9月13日(水)フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ・ゲント
~ベルリン音楽祭2023~
ベルリン・フィルハーモニーホール
【曲目】
♪ バッハ/ミサ曲ロ短調 BWV232
S:ドロテー・ミールズ/MS:マルゴット・オイツィンガー/カウンターT:アレックス・ポッター/T:ガイ・カッティング/Bar:ペーター・コーイ
ヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ・ゲントによるロ短調ミサは、冒頭の「キリエ」を神の憐れみを心の奥底から切望するというより、神の慈悲を静かに待つという印象で始まり、全曲を通して穏やかで美しい演奏に終始した。裏を返せば直情的な訴えやダイナミズム、生命力という点で物足りなさが残った。
ロ短調ミサには、「クレド」の「クルチフィクスス」のような影と、「グローリア」や「サンクトゥス」に代表される目映いばかりの光の両面が存在するが、「クルチフィクスス」では磔刑を象徴する鋭く深い表現など、厳しい表情を聴かせることはあったものの、総じて品行方正というか、一定の節度を保っている印象が勝った。フレーズの扱いなどデリケートで緻密、音楽的で歌にも溢れていて、穏やかな流れのなかで進行するのもありだとは思うが。
この演奏では、トランペットが木管楽器のようにデリケートな音に徹していたところも不満が残った。トランペットの演奏自体は大変優れていて、オケと合唱の響きに美しい彩りを加えていたものの、「グローリア」や「クレド」の復活を扱う場面、或いは最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」などで、トランペットが天空を突き抜けるような強烈な光を放つことで、聴き手は神の威光を体験すると思うのだが。バッハの時代のトランペットはこんな風に響いたと云われればそれまでだが、それが感銘に結び付くとは限らない。
18名による合唱は純度の高い美しい響きと滑らかな表情を湛えて秀逸だった。ソロの歌唱は、ソプラノのミールズが澄んだ美声と豊かな表現で、清らかで心洗われる歌を聴かせてくれ、テノールのカッティングの滑らかな歌も悪くないが、メゾのオイツィンガーと、BCJでもお馴染みのコーイは精彩を欠いていた。唯一、カウンターテナーのポッターは、どの曲でもくっきりと深い表情を湛えたアクティブな歌で心を掴んで来るのが素晴らしく、切々と熱く訴える「アニュス・デイ」は絶品だった。こういう演奏こそ、僕がこの作品に求めているものなのだが、今夜の演奏のなかではこうした歌唱はむしろ異質な印象を与えていたことが残念だった。
これまで何度も涙が出るほどの至福を味わった最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」も、きれいで穏やかという以上の感銘はないまま終演となった。BCJのような魂に真っ直ぐに訴えてくるロ短調ミサが聴きたかった。満員の会場は大喝采と歓声に包まれたが、その中でもポッターへの反応は飛び抜けて大きかったことから、ベルリンの聴衆が求めるものも僕と同じだったと感じた。
(順次更新予定)ウィーン&ベルリン音楽の旅(2023)
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ヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォカーレ・ゲントによるロ短調ミサは、冒頭の「キリエ」を神の憐れみを心の奥底から切望するというより、神の慈悲を静かに待つという印象で始まり、全曲を通して穏やかで美しい演奏に終始した。裏を返せば直情的な訴えやダイナミズム、生命力という点で物足りなさが残った。
ロ短調ミサには、「クレド」の「クルチフィクスス」のような影と、「グローリア」や「サンクトゥス」に代表される目映いばかりの光の両面が存在するが、「クルチフィクスス」では磔刑を象徴する鋭く深い表現など、厳しい表情を聴かせることはあったものの、総じて品行方正というか、一定の節度を保っている印象が勝った。フレーズの扱いなどデリケートで緻密、音楽的で歌にも溢れていて、穏やかな流れのなかで進行するのもありだとは思うが。
この演奏では、トランペットが木管楽器のようにデリケートな音に徹していたところも不満が残った。トランペットの演奏自体は大変優れていて、オケと合唱の響きに美しい彩りを加えていたものの、「グローリア」や「クレド」の復活を扱う場面、或いは最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」などで、トランペットが天空を突き抜けるような強烈な光を放つことで、聴き手は神の威光を体験すると思うのだが。バッハの時代のトランペットはこんな風に響いたと云われればそれまでだが、それが感銘に結び付くとは限らない。
18名による合唱は純度の高い美しい響きと滑らかな表情を湛えて秀逸だった。ソロの歌唱は、ソプラノのミールズが澄んだ美声と豊かな表現で、清らかで心洗われる歌を聴かせてくれ、テノールのカッティングの滑らかな歌も悪くないが、メゾのオイツィンガーと、BCJでもお馴染みのコーイは精彩を欠いていた。唯一、カウンターテナーのポッターは、どの曲でもくっきりと深い表情を湛えたアクティブな歌で心を掴んで来るのが素晴らしく、切々と熱く訴える「アニュス・デイ」は絶品だった。こういう演奏こそ、僕がこの作品に求めているものなのだが、今夜の演奏のなかではこうした歌唱はむしろ異質な印象を与えていたことが残念だった。
これまで何度も涙が出るほどの至福を味わった最後の「ドナ・ノービス・パーチェム」も、きれいで穏やかという以上の感銘はないまま終演となった。BCJのような魂に真っ直ぐに訴えてくるロ短調ミサが聴きたかった。満員の会場は大喝采と歓声に包まれたが、その中でもポッターへの反応は飛び抜けて大きかったことから、ベルリンの聴衆が求めるものも僕と同じだったと感じた。
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