そうなのだ! と現実を認識した
「「号外」の理由 このことを知って! 若者のワクチン接種のこと
2021-11-15」
この日に私のブログで紹介したニコニコ動画は中日の木下投手の心筋炎の件
解剖所見にもかかわらず 補足をつける厚労省の異様さを語ったもの
昨日シカ先生が出した資料は全く同じものだけれど 驚くべきことがわかった!
2021・11・12の副反応検討部会の資料は2021.10・24までの数字
若い人への接種が進んでいたが、中・高校生の本格的な接種は含まれていない
次の副反応検討部会の報告が気になる
2~3週間のかんかくと不定期になっている検討部会の開催日
次の資料が出るころには、若い人の接種は終わっているかも
さらに付け加えると この数字は「報告された数字だけ」
報告手続きが煩わしく 厚労省も報告しなくてもよいと言っているならば
・・・あとは医者の良識ってところ
2月に政府は5~11歳までの接種の準備をするように自治体に指示した
日本ではまだ特例承認はされていないが・・・アメリカは緊急承認したから
今までの流れで言うと・・・特例承認して小学生に治験のワクチン接種!!
親や周りの人が十分に考えて子供に良い方法を選んでほしい
治験中のワクチンだから「これが正しい」とは誰もわからない
だからこそ 「メリットとデメリット」の情報を精査して欲しい
私のこのブログをスクロールして行けば
「リスク」の情報を見ることができる
(将来いずれかの時に起こる不確定な事象とその影響)
「ベネフィット」はマスコミや政府お抱えの専門医や医者が言っているから
(利益。恩恵)
私のブログでは語らない
未来ある子ども 将来起こるかもしれない事象や影響を考えることは
難しいけれど 考えなければならないこと
何度も書くが
「自己責任」の言葉の怖さと責任の重さは半端じゃない
決めたらあとは後悔しない! それがいいと思う それでいいと思う
途中変更だって「あり!」
自分の健康、子供の健康を考えることは「未来への選択」
ニコニコ動画の流れるコメントは右端3個目の四角をクリックで消せる
シカ先生の動画は注目度高く いつも出せば一位になっている
怪しい動画でないので クリックしてみても損はない(^_^)/
●心筋炎が小児科に押しかけていると思う
2021/11/17 17:57
子供に打つべきではありません。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm39635081
ハッキリ曇りの秋の空 11月18日木曜日です
そうか、英国では子供への接種は1回打ち止めなのですな。
打つ必要無し。
日本では新ワク大臣が3回目をヤル気満々!
同じ日本人を危険に晒す売国者ですね。
感染者や死亡者数が多いイギリスですら子供への接種は慎重です
イギリスのデータでは接種者の感染率が未接種者よりも高くなり
重症化も接種者の方が多くなっています
これもシカ先生がイギリスのデータで解説してくれました
選挙に期待していたのですが
野党の反応もいまいちでした
やはり子供を守るため しっかり考えることが大事
情報弱者には情報を提供したいです
(^^)/
今朝は違った観点から書いてみたいと思います。
モネも題材作りに物凄く苦労したと思います。絵が売れなくて貧苦のためにアトリエを転々と移転したのは事実でしょうが、印象派という「光と陰」「戸外制作」を追い求めたのですからキャンパスに何を描くか題材を求めてフランス国内は元より、オランダ、イギリスと海外にウイングを広げて彷徨ったと思います。行った方々で画商に「ここは私には合わない」と手紙まで送っています。
さて我々短歌もそうですよね。題材がないと詠めません。しかしさわさんは以下の文章を書いておられました。「私も今日の散歩でまたまた短歌を作りました散歩に行くたびに作っているので 散歩が一層楽しいです」この一文が素晴らしいです。さわさんは分かっていますね。大いに散歩に行ってください。出かけてください。それこそ短歌は「自然や風景、季節の四季折々、生活・文化一般、政治経済、スポーツ」幅広く詠むことが出来ます。
私は11月末にはバラの材料がなくなってしまいます。ストックがなくなりますのでブログの方向転換をしなければなりません。
12月から4月末まで長野県は凍結しますので基本は部屋の中での生活になります。それにスノータイヤ(スタッドレス)を履いたとしても、私は南国育ちで怖くて遠方には行けません。秘かに考えていることはありますのでいずれ時期が来たらお話しますね。
では私のブログ今日もお楽しみ下さいませ。
URL「https://blog.goo.ne.jp/knsw0805」
すぐわかっちゃいますよ もしかくれんぼを私のブログでしたとしても 即行「みーっけ」です
何処でもお好きなところに 飛んでくださいね♪
