4月26日(木)ロジャー・ノリントン指揮 NHK交響楽団
《4月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」Op.62
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58ホ短調Op.85
【アンコール】
シューマン/リスト編曲/献呈
Pf:河村尚子
3.ブラームス/交響曲第2番二長調Op.73
ノリントンがN響に初登場したときは、その鮮烈で愉快な演奏に心踊り感動したが、その後の演奏会は自分のなかでは不発が続いていたので、今夜の魅力的なプログラムにも過大な期待は抱いていなかった。で、今回もその予測を上回ることはなかった。
それでも最初の「コリオラン」は良かった。特徴的に耳についたのが、チェロやヴィオラが伴奏で奏でる、寄せては返すアルペジオの波の音型。これが見事に語りかけ、ある時は執拗に訴えかけてくる。この伴奏型に乗って繰り広げられる掛け合いや歌が、実によくハマっていて気分が高揚した。意外なほど響きには重量感もあり、激烈でシビアでドラマチックな効果も高めていた。この演奏は期待よりずっと上だった。
続いて河村尚子をソロに迎えてのコンチェルト。「コリオラン」でもオケの配置はとても変わっていたが、ピアノをオケが取り囲むこの配置はいったいナニ?と誰もが思っただろう。具体的なステージの様子はきっと誰かがブログで詳しくレポートしてくれるだろうからここでは省略するが、ノリントンがこの配置で意図したことは明らかだ。ピアノをアンサンブルの中のひとつの楽器として全体の響きに溶け込ませることが狙いに違いない。
その意図したところの成果だけを判定するなら、これは大成功と言える。ただでさえ蓋をもぎ取られたスタインウェイは、持ち味であるはずのブリリアントな音の輝きを失って空間に吸い込まれてしまううえに、四方からオケに取り囲まれては、目立ちたくても目立ちようがない。それでも、ピアノが伴奏にまわるときなどは、河村さんの巧みな合わせの息遣いと溢れる躍動感でアンサンブルが生き生きと息づいていてさすがだと思った。
ただ、本当はもっとソリストとしてスポットライトを浴びるはずのものが開花しきっていない… これまでノリントンとコンチェルトで共演したソリスト達は、庄司紗矢香、石坂団十郎、マーティン・ヘルムヒェンなど実力者が揃っているが、ソリストの影がなぜか薄い。ノリントン自身は超個性派なのに、共演者の個性は極力抑え込まれてしまっているように感じる。それだけに、河村さんがアンコールで弾いてくれた「献呈」の、豊満で叙情溢れる歌を聴いたときは救われる思いがした。
後半のブラームスは、テンポが遅いうえに第1楽章は提示部をリピートしたために50分近くかかったのでは?演奏が面白ければ長くてもいいのだが、ただ聴きました、という感じで終わってしまった。音はノリントンの提唱する「ピュアトーン」の効果なのかとても良く鳴るが、音色は単調。ブラームスの音は、もっとくすんだり影があったり、匂やかだったりしないと面白くないのでは?演奏自体も大味というか、締まりがないというか・・・ 蛇口から出る水に例えれば、出てくる水の量はいろいろ変化しても、蛇口は常に全開という感じ。あの「コリオラン」の冴えの手法はブラームスでは通用しないということなのだろうか。ただし、第4楽章の最後の爆裂のエネルギーは凄かった。終演後に飛んだ「ブラボー」は、ただこの部分のみにかけられたに違いない。
毎回いろいろなことでサプライズのあるノリントンだが、次回は思いっきりビブラートをかけた情熱溢れる歌を聴かせるというサプライズはないだろうか? 桑田さんが孤軍奮闘ビブラートをかけていた姿が何だかとても切なかった。
《4月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」Op.62
2.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58ホ短調Op.85
