店内でアフリカン系アメリカ人がタコスを注文していた。レジのヒスパニックのふくよかなパートタイムレディーは、緑色のストライプの制服を着て、50セントのメッシュのノースリーブを着ているそのアフリカン系アメリカ人にタコスをスーパーサイズにしないかと勧めているようだった。ぼくは射し込む陽射しを透明のガラスの自動ドアを通して受けながらレジの行列の最後尾に立って、その様子を見ていた。
レジまでの距離は、アメリカンスピリットを持ちうるもの同士特有の個を主張するというアイデンティティーに基づいた会話音量により殆どないも等しいものに感じる。ぼくは彼らがいや彼と彼女らが、レジを真ん中にして、スーパーサイズにするかどうかで議論している下に、テンガロンハットでも置いて周りの観衆がおひねりを入れれるようにしたい衝動にかられたのだが、実際にぼくが東洋人としての黒髪の上に被っていたのは青のベースボールキャップであったから、ただ他のレジに並ぶアングロサクソン系や、やはりヒスパニック系やアフリカン系やアイリッシュ系のアメリカ人達と一緒に眺めていた。
結局、アフリカン系アメリカ人は全盛期のホリーフィールドのように隆起した上腕二頭筋の間に、185cmはあるであろう体格に酷く似合わないタコベルの赤いロゴの入った茶紙袋を抱えて店を出た。タコスの最大サイズをこれから、家でアメフトでも見ながら食べるのであろうか。
ぼくは薄黄色い壁紙の内装の斜め上を見る。SAMSUNGの32インチの薄型テレビが壁に張り付くように掛けられていてスーパーボウルの中継が流されていた。店内でのお喋りを遮らないためなのか、何度か聞いたことのあるがなりたてるような実況はミュートにされている。
数分が経った。
レジがぼくの番になると遠目で見るよりもタコベルのパートタイムレディーは迫力があり、丸いあごに青い瞳を真っ直ぐとぼくを見て、英語は喋れるのか?と尋ねてきた。どうやらタコベルの社内規範では東洋人には必ずそう聞くようになっているらしく、ぼくは少しだけだと応え、スーパーサイズのタコスをコーラとオニオンリングをトレーの上に乗せ、窓際の通り沿いのカウンター席に腰を降ろした。赤い皮性の丸椅子はピカピカに光る金属の支柱に支えられていたが、あまりにも高く足がブラりと浮く。よくスパイスが効いたマスタードチリソースは、タコスを頬張るぼくの味覚を強く刺激し、ニューヨークの外れの通りでのひと気のない光景をタクシードライバーでロバート・デニローロが選挙事務所から出てきた時のようなエキサイティングなものに変節させる。
タコベルを出るとトレーに乗っていた日本のファーストフードで見るよりも何倍も小さな白いカサカサとした紙ナプキンで口元を拭い、それをタイムズスクエアに通じてる昼間なのに何処か仄暗い匂いの立ち込める路地裏の赤レンガ造りの建物の前にポイッと捨てた。そこはひと気がまるでなく立て直しが予定されているようで黄色と黒のフォックス柄のパッキングテープが出入口に貼り付けられていている。
ぼくは57番街地の安宿を引き上げて、東京に戻った。
2階の蔦の絡まるコケが生えてしまったボロアパートに入ると、貴重品だけを入れて持っていたポーターのミニショルダーバッグを畳敷きの床に静かに置き、冷蔵庫から水を出しグラスについで2杯ほど飲む。喉がそれを欲していた。あまりニューヨークの水は美味しいとは言えなかった。ウォルマートで買ったエビアンでさえも。
殻になった2リットルのペットボトルを台所に置いたままにして眠りにつく。時刻は夜の11時を回っていた。
アパートの前にはアジサイが咲こうとしている。YAMAHAのビーノに乗って青梅街道を直進し、スーパーのダイオーを目指す。ダイオーの地下にある駐輪スペースにビーノを停めて鍵をショルダーバッグにしまうと、いったん地上に出てニューヨークよりは厚みのない、光化学スモッグの東京の空を仰ぎ見た。雲の切れ間に覗く空はニューヨークのそれよりは蒼く、アイドルのDVDで何回も見ている沖縄の澄んだ空に比べるとかなり淀んでいたが、夏の到来を予感させる程に晴れ渡っている。
