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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成はじめのころです
私は、おイトばぁさんの所に寄った。玄関が開いていたからである。声を掛けると、猿の桃子が走り寄ってきた。もう、3匹とは顔なじみである。彼らは、ペット用のフードをお土産がわりに持っていってやっているものだから、すっかり私を認めてくれているのだ。
桃子が、私の革ズボンをしきりと引っ張るので、奥に入っていった。おイトばぁさんが、布団に寝ていた。犬の猫助と豚のデン子は、その傍で寝そべっていた。私が傍へ行くと、2匹とも力なく頭をあげた。
「おイトばぁちゃん、病気かい?」
「おうおう、これは休人はん、よう来てくれたのう。変なヤツに捕まってしもうてな。このざまよ。何とも情けない」
うっすらと目尻に涙が滲んでいた。
「どこが悪いの」
「足腰をやられてしもうてなあ。寝たきりなんじゃよ」
「ええっ、いつから」
「もう2月にはなるかいな」
「医者には?」
「3日に一度は来てくれるが、あんなものでは治らんて」
「ご飯や洗濯は?」
「みんながやってくれるのでな。助かるよ。畜生でも、日頃から子供のように可愛がって世話してやっていると、恩返ししてくれるんじゃのう。ありがたいことじゃ」
おイトばぁさんは、手は動くので、メモを書けば、犬の猫助が使い走りをするらしい。下の世話は、豚のデン子にまかせている。炊事は、猿の花子が受け持っているという。息子も、近所の知らせで東京から帰ってきて、病院に入ることを勧めたのだが、ガンとして拒否してやった。
病院などに入ると、余計に悪化しそうな気がする。何人もの知り合いを見て、そう感じたらしい。養老院の世話にもなりたくはない。ここで、じっくりと病と戦いながら暮らしてみせる。他人の手を煩わせたくはない。私自身も、人の世話など御免を蒙る、お相子でいいじゃないかと呟くように言った。
私は、それを聞いて、心の中で拍手を送った。といって、私に出来ることと言えば、それぐらいである。毎週訪ねてやりたいが、往復6時間も掛かるので、そうもいかない。というより、それが義務化するなると、これは私の重荷にもなる。そういう真似は到底出来かねる。2~3度ならまだしも、常時となるとハタと考え込んでしまう。
私の奥底には、どうしようもないほど、冷たい血が流れているのだろうか。しかし、おイトばぁさんは他人の、いや自分の息子の手さえ借りようとはしないのだ。私が、そういうことをするなど望んでもいないだろう。逆に、そんなことされると、ばぁさんは余計に気を悪くするであろう。そういう事を望むなら、とっくに病院に入るか、近所の世話になつているはずである。
ペットには、迷惑をかけるが、どうせ彼らは他に取り柄もないのだ。単に人間の慰みものとなって、ノホホンと寿命を尽きるよりも、おイトばぁさんの役に立って感謝されながら、生きる方が素晴らしいに違いない。畜生といえども、心はある。感謝の心で、日々接するばぁさんの気持ちが伝わらないわけは無いのだ。
私は、ばぁさんの中に人間の強さを見た。何の変哲も無い山の中に埋もれた一人の朽ち女に過ぎないが、彼女の姿勢は現代に生きる人類の求めるべき姿勢でもあった。と同時に畜生と呼ばれているモノとの限りない共存、といっても、彼らが人間の意向を無視しては、この地球では、生き延びることは出来ないのだ。その畜生に与えられた生きがいというようなモノを垣間見たように思った。
もし、万一、ばぁさんが死んだりすれば、後はどうなるのだろうという気がしないでもない。けれども、おイトばぁさんは生きているのだ。生き続けてゆくのだ。根性を貫いて生きていれば、また歩けるようになるかもしれない。治るかもしれない。いや、あの心がまえなら、必ずや歩けるようにはなるだろう。
ずっと先の話になるのだが、この世に、神や仏が居るものなら、せめての慈悲として、4者の寿命を同時に尽きさせてやって欲しいという、願っても叶えられそうにもない願いを抱いて、暗い夜道に、バイクを踏み入れた。
おわり