サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポールのメインストリート(私の巡礼仲間、ルネの後ろ姿が手前左、ジルが手前右)
At main street of SJPP(Rene is seen on the right front part and Gilles on the left front.
(第1部)2009年の巡礼 (Part 1) Pilgrimage of 2009
巡礼の旅は、毎日毎日が不安と期待に満ちた未知への冒険です。そのような旅の道中で、国籍、年齢、キャリア、性別、価値観などが異なる多くの人々との出会いがあります。巡礼中に私が実際に出会った人々との貴重な体験談を、数回に分けて執筆します。
☆第1話 フランス人ビジネスマンコンビとの出会い
2009年の巡礼では、SJPP(St. Jean Pied de Port)からログローニョ(Logrono)までの行程約165kmを、私はフランス人ビジネスマン二人と行動を共にしました。しかし、その二人と出会ったのは、スペイン巡礼直前のフランス・バスク地方でした。本稿では、現地でなぜ友情が芽生え、寝食を共にする旅が実現したのか、そのいきさつをお話ししましょう。
スペイン巡礼の出発地は、SJPPです。SJPP出発の前日、バスク地方にある巡礼宿、オスタバ(Ostabat)に宿泊しました。オスタバは、フランス・ルピュイルート巡礼で、SJPPに向かう最後の巡礼宿です。泊まった宿の主人が素晴らしいエンタテーナーでしたので、ディナーの席はパーティ騒ぎの様な盛り上がりでした。その中に、真っ赤なポロシャツを着たきざな感じのフランス人が二人おりました。その二人が、流暢に英語を話すのを聞き、奇妙な印象が残りました。
オスタバの夕食パーティで出会ったフランス人(右側手前の二人)
翌日、SJPPでこの二人と再会しました。ホテルは違っていましたが、レストランで夕食をご一緒することになりました。一人はルネと言い、もう一人はジルと言う名前でした。
団欒を重ねていると、年代も近く、ビジネス経歴や趣味にも共通点があることを知り、親近感が深まりました。さらに、お互いにスペインのログローニョまで歩く計画であることも分かりました。それが縁で意気投合し、取敢えず翌日は、3人が連れだってピレネーを超え、スペイン側のロンセスバージェスまで歩こうと言うことになりました。
約束通り翌日の7時半に、SJPPのスペイン門(Porte d'Espagne)でこのフランス人コンビと合流しました。この日の行程は、標高差1,300mを登り、ピレネー山中でスペインに入る山旅です。生憎の雨模様の中で2時間ほど登った頃、オリッソン・ヒュッテで、一休みしました。
スペイン巡礼1日目、オリッソン・ヒュッテ前のルネ
その後、深い霧に包まれた山道を登攀中に、フランス人の温かい友情に深く感謝することになりました。フランス人コンビは脚力が優れていたので、視界が20-30m程度しかない状態の中で、彼らの姿はすぐに見えなくなりました。ところが、15-20分ごとに、彼らの誰か一人が必ず待っていてくれました。この様な親切に、私はどれほど励まされたかわかりません!
霧で霞んだピレネー山中のジル
約8時間後に、スペイン最初の宿泊地、ロンセスバージェスに到着しました。ここには、巨大な公営のアルベルゲ(巡礼宿)がありました。下見に出かけると、体育館の様なだだっ広い大部屋に100床以上のベッドが置かれていました。この光景を見て、3人の意見が一致しました。つまり、ここではピレネー越えで疲れた身体を癒すことは無理なので、ホテルを探すことにしたのです。運よく、近くのリゾート・ホテルでラウンジ付きの3人部屋を確保することができました。
ロンセスバージェスで泊まったリゾート・ホテル
夕食時、お互いにいろいろと身の上話を語り合いました。ルネは、紅茶などの嗜好品を販売する企業の役員でした。その会社は国際的なネットワークがあり、日常的に外国の企業と交流があるとのことであした。一方、ジルはツールーズ大学航空工学部出身の秀才でした。ツールーズは、エアバスの本社があるので有名な都市です。しかし、彼は航空機の業界には進まず、トムソンと言う国際企業に就職し、中東に勤務した経験がある言うことでした。要するに、二人とも国際的規模で活動しているビジネスマンでした。私も、プラント輸出などで海外ビジネスを永年経験していたので、彼らと似たような境遇でした。
その後も巡礼の道中で、いろいろな話題を語り合いましたが、彼らは意外と日本の実情もよく知っていることに驚きました。したがって、自然の成り行きで、日仏の文化や歴史、習慣など多岐に渡る議論を楽しみました。
第2日目 ララソアーナに向かう途中でランチ休憩をするルネとジル
第3日目 パンプローナのタウンホールにて、ルネとジルのスナップ
