12月21日(水)ジャン・フルネ指揮 東京都交響楽団
《都響12月定期》 東京文化会館
【曲目】
1.ベルリオーズ/序曲「「ローマの謝肉祭」Op.9
2.モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
Pf:伊藤 恵
3.ブラームス/交響曲第2番ニ長調Op.73
フルネ/都響を初めて聴いたのは1980年。生演奏を聴くようになって間もなかった当時、指揮者でこれほどオケの音が変わるのか、ということを思い知り、衝撃的な程のすごい演奏を次々と聴かせてくれたこのコンビは、常に気になる存在だった。そしてフルネという指揮者に特別の愛着も感じていた。
ただ、その後は最初の頃の超名演にはなかなか出会えないことで、しばらくご無沙汰になった時期もあったが、去年の4月のフォーレのレクイエムでは、以前触れた優美な演奏とは別の、浄化された美と「死」の意味を思い知るような演奏に、新たな衝撃を受けたこともあり、何としても聴かねばという使命感さえ感じつつ、92歳のフルネのラストコンサートに出掛けた。
それは予想通りの素晴らしいコンサートだった。長きに渡り素晴らしい関係を築き上げてきたフルネと都響が、それを支えてきた聴衆に見守られながら臨んだ最後の演奏会が、特別なものにならないはずはない。
長年のフルネファンの僕にとってこの日のコンサートでは冷静に演奏を聴く次元にはいなかったという意味で、自分の耳が客観的である自信はないが、とりわけブラームスで去年のフォーレのレクイエムの延長上にある徹底的に浄化された世界を眼前に提示した稀有の演奏だったと言っていい。
深い水底がくっきりと見えるような透明な弦のアンサンブルの美しさは、静けさをたたえながらも新鮮な息吹を運ぶがごとく浮き立ち、管はひとつひとつの音を慈しむように奏で、柔らかな光に包まれていた。ホルンやトロンボーンの落ち着いた優しい響きのアンサンブルも胸に染みる。ゆっくりした大きな流れの中でひとつひとつの場面を深く掘り下げ、そこから浮かび上がってくるスピリッツをフルネは確信を持って凝縮して演奏に体現する。
へたをすると崩壊してしまうほどの遅いテンポに、都響は敬意と熱意と集中力でフルネと共に歩むことで、かえってより高い緊張感を生み出す。それに、このラストコンサートが終わって欲しくないと願う者としては、もっとゆっくり演奏してくれたっていい。
そうした演奏が行き着いたフィナーレのクライマックスに宿った素晴らしいエネルギーを全身全霊で浴び、同時にフルネの譜面台に置かれた超大型スコアの最後のページがめくられ、この演奏の幸せな時間だけでなく、これまでフルネが聴かせてくれた数々の名演の終わりが来たのを感じた時、熱いものが胸にこみ上げて来て涙が浮かんだ。
この最後の曲目だけでなく、しっかりした足取りで堂々とした全体像を打ち立てたベルリオーズ、本当にゆっくりのテンポで始まったオーケストラの演奏全てを受けとめて、恵さんが慈しむようなピアノでフルネに寄り添い、心温まる共演を聴かせてくれたモーツァルト、演奏以外でもステージ上で行われた花束や贈り物贈呈のセレモニー、名残を惜しむ聴衆のいつまでも鳴り止まない熱い拍手と歓声も含め、この日のコンサートはいつまでも心に深く残ることだろう。
素晴らしい名演に接した後に残る感動とは別に、もうフルネの演奏に会えないというどうしようもない寂しさが残る。フルネさんの今後の健康を願い、これまでに私達に贈ってくれた名演の数々に心からお礼を言いたい。
フルネさん、本当にありがとうございました。どうぞこれからもお元気で!
この日のコンサートの模様は1月22日のNHK「芸術劇場」で放映されるとのこと。これは絶対に見逃せない!
《都響12月定期》 東京文化会館
【曲目】
1.ベルリオーズ/序曲「「ローマの謝肉祭」Op.9
2.モーツァルト/ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
Pf:伊藤 恵
3.ブラームス/交響曲第2番ニ長調Op.73
フルネ/都響を初めて聴いたのは1980年。生演奏を聴くようになって間もなかった当時、指揮者でこれほどオケの音が変わるのか、ということを思い知り、衝撃的な程のすごい演奏を次々と聴かせてくれたこのコンビは、常に気になる存在だった。そしてフルネという指揮者に特別の愛着も感じていた。
ただ、その後は最初の頃の超名演にはなかなか出会えないことで、しばらくご無沙汰になった時期もあったが、去年の4月のフォーレのレクイエムでは、以前触れた優美な演奏とは別の、浄化された美と「死」の意味を思い知るような演奏に、新たな衝撃を受けたこともあり、何としても聴かねばという使命感さえ感じつつ、92歳のフルネのラストコンサートに出掛けた。
それは予想通りの素晴らしいコンサートだった。長きに渡り素晴らしい関係を築き上げてきたフルネと都響が、それを支えてきた聴衆に見守られながら臨んだ最後の演奏会が、特別なものにならないはずはない。
長年のフルネファンの僕にとってこの日のコンサートでは冷静に演奏を聴く次元にはいなかったという意味で、自分の耳が客観的である自信はないが、とりわけブラームスで去年のフォーレのレクイエムの延長上にある徹底的に浄化された世界を眼前に提示した稀有の演奏だったと言っていい。
深い水底がくっきりと見えるような透明な弦のアンサンブルの美しさは、静けさをたたえながらも新鮮な息吹を運ぶがごとく浮き立ち、管はひとつひとつの音を慈しむように奏で、柔らかな光に包まれていた。ホルンやトロンボーンの落ち着いた優しい響きのアンサンブルも胸に染みる。ゆっくりした大きな流れの中でひとつひとつの場面を深く掘り下げ、そこから浮かび上がってくるスピリッツをフルネは確信を持って凝縮して演奏に体現する。
へたをすると崩壊してしまうほどの遅いテンポに、都響は敬意と熱意と集中力でフルネと共に歩むことで、かえってより高い緊張感を生み出す。それに、このラストコンサートが終わって欲しくないと願う者としては、もっとゆっくり演奏してくれたっていい。
そうした演奏が行き着いたフィナーレのクライマックスに宿った素晴らしいエネルギーを全身全霊で浴び、同時にフルネの譜面台に置かれた超大型スコアの最後のページがめくられ、この演奏の幸せな時間だけでなく、これまでフルネが聴かせてくれた数々の名演の終わりが来たのを感じた時、熱いものが胸にこみ上げて来て涙が浮かんだ。
この最後の曲目だけでなく、しっかりした足取りで堂々とした全体像を打ち立てたベルリオーズ、本当にゆっくりのテンポで始まったオーケストラの演奏全てを受けとめて、恵さんが慈しむようなピアノでフルネに寄り添い、心温まる共演を聴かせてくれたモーツァルト、演奏以外でもステージ上で行われた花束や贈り物贈呈のセレモニー、名残を惜しむ聴衆のいつまでも鳴り止まない熱い拍手と歓声も含め、この日のコンサートはいつまでも心に深く残ることだろう。
素晴らしい名演に接した後に残る感動とは別に、もうフルネの演奏に会えないというどうしようもない寂しさが残る。フルネさんの今後の健康を願い、これまでに私達に贈ってくれた名演の数々に心からお礼を言いたい。
フルネさん、本当にありがとうございました。どうぞこれからもお元気で!
この日のコンサートの模様は1月22日のNHK「芸術劇場」で放映されるとのこと。これは絶対に見逃せない!