ひたすらピレネー峠を目指す私 Myself climbing toward Pyrennee Pass
2009年のサンチャゴ巡礼では、フランスの起点サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポーを5月24日に出発し、ログローニョまでの約160kmの行程を7日間で歩きました。旅は道連れ、昨日知り合ったフランス人の巡礼者ルネ及びジルと共に、ほぼ全工程を一緒に歩きました。
尚、各行程の詳細につきましては、既に投稿した記事をご覧下さい。
第1日目、5月24日。
小雨で深い霧がかかる天気でした。サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポーの街を出ると、いきなり山登りです。ピレネーの峠越えは、標高差が約1,300m です。富士山の6合目から頂上までの標高差とほぼ同じです。
仲間のフランス人たちは私よりも歩調が速いので、彼らの姿はいつの間にか霧の中に消えてしまう状況でした。でもしばらくすると、二人の中の誰かがいつも前方で待っていてくれました。この親切に、私はどれほど励まされたか分かりません。
ピレネー越え途中の私達3人組み Three of us on the way to cross the Pyrennees
フランスとスペインの国境線であるベンタルテア峠(標高1344m)を越えて、レオポエデール峠(標高1430m)を過ぎると、やっと下り道となりました。スペイン最初の目的地、ロンセスバージェスに到着するまで、8時間かかリました。ロンセスバージェスは人口30人足らずの山あいの寒村ですが、村の入口には12世紀建造のアウグスティン修道院がありました。我々は、3人部屋プラス応接室を備えたホテルに泊り、山越えの疲れを癒しました。
第2日目、5月25日。
ロンセスバージェスを出発の時には朝霧がかかっていましたが、日中は曇後晴れの天気でした。
ロンセスバージェスの小さな教会 Small medieval church at Roncesvalles
この日は、ブルゲーテ、エスピナール、ビスカレッタ、エーロ峠、スピリを通過して、ララソアーナに至る27kmの行程です。この行程は、概ねなだらかな下りが続く道路なので、さほど苦労はありませんでした。
出発時にベビーを連れたケベックの若夫婦巡礼者に出合ったこと、エーロ峠に至る森の中で客死した日本人巡礼の碑があったことなどが、印象に残っています。
スビリの村で、今夜泊るララソアーナの宿を探したのですが、生憎どこも満室。でも、ララソアーナ郊外のアケレータにホテルを確保でき、ほっとしました。そのホテルは古い農家を改装した木造建築で、バスク伝統の風情が漂っていました。
アケレータで泊ったバスク風ホテルの私の部屋 My hotel room at Akerreta built in traditional Basque style
第3日目、5月26日。
天気は概ね曇。目的地はパンプローナです。17kmの短い行程です。
出発して暫らくは田園風景。途中で立ち寄ったイロツの教会、中世に建造されたトリニダード・デ・アルの石橋、ビシャバで出合った韓国人ドクターなどが、この日の思い出に刻まれています。パンプローナに到着したのは、14時頃でした。
パンプローナでは、サンタ・マリア大聖堂、タウンホール、広大な城壁、サン・フェルミン祭りで牛追いが繰り広げられる旧市街など、中世都市の観光を満喫しました。
パンプローナ市内にて、ルネと私 Rene and myself at city center of Pamplona
観光が終わると、ルネとジルに別れを告げました。彼らは、ここから5km先の宿泊地、シズール・メノールに向かいました。
夜は一人でバールに出かけましたが、昨夜ホテルで一緒だった英国人巡礼たちと再会しました。皆で一緒に、ナバーラ・ワインを片手にバスク料理のピンチョスを囲んで、パンプローナの一夜を楽しみました。
第4日目、5月27日。
この日は概ね晴れ。出発は一人ぼっちでした。巡礼道に入るとき、韓国人ドクターらの一行と再会。ペルドン峠まで、一緒に歩きました。途中のサリキエギ付近の丘の上には、発電用風車が多数並んでいて、壮観でした。まさか、スペインがこれほど自然エネルギーに熱心な国とは知りませんでした。
サリキエギ付近の風車群 Numerous windmill generators on the hill of Zariquiegui
ペルドン峠に向かう登り道では、一面に咲いている黄色の花が、心を癒してくれました。峠の頂上には、往時の巡礼を彷彿させる鉄製のオブジェが立っていました。峠からのパノラマビューは素晴らしく、周辺の景色が一望の下に見渡せました。
峠を下りてウテルガの村に入ったところで、ルネとジルに再会しました。しかし、彼らは寄り道をして古い教会を見学するとの事でした。私は、プエンテ・ラ・レイナに直行することとし、一人旅を続けることにしました。