第4日目 プエンテ・ラ・レイナの巡礼宿で夕食の食卓を囲む3人
第5日目、シラウキ村を背景に望むルネと私
第6日目 イラーチェのワインの泉の前に立つジルと私
第7日目 ログローニョに向かう途中のルネとジル
第8日目 ルネ、ジル及び他のフランス人巡礼者と別れの記念写真(ログローニョのホテルの前で)
ジルが同行してくれたことで、とても助かったことがあります。いったんスペインに入ると、英語もフランス語も通じません。例えば、レストランではスペイン語しか話しませんし、メニューもスペイン語で書かれています。当たり前と言えば当たり前です。日本でも全く同様ですね!ところが、ジルは学生時代にしばらくバルセローナに滞在したことがあり、日常表現ならばスペイン語を話したり、文章を理解したりすることができたのです。したがって、レストランではメニューを見ながら、他の二人に英語で説明してくれました。また、持参している携帯電話でスペイン語を話しながら、ホテルの予約を取ってくれました。全く有難い幸運でした。
さて、話題は変わりますが、巡礼者の誰もが抱える問題について、道連れのフランス人仲間から教わった対策をを紹介します。毎朝、彼らは靴を履く前に、足の裏に丁寧にクリームを塗っていました。そのクリームを塗ると、靴擦れが防止できるらしいのです。私も勧められて、そのクリームを使うと、確かに靴擦れに悩まされることなく、ログローニョまで無事に歩き通すことができ、とても助かりました。
フランス人から勧められた窟擦れ防止クリーム
彼らとの8日間の旅で、語りつくすことができないほど、いろいろな体験をしました。そして、日本に帰国後も、メールのやり取りで現在でも交流が続いております。2011年3月11日の東日本大震災の際には、福島原発の影響も含めて安否を気遣うメールを頂きました。いつの日か、再会できることを楽しみにしております。
At main street of SJPP(Rene is seen on the right front part and Gilles on the left front.
(第1部)2009年の巡礼 (Part 1) Pilgrimage of 2009
巡礼の旅は、毎日毎日が不安と期待に満ちた未知への冒険です。そのような旅の道中で、国籍、年齢、キャリア、性別、価値観などが異なる多くの人々との出会いがあります。巡礼中に私が実際に出会った人々との貴重な体験談を、数回に分けて執筆します。
☆第1話 フランス人ビジネスマンコンビとの出会い
2009年の巡礼では、SJPP(St. Jean Pied de Port)からログローニョ(Logrono)までの行程約165kmを、私はフランス人ビジネスマン二人と行動を共にしました。しかし、その二人と出会ったのは、スペイン巡礼直前のフランス・バスク地方でした。本稿では、現地でなぜ友情が芽生え、寝食を共にする旅が実現したのか、そのいきさつをお話ししましょう。
スペイン巡礼の出発地は、SJPPです。SJPP出発の前日、バスク地方にある巡礼宿、オスタバ(Ostabat)に宿泊しました。オスタバは、フランス・ルピュイルート巡礼で、SJPPに向かう最後の巡礼宿です。泊まった宿の主人が素晴らしいエンタテーナーでしたので、ディナーの席はパーティ騒ぎの様な盛り上がりでした。その中に、真っ赤なポロシャツを着たきざな感じのフランス人が二人おりました。その二人が、流暢に英語を話すのを聞き、奇妙な印象が残りました。
オスタバの夕食パーティで出会ったフランス人(右側手前の二人)
翌日、SJPPでこの二人と再会しました。ホテルは違っていましたが、レストランで夕食をご一緒することになりました。一人はルネと言い、もう一人はジルと言う名前でした。
団欒を重ねていると、年代も近く、ビジネス経歴や趣味にも共通点があることを知り、親近感が深まりました。さらに、お互いにスペインのログローニョまで歩く計画であることも分かりました。それが縁で意気投合し、取敢えず翌日は、3人が連れだってピレネーを超え、スペイン側のロンセスバージェスまで歩こうと言うことになりました。
約束通り翌日の7時半に、SJPPのスペイン門(Porte d'Espagne)でこのフランス人コンビと合流しました。この日の行程は、標高差1,300mを登り、ピレネー山中でスペインに入る山旅です。生憎の雨模様の中で2時間ほど登った頃、オリッソン・ヒュッテで、一休みしました。
スペイン巡礼1日目、オリッソン・ヒュッテ前のルネ
その後、深い霧に包まれた山道を登攀中に、フランス人の温かい友情に深く感謝することになりました。フランス人コンビは脚力が優れていたので、視界が20-30m程度しかない状態の中で、彼らの姿はすぐに見えなくなりました。ところが、15-20分ごとに、彼らの誰か一人が必ず待っていてくれました。この様な親切に、私はどれほど励まされたかわかりません!