私は出来上がった作品のことしか知りませんでしたが
そこにたどり着くまでの 物語りがたくさんあるのですね
そのようなことには 思いも及びませんでした
ただ子育て時代の友人が この前話した芸大の首席だった女性
一人っ子ちゃんでしたが 子育てに時間をとられ、手が離れてから本格的に活動開始したのですが
やはり 子育て時代のブランクは大きいって言っていました
御主人も美大出身の方で 絵を教えたりしているようでした
ご自分よりも奥様の才能を重視した感じだと別の友人が言っていました
今はコロナかで詳しいことはわかりません
以前は近所のスーパでお買い物の時あったりしていたのですが
そのスーパもなっくなってしまい 会う機会がないのです
彼女の話ですごい!と思ったところは
「キャンパスには描きたいものが出てきているから
自分はそれを描けばいいの・・」
それを聞いて 「天才」の才能って思いました
真似っこの私は パソコンを開いて原稿用紙を出して
画面をジーっと見つめました うふふ♪
書きたい童画は出てきませんでした
やっぱり私は「凡人」だと確認できて 笑っちゃいました!(^^)!
短歌は吟行などいかなくっても 家でもふとした時に出てきます
コロナ前はお出かけ好きで いろいろ行ってましたから
頭の中に気に入った風景が入っているみたいです
それに自然はいつでも私のそばに いてくれますから♪
昨日の夕方も 西の空が茜色かな?
あとで「色見本」みよっと
今まで見たことないぐらい綺麗でした
窓の下の方に 緑が広がっていて その上がキレイ
どうしたのかしら?と思ったぐらいです
ブログも「自分好み」に模様替えはいいと思います
私も必要だったころは スタットレスに履き替えましたが
でもスタットレスでもアイスバーンは滑りますよね
出来ることなら チェーンがいいなと思いましたが
付けるの大変だし 雪が少ないところでは道路をいためます
なので今は 雪が降ったら溶けるまで車は使いません
住宅街を抜ければメインストリートになり
早くに雪が消えますが
住宅街はなかなか消えない箇所があるから 慎重にです!(^^)!
これから ちょこっとアッシーちゃんに変身(^_-)-☆
ブログもその後に書く予定です
いろいろお話ありがとうございます
今日も一日元気な気持ちで過ごしましょうね~
( ^^) _旦~~
今朝は大原孫三郎と児島虎次郎物語です。
児島は、ヨーロッパへ行く機会のない、多くの日本の画家たちのために、西洋名画の実物を日本へもたらすことの必要性を大原に説いた。
大原は児島の考えに賛同し、何を購入するかについては児島に一任した。
こうして児島はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入したのである。美術館所蔵品の中核をなす作品の多くは、1920年から1923年の間に児島虎次郎によって、フランスの首都パリにおいて主に収集された。
モネ『睡蓮』は晩年のモネ本人から児島が直接購入したものであり、マティス『画家の娘―マティス嬢の肖像』もマティス本人が気に入って長らく手元に置いていた作品を無理に譲ってもらったものだという。
大原美術館の代名詞のようになっているエル・グレコ『受胎告知』は、1922年、3回目の渡欧中だった児島が、パリの画廊で売りに出ているものを偶然見出した。児島は「こんな機会は二度とない」と思ったが、非常に高価で手持ちの金もなかったため、この時ばかりは大原に写真を送り購入を相談した。現在ではこの名画が日本にあることは奇蹟だといわれている。
その他、トゥールーズ=ロートレック『マルトX夫人の肖像―ボルドー』、ゴーギャン『かぐわしき大地』などの名品は児島の収集品である。
凄いお話です。目利きした児島虎次郎も偉いし、それに応えた大原孫三郎度量の大きさと資金力、感動的なストーリーです。
では私のブログ今日もお楽しみ下さいませ。
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なおお暇な折下記の物語も読んで頂ければ嬉しいです。
「ルドゥーテ」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】
説明 ありがとうございます
私が不思議に思ったのは 児島虎次郎は自身も日本画家です
モネのところに直談判というのは 画商なのかと思いました・・
そして モネが15年間も大切にしていた絵を どのように説得して譲ってもらったのか気になります
全く絵に関しては素人 絵だけではなく何事に対しても「混じりけのない素人」の私なので
気になるところが ヘンかもしれませんが
でも どうやって「譲ってもらったのかな?」の気持ちが大きいです
さらに「マティス『画家の娘―マティス嬢の肖像』」も
ご本人から譲ってもらったとのこと これって画商の才能?