プエンテ・ラ・レイナには、15時頃に到着。今日の歩行距離は22kmでした。到着するとすぐに、巡礼道で最も美しいと言われるロマネスク様式の石橋を見学しました。夕食は宿のレストランで巡礼メニューを頼み、3人で今日の旅路と明日の予定を語り合いました。
プエンテ・ラ・レイナの宿のレストランにて At hotel restaurant at Puente la Reina
第5日目、5月28日。
快晴です。この日は3人一緒に、エステージャまで23kmの行程を歩きました。
最初の人里であるマニェル村を過ぎて、次のシラウキに向かう巡礼道には、ブドウ畑が目立つようになりました。ジルは、その道端に自生している野草を摘んで、これは“アニス”だよと教えてくれました。アニスの実物を見るのは、初体験でした。
暫らく歩くと、広大なブドウ畑の向こうにシラウキの街影がぽっかり浮かんでいました。絵になる眺めでした。
ブドウ畑の奥に浮かぶシラウキ村 Village of Cirauqui at far end of vineyard
シラウキ村を通り過ぎて、隣村のロルカ村に辿り着いたとき、アルベルゲに立ち寄って昼食を取りました。次のビジャトゥエルタ村では、中世のアーチ型石橋にしばし見とれました。
16時頃、エステージャに到着。12世紀にナバーラの首都があった町です。王宮や教会など、当時の“ロマネスク様式”の建築が多数残っていて、歴史散歩を楽しみました。
第6日目、5月29日。
今日も快晴。3人の仲間が連れ立って、ロス・アルコスまで21kmの巡礼を続けました。エステージャの町外れで、ケベックから来た赤ん坊連れの若夫婦に再会。5日振りですが、親子ともに元気な様子を見て、嬉しく思いました。
最初に訪れたアジエギ村には、巡礼者に無料でワインを振舞ってくれる“ワインの泉”がありました。私も巡礼者の一人として、感謝の念をこめてお恵みのワインを頂きました。このすぐ隣には、11世紀建造のイラーチェ修道院が建っていました。内部を見学し、歴史の重さと厳そかな雰囲気に触れ、心が引き締まりました。
巡礼道に戻り約1時間後、右手に奥に三角形の山が現れました。モンジャルディンの山です。頂上には、廃墟の様な古城が見えました。
ビジャマジョールへの途中には、13世紀に造られたと言う“古い泉”がありました。水槽を見下ろすこの建物の中に涼を求め、ここで昼食を取りました。
古い泉のある建屋に佇む私 Myself standing in the cottage of medieval fountain
ロスアルコスの村には、16時に到着。中心部の広場で、韓国人ドクターらの一行と再会。ビール・ジョッキを傾けながら、旅路の情報交換をしました。
第7日目、5月30日。
ほぼ快晴の天気。いよいよ私にとっては、今回の巡礼の最終日です。ログローニョまでは29kmの道のりです。朝7時半に宿を出発し、トーレス・デル・リーオ村で朝食。片田舎の寒村ですが、12世紀に建造されたサント・セプルクロ教会(聖墳墓教会)があり、歴史の古さに驚きました。
この村を出ると、周りはブドウ畑とかオリーブ畑。炎天下で約2時間半ほど進むと、道端に“ビアーナ”の標識が・・・。ビールがもうすぐと喜びましたが、ビアーナの街までは1時間半もかかりました。ビアーナでは、先着の巡礼に仲間入りし、待望のビールで喉を潤しながらゆっくりと昼食を取りました。この町には、中世の隆盛期に建てられたタウンホールやサンタ・マリア教会がありました。
ビアーナのサンタ・マリア教会正門 Facade of Santa Maria Church at Viana
この街を出て約1時間後、遠くにログローニョの街影が見えて来ました。その後リオハ州の入口を示す標識が現れ、ナバーラ州の旅は終わりとなりました。広い川幅のエブロ川を渡ってログローニョの街に入ったのは、17時頃でした。
ログローニョはリオハ自治州の州都です。リオハ・ワインの産地として有名です。この街の中心はサンタ・マリア・デ・ラ・レドンダ教会前のメルカド広場です。この広場の一角にあるレストランで、ルネやジル並びに他のフランス人二人と共に、スペイン料理の夕食を楽しみました。私が頼んだウサギ料理の味はいまいちでしたが、本場のリオハ・ワインは格別の口当たりでした。
ルネと私は、日程の都合で今晩が巡礼最後の夜でした。他の3人は明日も巡礼が続きます。
ログローニョのホテルで巡礼仲間と共に With my fellow pilgrims at Rogrono hotel
この旅を振り返ると、ピレネーの山越えが最大の難所でした。その後は、スタミナ切れの危機もなく、道に迷うこともなく、天気の崩れもなく、又靴摺れやマメの悩みもなく、別段のハップニングもなく、7日間のスペイン巡礼を無事に終えることができました。神の加護のお蔭でしょうか?
来年は、聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指し、残りの全行程踏破を果たしたいと念じています。
(以上)
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