エッセイと虚構と+α

日記やエッセイや小説などをたまに更新しています。随時リニューアルしています。拙文ですが暇つぶしになれば幸いです。

郷愁

2013-05-09 11:29:57 | 小説
店内でアフリカン系アメリカ人がタコスを注文していた。レジのヒスパニックのふくよかなパートタイムレディーは、緑色のストライプの制服を着て、50セントのメッシュのノースリーブを着ているそのアフリカン系アメリカ人にタコスをスーパーサイズにしないかと勧めているようだった。ぼくは射し込む陽射しを透明のガラスの自動ドアを通して受けながらレジの行列の最後尾に立って、その様子を見ていた。
レジまでの距離は、アメリカンスピリットを持ちうるもの同士特有の個を主張するというアイデンティティーに基づいた会話音量により殆どないも等しいものに感じる。ぼくは彼らがいや彼と彼女らが、レジを真ん中にして、スーパーサイズにするかどうかで議論している下に、テンガロンハットでも置いて周りの観衆がおひねりを入れれるようにしたい衝動にかられたのだが、実際にぼくが東洋人としての黒髪の上に被っていたのは青のベースボールキャップであったから、ただ他のレジに並ぶアングロサクソン系や、やはりヒスパニック系やアフリカン系やアイリッシュ系のアメリカ人達と一緒に眺めていた。
結局、アフリカン系アメリカ人は全盛期のホリーフィールドのように隆起した上腕二頭筋の間に、185cmはあるであろう体格に酷く似合わないタコベルの赤いロゴの入った茶紙袋を抱えて店を出た。タコスの最大サイズをこれから、家でアメフトでも見ながら食べるのであろうか。
ぼくは薄黄色い壁紙の内装の斜め上を見る。SAMSUNGの32インチの薄型テレビが壁に張り付くように掛けられていてスーパーボウルの中継が流されていた。店内でのお喋りを遮らないためなのか、何度か聞いたことのあるがなりたてるような実況はミュートにされている。
数分が経った。
レジがぼくの番になると遠目で見るよりもタコベルのパートタイムレディーは迫力があり、丸いあごに青い瞳を真っ直ぐとぼくを見て、英語は喋れるのか?と尋ねてきた。どうやらタコベルの社内規範では東洋人には必ずそう聞くようになっているらしく、ぼくは少しだけだと応え、スーパーサイズのタコスをコーラとオニオンリングをトレーの上に乗せ、窓際の通り沿いのカウンター席に腰を降ろした。赤い皮性の丸椅子はピカピカに光る金属の支柱に支えられていたが、あまりにも高く足がブラりと浮く。よくスパイスが効いたマスタードチリソースは、タコスを頬張るぼくの味覚を強く刺激し、ニューヨークの外れの通りでのひと気のない光景をタクシードライバーでロバート・デニローロが選挙事務所から出てきた時のようなエキサイティングなものに変節させる。
タコベルを出るとトレーに乗っていた日本のファーストフードで見るよりも何倍も小さな白いカサカサとした紙ナプキンで口元を拭い、それをタイムズスクエアに通じてる昼間なのに何処か仄暗い匂いの立ち込める路地裏の赤レンガ造りの建物の前にポイッと捨てた。そこはひと気がまるでなく立て直しが予定されているようで黄色と黒のフォックス柄のパッキングテープが出入口に貼り付けられていている。

ぼくは57番街地の安宿を引き上げて、東京に戻った。

2階の蔦の絡まるコケが生えてしまったボロアパートに入ると、貴重品だけを入れて持っていたポーターのミニショルダーバッグを畳敷きの床に静かに置き、冷蔵庫から水を出しグラスについで2杯ほど飲む。喉がそれを欲していた。あまりニューヨークの水は美味しいとは言えなかった。ウォルマートで買ったエビアンでさえも。
殻になった2リットルのペットボトルを台所に置いたままにして眠りにつく。時刻は夜の11時を回っていた。

