話より、やはりそっちが気になり読んでいます。本筋も面白いです。とにかく文体が綺麗で読ませ方をしっているな~という印象。村上春樹さんは間違いなく素晴らしい小説家です。おそらく賛否両論なのは、村上春樹さんの文学者としての立ち位置なのかもしれません。
いまいち良くはわからないのですが、文学にはリアリズムやオリジナリティといった要素が重要視されるようで、オリジナリティは問題ないけれど、おそらくリアリズムが足りないというのが批評家やAmazonレビューの全体的な印象です。それは私も感じるのですが、リアリズムが文学に果たして直結しうるかということが争点なのかもしれません・・・。
でも17歳の1次元の超絶美少女ふかえりを60歳にして、描ける村上春樹さんの小説家としての才能には頭が下がる思いです。リアリズムを超越してしまうほどにファンタジックな自由な世界観で遊ぶことができます。まだ半分なので、もう半分読むともっとわかるのですが、たまには現実の超絶美少女(3次元!?でいいのかな!?)よりも小説の中の1次元の架空の超絶美少女に空想を巡らすことが遊びとしてとても楽しいように私は思いました。そんなこんなで、1Q84あと半分早く読まなくてはなりません・・・。

※余談

吉祥寺といえば、井の頭公園。その湖にあるボートに乗るとカップルは別れてしまうというジンクスがあるらしい・・。
ところで、都会には意外に川が流れていて、その河岸でiPodにスピーカーをつけて音楽鑑賞したり、何かを語り合ったり、夕日に向かって叫んだり、するのも悪くありません。

新宿御苑や明治神宮などは、けっこう公園っぽいっちゃ~そんな感じがする。あとは上野の恩師公園。そして渋谷のマウトレーニアホール。都会にはけっこうオアシスがあるのかもしれません。
でもやはり自然も公園も減りました。

独り言

2013-05-13 11:12:16 | +α
ひぃちゃんの歌声、感情がこもっていて表情も切なくてキュンときた(^-^)b
表現力豊かで、繊細な感じがして、よりひぃちゃんを応援しなくては!!!☆♪!
と思ったよ。ひぃちゃん可愛い☆♪!