ぼくは勝手口から4階まで上がり、ネズミ色のロッカーでエプロンとシャツに上半身だけ着替えて3階まで降りた。バッグヤードの両開きの扉を開けてギフトコーナーの奥の事務室にノックをして入った。
中には、誰も居なくてタイムカードを押してぼくはキッチンハイターやエリエールやいち髪やキュキュットなどの住居用品を並べ、ひとしきり段ボールを片付けると、レジを手伝いその日の5時間のパートタイムを終え、また誰も居ない事務室でタイムカードを押して、着替えてビーノに乗り家路につく。青梅街道は暮れて太陽は沈んで三日月が出ていた。レモンイエローの発色光を浴びながらアパートに戻る。
そのまま寝てしまおうかとも思ったが荻窪駅近くのマクドナルドに向かった。
マクドナルドの店内に入るとレジですぐに注文することが出来た。チキンナゲットとコーラだけを頼んだ。クォーターパウンダーのバリューセットを勧められたがぼくはこれ以上太れないとそれを断った。500円玉1枚のサービス期間であったようだ。
禁煙の席に腰を降ろす。チキンナゲットの紙のパッケージの蓋をあけて、バーベキューソースに付け食べた。ニューヨークのタコベルのタコスよりかは刺激が少ないがそこには一種の郷愁があった。
後ろを振り返って、よく磨かれたガラス越しに夜の闇を確認する。マクドナルドの店内から三日月は見えない。
ナゲットを食べ終わり、トレーを下げてストローを差したコーラだけをもって自動ドアの灰色のボタンを静かに押し、外に出た。
三日月を見上げコーラを飲みながら、歩いた。そして部屋に帰ると、ノスタルジーというものはアイデンティティーを確立する事よりもぼくには意味がある事だと感じてせんべい布団の万年床に入り寝た。
次の日、ぼくは電車に乗って所沢の西武ドームに行った。
先発の岸はストレートの走りが悪く、カーブのキレもその日は良くないようだった。対して、スワローズの石川は持ち前の針の穴を通すような制球力と多彩な変化球のキレで西武打線にゴロの山を築かせ、スコアボードはスワローズの畠山のタイムリーなどで、0-3のまま8回の裏を迎えていた。西武の攻撃である。
好打順であったが、スワローズは石川の出来の良さに完投させるようだった。
右バッターボックスには片岡が入りデイゲームの球場が湧いた。ぼくもウェーブの波にしれっと参加し、勝負の行方を見守った。
片岡は初球を見事にレフト前に運んだ。ストレートの球威は明らかに衰えていた。
スワローズバッテリーは当然片岡の盗塁を警戒して何回も牽制をし、バッターボックスの栗山を焦らさせる。1ストライク1ボールでマウンドから放られたカーブを栗山は力一杯振り抜いてライトスタンドに運んだ。スコアボードは2-3になっていた。その後の中島も出塁して、スワローズのピッチャーは館山に交代した。中村は初球のストレートを見逃すと、マウンド上の館山は少し余裕を感じたようだった。ぼくは夏はまだ先のはずなのにだいぶ、スタジアムが熱気に包まれているのを感じていた。
館山のスライダーは中村から逃げるようによく曲がった。中村は大きく空振りをした。ストライク2である。館山はストライクゾーンの外にストレートを1球投げた。
中村はそれを見送ると肩で深く息をした。中村は明らかにホームラン狙いであり、館山もその勝負に応じようとしている。どよめいていたスタジアムは静まり返って勝負の行く末を見守った。ぼくは中村がホームランを打ったら帰り際に駅で宝くじを買おうと思った。
マウンドの館山は呼吸を整えると、サイドハンドから目一杯のストレートを放った。中村のインサイド高めにそれは来て迷わずバットを振り抜いて、打球を引っ張った。蒼い空に、大きく放物線を描いた打球はレフトのフェンス手前で失速して、畠山のグローブの中に収まった。