アパートの前にはアジサイが咲こうとしている。YAMAHAのビーノに乗って青梅街道を直進し、スーパーのダイオーを目指す。ダイオーの地下にある駐輪スペースにビーノを停めて鍵をショルダーバッグにしまうと、いったん地上に出てニューヨークよりは厚みのない、光化学スモッグの東京の空を仰ぎ見た。雲の切れ間に覗く空はニューヨークのそれよりは蒼く、アイドルのDVDで何回も見ている沖縄の澄んだ空に比べるとかなり淀んでいたが、夏の到来を予感させる程に晴れ渡っている。
ぼくは勝手口から4階まで上がり、ネズミ色のロッカーでエプロンとシャツに上半身だけ着替えて3階まで降りた。バッグヤードの両開きの扉を開けてギフトコーナーの奥の事務室にノックをして入った。
中には、誰も居なくてタイムカードを押してぼくはキッチンハイターやエリエールやいち髪やキュキュットなどの住居用品を並べ、ひとしきり段ボールを片付けると、レジを手伝いその日の5時間のパートタイムを終え、また誰も居ない事務室でタイムカードを押して、着替えてビーノに乗り家路につく。青梅街道は暮れて太陽は沈んで三日月が出ていた。レモンイエローの発色光を浴びながらアパートに戻る。
そのまま寝てしまおうかとも思ったが荻窪駅近くのマクドナルドに向かった。

マクドナルドの店内に入るとレジですぐに注文することが出来た。チキンナゲットとコーラだけを頼んだ。クォーターパウンダーのバリューセットを勧められたがぼくはこれ以上太れないとそれを断った。500円玉1枚のサービス期間であったようだ。
禁煙の席に腰を降ろす。チキンナゲットの紙のパッケージの蓋をあけて、バーベキューソースに付け食べた。ニューヨークのタコベルのタコスよりかは刺激が少ないがそこには一種の郷愁があった。
後ろを振り返って、よく磨かれたガラス越しに夜の闇を確認する。マクドナルドの店内から三日月は見えない。
ナゲットを食べ終わり、トレーを下げてストローを差したコーラだけをもって自動ドアの灰色のボタンを静かに押し、外に出た。
三日月を見上げコーラを飲みながら、歩いた。そして部屋に帰ると、ノスタルジーというものはアイデンティティーを確立する事よりもぼくには意味がある事だと感じてせんべい布団の万年床に入り寝た。

次の日、ぼくは電車に乗って所沢の西武ドームに行った。

先発の岸はストレートの走りが悪く、カーブのキレもその日は良くないようだった。対して、スワローズの石川は持ち前の針の穴を通すような制球力と多彩な変化球のキレで西武打線にゴロの山を築かせ、スコアボードはスワローズの畠山のタイムリーなどで、0-3のまま8回の裏を迎えていた。西武の攻撃である。
好打順であったが、スワローズは石川の出来の良さに完投させるようだった。
右バッターボックスには片岡が入りデイゲームの球場が湧いた。ぼくもウェーブの波にしれっと参加し、勝負の行方を見守った。
片岡は初球を見事にレフト前に運んだ。ストレートの球威は明らかに衰えていた。
スワローズバッテリーは当然片岡の盗塁を警戒して何回も牽制をし、バッターボックスの栗山を焦らさせる。1ストライク1ボールでマウンドから放られたカーブを栗山は力一杯振り抜いてライトスタンドに運んだ。スコアボードは2-3になっていた。その後の中島も出塁して、スワローズのピッチャーは館山に交代した。中村は初球のストレートを見逃すと、マウンド上の館山は少し余裕を感じたようだった。ぼくは夏はまだ先のはずなのにだいぶ、スタジアムが熱気に包まれているのを感じていた。
館山のスライダーは中村から逃げるようによく曲がった。中村は大きく空振りをした。ストライク2である。館山はストライクゾーンの外にストレートを1球投げた。
中村はそれを見送ると肩で深く息をした。中村は明らかにホームラン狙いであり、館山もその勝負に応じようとしている。どよめいていたスタジアムは静まり返って勝負の行く末を見守った。ぼくは中村がホームランを打ったら帰り際に駅で宝くじを買おうと思った。
マウンドの館山は呼吸を整えると、サイドハンドから目一杯のストレートを放った。中村のインサイド高めにそれは来て迷わずバットを振り抜いて、打球を引っ張った。蒼い空に、大きく放物線を描いた打球はレフトのフェンス手前で失速して、畠山のグローブの中に収まった。