霧で霞んだピレネー山中のジル
約8時間後に、スペイン最初の宿泊地、ロンセスバージェスに到着しました。ここには、巨大な公営のアルベルゲ(巡礼宿)がありました。下見に出かけると、体育館の様なだだっ広い大部屋に100床以上のベッドが置かれていました。この光景を見て、3人の意見が一致しました。つまり、ここではピレネー越えで疲れた身体を癒すことは無理なので、ホテルを探すことにしたのです。運よく、近くのリゾート・ホテルでラウンジ付きの3人部屋を確保することができました。
ロンセスバージェスで泊まったリゾート・ホテル
夕食時、お互いにいろいろと身の上話を語り合いました。ルネは、紅茶などの嗜好品を販売する企業の役員でした。その会社は国際的なネットワークがあり、日常的に外国の企業と交流があるとのことであした。一方、ジルはツールーズ大学航空工学部出身の秀才でした。ツールーズは、エアバスの本社があるので有名な都市です。しかし、彼は航空機の業界には進まず、トムソンと言う国際企業に就職し、中東に勤務した経験がある言うことでした。要するに、二人とも国際的規模で活動しているビジネスマンでした。私も、プラント輸出などで海外ビジネスを永年経験していたので、彼らと似たような境遇でした。
その後も巡礼の道中で、いろいろな話題を語り合いましたが、彼らは意外と日本の実情もよく知っていることに驚きました。したがって、自然の成り行きで、日仏の文化や歴史、習慣など多岐に渡る議論を楽しみました。
第2日目 ララソアーナに向かう途中でランチ休憩をするルネとジル
第3日目 パンプローナのタウンホールにて、ルネとジルのスナップ
第4日目 プエンテ・ラ・レイナの巡礼宿で夕食の食卓を囲む3人
第5日目、シラウキ村を背景に望むルネと私
第6日目 イラーチェのワインの泉の前に立つジルと私
第7日目 ログローニョに向かう途中のルネとジル
第8日目 ルネ、ジル及び他のフランス人巡礼者と別れの記念写真(ログローニョのホテルの前で)
ジルが同行してくれたことで、とても助かったことがあります。いったんスペインに入ると、英語もフランス語も通じません。例えば、レストランではスペイン語しか話しませんし、メニューもスペイン語で書かれています。当たり前と言えば当たり前です。日本でも全く同様ですね!ところが、ジルは学生時代にしばらくバルセローナに滞在したことがあり、日常表現ならばスペイン語を話したり、文章を理解したりすることができたのです。したがって、レストランではメニューを見ながら、他の二人に英語で説明してくれました。また、持参している携帯電話でスペイン語を話しながら、ホテルの予約を取ってくれました。全く有難い幸運でした。
さて、話題は変わりますが、巡礼者の誰もが抱える問題について、道連れのフランス人仲間から教わった対策をを紹介します。毎朝、彼らは靴を履く前に、足の裏に丁寧にクリームを塗っていました。そのクリームを塗ると、靴擦れが防止できるらしいのです。私も勧められて、そのクリームを使うと、確かに靴擦れに悩まされることなく、ログローニョまで無事に歩き通すことができ、とても助かりました。
フランス人から勧められた窟擦れ防止クリーム
彼らとの8日間の旅で、語りつくすことができないほど、いろいろな体験をしました。そして、日本に帰国後も、メールのやり取りで現在でも交流が続いております。2011年3月11日の東日本大震災の際には、福島原発の影響も含めて安否を気遣うメールを頂きました。いつの日か、再会できることを楽しみにしております。
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