結局、2-3でスワローズが勝ちMVPには畠山が選ばれた。西武は負けた。ぼくは宝くじを買う事なく駅から、自宅のある荻窪に戻る。そして部屋でアイフォンをせんべい布団の上でタッチし、Twitterのアプリを立ち上げて、誰とにでもなくありがとうと呟いた。
レジまでの距離は、アメリカンスピリットを持ちうるもの同士特有の個を主張するというアイデンティティーに基づいた会話音量により殆どないも等しいものに感じる。ぼくは彼らがいや彼と彼女らが、レジを真ん中にして、スーパーサイズにするかどうかで議論している下に、テンガロンハットでも置いて周りの観衆がおひねりを入れれるようにしたい衝動にかられたのだが、実際にぼくが東洋人としての黒髪の上に被っていたのは青のベースボールキャップであったから、ただ他のレジに並ぶアングロサクソン系や、やはりヒスパニック系やアフリカン系やアイリッシュ系のアメリカ人達と一緒に眺めていた。
結局、アフリカン系アメリカ人は全盛期のホリーフィールドのように隆起した上腕二頭筋の間に、185cmはあるであろう体格に酷く似合わないタコベルの赤いロゴの入った茶紙袋を抱えて店を出た。タコスの最大サイズをこれから、家でアメフトでも見ながら食べるのであろうか。
ぼくは薄黄色い壁紙の内装の斜め上を見る。SAMSUNGの32インチの薄型テレビが壁に張り付くように掛けられていてスーパーボウルの中継が流されていた。店内でのお喋りを遮らないためなのか、何度か聞いたことのあるがなりたてるような実況はミュートにされている。
数分が経った。
レジがぼくの番になると遠目で見るよりもタコベルのパートタイムレディーは迫力があり、丸いあごに青い瞳を真っ直ぐとぼくを見て、英語は喋れるのか?と尋ねてきた。どうやらタコベルの社内規範では東洋人には必ずそう聞くようになっているらしく、ぼくは少しだけだと応え、スーパーサイズのタコスをコーラとオニオンリングをトレーの上に乗せ、窓際の通り沿いのカウンター席に腰を降ろした。赤い皮性の丸椅子はピカピカに光る金属の支柱に支えられていたが、あまりにも高く足がブラりと浮く。よくスパイスが効いたマスタードチリソースは、タコスを頬張るぼくの味覚を強く刺激し、ニューヨークの外れの通りでのひと気のない光景をタクシードライバーでロバート・デニローロが選挙事務所から出てきた時のようなエキサイティングなものに変節させる。
タコベルを出るとトレーに乗っていた日本のファーストフードで見るよりも何倍も小さな白いカサカサとした紙ナプキンで口元を拭い、それをタイムズスクエアに通じてる昼間なのに何処か仄暗い匂いの立ち込める路地裏の赤レンガ造りの建物の前にポイッと捨てた。そこはひと気がまるでなく立て直しが予定されているようで黄色と黒のフォックス柄のパッキングテープが出入口に貼り付けられていている。
ぼくは57番街地の安宿を引き上げて、東京に戻った。
2階の蔦の絡まるコケが生えてしまったボロアパートに入ると、貴重品だけを入れて持っていたポーターのミニショルダーバッグを畳敷きの床に静かに置き、冷蔵庫から水を出しグラスについで2杯ほど飲む。喉がそれを欲していた。あまりニューヨークの水は美味しいとは言えなかった。ウォルマートで買ったエビアンでさえも。
殻になった2リットルのペットボトルを台所に置いたままにして眠りにつく。時刻は夜の11時を回っていた。
アパートの前にはアジサイが咲こうとしている。YAMAHAのビーノに乗って青梅街道を直進し、スーパーのダイオーを目指す。ダイオーの地下にある駐輪スペースにビーノを停めて鍵をショルダーバッグにしまうと、いったん地上に出てニューヨークよりは厚みのない、光化学スモッグの東京の空を仰ぎ見た。雲の切れ間に覗く空はニューヨークのそれよりは蒼く、アイドルのDVDで何回も見ている沖縄の澄んだ空に比べるとかなり淀んでいたが、夏の到来を予感させる程に晴れ渡っている。