結局、2-3でスワローズが勝ちMVPには畠山が選ばれた。西武は負けた。ぼくは宝くじを買う事なく駅から、自宅のある荻窪に戻る。そして部屋でアイフォンをせんべい布団の上でタッチし、Twitterのアプリを立ち上げて、誰とにでもなくありがとうと呟いた。

BlogとSNSに関して・・・。

2013-05-09 11:29:42 | エッセイ
物書きとして職業として文章を書いている人も多いが、もうここはひきこもりの意地として、ブロガーとしてBlogを書いて行こうと思い、やはり文筆業をしている方々はなんだかんだで、社会人としてそれなりにやりながら、シフトチェンジしていく人が多いようだ。
やはり私のようなひきこもりが文筆で小銭でも稼ごうというのは虫の良い話であり、また実力がないのも確かだ。
BlogよりもHTMLから本来ならホームページを作りたいのだが、さすがに労力がいるためBlogにならざるを得ない。
Blogという言葉が出てくる前は、日記にしろエッセイにしろ、小説にしろWeb上にアウトプットするならばHTMLで骨組みからつくる必要があった。だから、予め日付が振られている日記帳に文字を刻むような居心地の悪さがある。Blogはあくまでシステム手帳であり、HTMLのページが白紙の紙でそれの方が純粋な表現などにはもちいやすいように感じるし、Blogが出て来たばかりの頃まだ多くの人が懐疑的なもので、いまでもそう捉えている人も多いように感じる。
しかし、FacebookやTwitterやmixiやLINEなどのSNSが出てきた事で、逆にBlogへの思い入れは、ぼくにとってはとても大きくなった。太っていて行動範囲が狭いこともあるが、Blogをブロガーとしてなんだか頑張りたいと思った。FacebookやTwitterやmixiやLINEも実はやりたくて仕方がないのだが、あえて登録はしていない過去には少ししていたが、ぼくはblogだけで手一杯であり、格好つけてやらないのではなく、やりたくてもできない・・・。
ようするに女の人と同じです。なかなかパートナーに巡り合えません。ひきこもり的な生活をしているので当たり前ですが・・・。
FacebookやTwitterやLINEやmixiはやはり横の繋がりが、実生活である程度ないと使いこなすのは難しいようだ。
そういう繋がりが濃い人たちはビジネスでも表現活動に於いてもすべてのそれらのSNSは良く作用するように思うが、横の繋がりが希薄な私にはSNSはどちらかというと刺激が強すぎて気疲かれしてしまう。
作家でも芸能人でも大御所ほど、SNSの必要性がないのは確かだが、村上春樹さんやよしもとばななさんがTwitterをやっていたり、ダウンタウンの松本人志さんがTwitterをはじめたりしたのはインターネット界にとってはとても嬉しい事であるし、それだけネットの意味合いもまえよりはだいぶ良くなったのかもしれない。
ぼくもいつか恋人でもできれば一気にFacebookそしてTwitterそしてmixiそしてLINEを始めたいと思っています。
でもそれはいつのことになるのやら・・・。
リア充とはリアルが充実していることであり、リアルが充実しているということは、実生活の横の繋がりや縦の繋がりも多く仕事や生活に、充実感があるということなのかもしれない。
ぼくはいまでもそういう傾向はあるが、そういう人を羨んでしまう。
でも31歳になってからはあまり思わなくなった。代わりに関係妄想の苦しみが来ただけで、やはり瀬戸内寂聴さんが言っていたように不条理なのが当たり前であり、常ならぬのが生きることなのかもしれない。
わかったようなことを言うなと、最近よく親や地域のおじさまやおばさま方にもよくお叱りを受けるが、ぼくはわかるために文章を書いているだけで、意味を羅列することも自分には何が足らないかを探るためにしているだけで
橋本治さんの『わからないという方法』にまんま影響を受けているだけなのです。それ自体もわかったような事なのですが、いまはそれをやっていく事がなにか自分には大切なことのような気がしている。
なんにせよ、原稿用紙に水性ペンを走らせてもパソコンに取り込まなくては活字にはならないわけで、私はとても字が汚いので自分以外の方にはたぶん読めないと思う。たまに自分でも手書きの字が汚すぎて読めないことがよくあり、パソコンのデジタル文字に取り込むためにWordなどで打ち直すのは結構な労力が入りそうだ。
とにかく、五木寛之さんが新刊の無力で、言っていたわかったようなふりをしないという小さな志を常に反省しながら橋本治さんの『わからないという方法』の影響を受けた独り言をBlogにひっそりと書きしめていきたいとあらためて思った5月の夜なのでした。