熱意を伝えるすべが上手なのだなと思いました
どう伝えたのかなって やはり気になります
画商になろうとは全く思っていない私ですが
人の心を動かす方法は何だったかは 知りたいと思っています
素人のたわごとと 捨ておいてもいいですヽ(^o^)丿
「ルドゥーテ」ですね 読んだことないです
時間を作って・・・これから外に出れない日もあるでしょうから
ゆっくりと読ませていただきますね(予定)(^_-)-☆
それでは 朝のご挨拶に伺いますね
( ^^) _旦~~ どうぞ♪
今朝はモネの家族構成を書きます。
クロードモネは1回目の妻カミーユとの間に生まれた長男ジャン、次男ミシェル、2回目の妻アリスの連れ子で4人の女の子、上からマルト・ブランシュ・シュザンヌ・ジュルメール、1883年にジヴェルニーに8人で移住しました。アリスとの結婚は1893年位ですからその時はまだ結婚はしていません。
彼は人物像はそんなに多く描いてはいませんが、昨日の「舟遊び」や「散歩・日傘をさす女」「日傘をさす女(右向き・左向き)」etcなどは4人の女の子、上からマルト・ブランシェ・シュザンヌ・ジュルメールがモデルのことが多いです。特に三女のシュザンヌが多いと言われています。
アリスの死後はブランシュ(ジャンの妻でもあった)がモネを精神的に支えたと言われています。
では私のブログ今日もお楽しみ下さいませ。
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昨日見た舟遊びの女性たちがお子さんだと聞かなければ
素敵な女性が舟遊びを楽しんでいるのを描いたのかと思うところでした
でもジッと同じ場所にいてくれたのは娘だったから?
画家さんだと思うのですが
以前 菖蒲園に行った時に描いていた紳士がいたので
絵が気に入ったので側にいて見ていたら
いろいろなお話ができました
なにしろ 人懐っこい私です
一つの菖蒲を指さして 「じっと見ていてごらんなさい」
素直が取り柄の私は おしゃべりしながらもじっと見ていたら
その花の成長を目の当たりにしました
時間の流れが菖蒲にもあるのだって!気づいたのです
その画家さんが言うには「時間が経ったらどうなるかも想像して描くのですよ」ってね
なぜ 画家さんだと思ったかというと
私がお礼を言って立ち去ろうとしたら
「こちらのデパートで個展をするから よかったら・・」
って名刺を頂いたのです
今思えば 誰だか覚えておけばよかったし
都内にあるそのデパートの個展もみに行けばよかったなと思います
あの頃は まだ子育てに忙しい時で
わざわざ絵を見に行こうという気持ちは出てきませんでした
いまなら マスクをして行くのですがね
タイミングって大事だなって思います
今日も穏やかな気持ちで過ごしましょうね~
( ^^) _旦~~