【アンコール】
シューマン/リスト編曲/献呈
Pf:河村尚子
3.ブラームス/交響曲第2番二長調Op.73
ノリントンがN響に初登場したときは、その鮮烈で愉快な演奏に心踊り感動したが、その後の演奏会は自分のなかでは不発が続いていたので、今夜の魅力的なプログラムにも過大な期待は抱いていなかった。で、今回もその予測を上回ることはなかった。
それでも最初の「コリオラン」は良かった。特徴的に耳についたのが、チェロやヴィオラが伴奏で奏でる、寄せては返すアルペジオの波の音型。これが見事に語りかけ、ある時は執拗に訴えかけてくる。この伴奏型に乗って繰り広げられる掛け合いや歌が、実によくハマっていて気分が高揚した。意外なほど響きには重量感もあり、激烈でシビアでドラマチックな効果も高めていた。この演奏は期待よりずっと上だった。
続いて河村尚子をソロに迎えてのコンチェルト。「コリオラン」でもオケの配置はとても変わっていたが、ピアノをオケが取り囲むこの配置はいったいナニ?と誰もが思っただろう。具体的なステージの様子はきっと誰かがブログで詳しくレポートしてくれるだろうからここでは省略するが、ノリントンがこの配置で意図したことは明らかだ。ピアノをアンサンブルの中のひとつの楽器として全体の響きに溶け込ませることが狙いに違いない。
その意図したところの成果だけを判定するなら、これは大成功と言える。ただでさえ蓋をもぎ取られたスタインウェイは、持ち味であるはずのブリリアントな音の輝きを失って空間に吸い込まれてしまううえに、四方からオケに取り囲まれては、目立ちたくても目立ちようがない。それでも、ピアノが伴奏にまわるときなどは、河村さんの巧みな合わせの息遣いと溢れる躍動感でアンサンブルが生き生きと息づいていてさすがだと思った。
ただ、本当はもっとソリストとしてスポットライトを浴びるはずのものが開花しきっていない… これまでノリントンとコンチェルトで共演したソリスト達は、庄司紗矢香、石坂団十郎、マーティン・ヘルムヒェンなど実力者が揃っているが、ソリストの影がなぜか薄い。ノリントン自身は超個性派なのに、共演者の個性は極力抑え込まれてしまっているように感じる。それだけに、河村さんがアンコールで弾いてくれた「献呈」の、豊満で叙情溢れる歌を聴いたときは救われる思いがした。
後半のブラームスは、テンポが遅いうえに第1楽章は提示部をリピートしたために50分近くかかったのでは?演奏が面白ければ長くてもいいのだが、ただ聴きました、という感じで終わってしまった。音はノリントンの提唱する「ピュアトーン」の効果なのかとても良く鳴るが、音色は単調。ブラームスの音は、もっとくすんだり影があったり、匂やかだったりしないと面白くないのでは?演奏自体も大味というか、締まりがないというか・・・ 蛇口から出る水に例えれば、出てくる水の量はいろいろ変化しても、蛇口は常に全開という感じ。あの「コリオラン」の冴えの手法はブラームスでは通用しないということなのだろうか。ただし、第4楽章の最後の爆裂のエネルギーは凄かった。終演後に飛んだ「ブラボー」は、ただこの部分のみにかけられたに違いない。
毎回いろいろなことでサプライズのあるノリントンだが、次回は思いっきりビブラートをかけた情熱溢れる歌を聴かせるというサプライズはないだろうか? 桑田さんが孤軍奮闘ビブラートをかけていた姿が何だかとても切なかった。
2日目は、河村さんのアンコールがあったのですね。いいなあ
ブラームスの時代、現代のようなビブラートはやらなかったかも知れませんが、ブラームスなら、今のビブラート奏法をきっと気に入るんじゃないかな…
N響がこれ程まで軟らかな音が出せるのか!?と半ば感心して聴いておりました。
なるほど現場では「冗長」に聴こえてましたか。あ~生で聴きたい!!
僕のスカイセンサー5500(SONY)も健在ですよ。
ピリオド系の指揮者で柔らかい音と言えば、
何といってもブリュッヘンでしょう。
新日フィルに来たときには是非聴いてみてください。