気まぐれ吉祥寺探訪

2013-05-02 22:40:04 | 小説
僕はその日、吉祥寺の肉屋の行列に並ぼうか迷っていた。行列はとても長くまるで話題の新作映画が封切りされるかのような熱気さえ帯びて、僕の歩行進路をUターンさせた。アーケードになっている商店街にはエクセルシオールがあり僕は270円ほどの金銭をパートタイマーの女性に渡すと、プラスチックケースのカフェモカを持って螺旋している深緑色の階段を上がって2階の窓際の席へとそれを置いた。そのままトイレへと向かう。たいていチェーンの喫茶店というものはトイレがいつも埋まっている。男性用・女性用限らずだ。ときに男女兼用のトイレがあったりもする。そんなときに入り口で待つのは気恥ずかしく、出てきた女性とすれ違うのは所在ないことこの上ないことである。しかしその日の吉祥寺のエクセルシオールのトイレは違った。すんなりと入れた。ドアを開け鍵を閉め用を足すと狭苦しいなかにある白い大理石の洗面台で手を洗う。
水を入れて、ノンカロリーのピンクの表示のあるガムシロップとコーヒーフレッシュとウェットティッシュを取ると窓際の席に腰かける。まずはアイスカフェモカのプラスチックの透明の蓋を取り、カチッとガムシロップとミルクを開けて一気に流し込む。殻になったガムシロップの上にミルクケースを重ね置く。ビニールを破いてウェットティシュを取り出し指についたガムシロップとミルクの飛沫を拭った。
カフェモカを飲むストローは緑色で液体がそこを通ると夕方の空に急に太陽が沈んでしまったような仄暗さになる。カフェモカの苦味に逆に喉が渇くだろうと思い水をもってきておいて良かった。歩行状態から一度腰を落ち着けると、立ち上がりたとえ水を一杯くんでくることさえ行列に何時間も並ぶこととそう変わらないくらいの面倒くささを感じてしまう。
水を飲んでみると檸檬の味がする。カフェモカをそして少し飲んで、窓から下のアーケード通りを覗いた。
前にはドラッグストアなのだが、カップラーメンやポテトチップスやチョコレート菓子の安売りワゴンを出し、上半分だけ切り取ったペットボトルの入った段ボールを重ねて、すでにスーパーマーケットと化した店を見つめる。
僕は水を飲み干し、カフェモカを右手で持ちながら籐椅子に腰かけて店舗を忙しく駆け回るアルバイトの店員を見ていた。カフェモカを空にすると、そのまま立ち上がり、プラスチックケースをゴミ箱に放り込み、螺旋している階段を降りてエクセルシオールを出る。「いらっしゃっいませ~」と叫ぶ僕よりかは若いアルバイト店員を尻目にアーケードをまだそのまま直進する。
アーケードの横に行くとゲームセンターの前に吉野家がありそこで腹ごしらえして、ゲームセンターのビートマニアを100円でやってみたのだが、ユーロビートを難易度マックスにしてしまったようで、お手上げだと思ったから、近くにいた少年にそれを託した。少年は6つのボタンを凄まじい速さと正確さでさばきその店のハイスコアを更新したようだった。ゲームセンターの店員から少年に景品が手渡されるのを見送ると、僕はまた通りを歩いた。