ぼくは勝手口から4階まで上がり、ネズミ色のロッカーでエプロンとシャツに上半身だけ着替えて3階まで降りた。バッグヤードの両開きの扉を開けてギフトコーナーの奥の事務室にノックをして入った。
中には、誰も居なくてタイムカードを押してぼくはキッチンハイターやエリエールやいち髪やキュキュットなどの住居用品を並べ、ひとしきり段ボールを片付けると、レジを手伝いその日の5時間のパートタイムを終え、また誰も居ない事務室でタイムカードを押して、着替えてビーノに乗り家路につく。青梅街道は暮れて太陽は沈んで三日月が出ていた。レモンイエローの発色光を浴びながらアパートに戻る。
そのまま寝てしまおうかとも思ったが荻窪駅近くのマクドナルドに向かった。
マクドナルドの店内に入るとレジですぐに注文することが出来た。チキンナゲットとコーラだけを頼んだ。クォーターパウンダーのバリューセットを勧められたがぼくはこれ以上太れないとそれを断った。500円玉1枚のサービス期間であったようだ。
禁煙の席に腰を降ろす。チキンナゲットの紙のパッケージの蓋をあけて、バーベキューソースに付け食べた。ニューヨークのタコベルのタコスよりかは刺激が少ないがそこには一種の郷愁があった。
後ろを振り返って、よく磨かれたガラス越しに夜の闇を確認する。マクドナルドの店内から三日月は見えない。
ナゲットを食べ終わり、トレーを下げてストローを差したコーラだけをもって自動ドアの灰色のボタンを静かに押し、外に出た。
三日月を見上げコーラを飲みながら、歩いた。そして部屋に帰ると、ノスタルジーというものはアイデンティティーを確立する事よりもぼくには意味がある事だと感じてせんべい布団の万年床に入り寝た。
次の日、ぼくは電車に乗って所沢の西武ドームに行った。
先発の岸はストレートの走りが悪く、カーブのキレもその日は良くないようだった。対して、スワローズの石川は持ち前の針の穴を通すような制球力と多彩な変化球のキレで西武打線にゴロの山を築かせ、スコアボードはスワローズの畠山のタイムリーなどで、0-3のまま8回の裏を迎えていた。西武の攻撃である。
好打順であったが、スワローズは石川の出来の良さに完投させるようだった。
右バッターボックスには片岡が入りデイゲームの球場が湧いた。ぼくもウェーブの波にしれっと参加し、勝負の行方を見守った。
片岡は初球を見事にレフト前に運んだ。ストレートの球威は明らかに衰えていた。
スワローズバッテリーは当然片岡の盗塁を警戒して何回も牽制をし、バッターボックスの栗山を焦らさせる。1ストライク1ボールでマウンドから放られたカーブを栗山は力一杯振り抜いてライトスタンドに運んだ。スコアボードは2-3になっていた。その後の中島も出塁して、スワローズのピッチャーは館山に交代した。中村は初球のストレートを見逃すと、マウンド上の館山は少し余裕を感じたようだった。ぼくは夏はまだ先のはずなのにだいぶ、スタジアムが熱気に包まれているのを感じていた。
館山のスライダーは中村から逃げるようによく曲がった。中村は大きく空振りをした。ストライク2である。館山はストライクゾーンの外にストレートを1球投げた。
中村はそれを見送ると肩で深く息をした。中村は明らかにホームラン狙いであり、館山もその勝負に応じようとしている。どよめいていたスタジアムは静まり返って勝負の行く末を見守った。ぼくは中村がホームランを打ったら帰り際に駅で宝くじを買おうと思った。
マウンドの館山は呼吸を整えると、サイドハンドから目一杯のストレートを放った。中村のインサイド高めにそれは来て迷わずバットを振り抜いて、打球を引っ張った。蒼い空に、大きく放物線を描いた打球はレフトのフェンス手前で失速して、畠山のグローブの中に収まった。
結局、2-3でスワローズが勝ちMVPには畠山が選ばれた。西武は負けた。ぼくは宝くじを買う事なく駅から、自宅のある荻窪に戻る。そして部屋でアイフォンをせんべい布団の上でタッチし、Twitterのアプリを立ち上げて、誰とにでもなくありがとうと呟いた。