2012年1月23日(月)
レナード・スラットキン指揮/NHK交響楽団
~第168回 NTT東日本 N響コンサート~
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲Op.56a
2. モーツァルト/フルート協奏曲第1番ト長調K.313
Fl:高木綾子
3. ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調Op.92
【アンコール】
バッハ/管弦楽組曲第3番~アリア
N響をオペラシティでA席4000円で聴けるNTT主催のコンサート、しかもスラットキンの指揮でベト7をやる。これはお得だし必聴、ということで、とても久々に子供達も連れて家族4人で出かけた。
まずはブラームス。木管の柔らかなハーモニーで始まったニュアンスは、変奏が進んで行っても常に感じられ、滑らかな歌いまわしで音楽が紡がれて行く。響きにも柔らかな色合いがあり、雅な服装を纏った貴族たちの優雅な踊りを見ている気分。最後は高らかに歌い上げる終曲の讃歌に、心がとても満たされた。各変奏に散りばめられた、木管やホルンのソロも絶品で、完成度の高い演奏に次の曲への期待が高まった。
モーツァルトはそんな期待にたがわぬ素敵な演奏だった。まずN響の前奏に思わず聴き惚れた。透明感のある美しい音色で、自然で伸びやかに柔らかなニュアンスを醸し出して行く。細い筆で細やかに、ササっと洒落た輪郭を描く素描のような弦楽器のタッチが素晴らしく、そこに管楽器が淡い色調で色づけして、美しい響きに仕上げられる。スラットキンのモーツァルトというのはあまりイメージできなかったが、実に自然でチャーミングだ。
そんな素敵なオケに乗って入ってきた高木さんのフルートがまた良かった。淀みのない息の流れに乗せて、清々しく伸びやかに音たちを遠くまで運んで行く。それがとても自然で生き生きとして心地いい。瑞々しく透明な美しい音色が、N響の音色によく映える。各楽章でのカデンツァも、力むことなく、優美な歌を堪能させてくれたし、第3楽章でのオケとの対話もとても楽しげに微笑んでいるよう。幸せなフルートとオーケストラのやり取りに、至福の時間を味わった。
そして一番期待のベト7。最初のトゥッティの一撃から、冴えた音が響き渡り絶好調。ボリューム感も満点で、ダイナミックレンジを広げて行っても決して演奏は大味にならず、細やかな心配りが細部まで行き渡っている。前奏から主要部のトゥッティの饗宴へは、殆んど隙間を空けずに跳び込んで行ったが、この手法は、ここに限らず曲の随所に見られた。空白を空けず、前の音をぐいっと溜めて次のフレーズへつなげていくことで、演奏に粘りと推進力が与えられ、グイグイとひっばられる感覚。その代わりに、メリハリや明快なコントラストが少々犠牲になっているような気もしたが、陰影に富んだ濃厚な表現が熱を帯びていって、高いテンションが伝わってきた。その豊かな陰影は、第2楽章で最高の結果を引き出した。まろやかな情感を湛え、全体が木彫の仏像のように慈悲深い表情を向けてきた。
フィナーレでスラットキンは、推進力を更に全開にして、劇的な盛り上がりを実現して行く。N響のサウンドも光彩をアップし、鮮やかな光と色を感じさせる。フレーズがどんなに激しく揺すられても、あわてることなく、明晰な音の層を積み重ねて行くところに、N響の職人技を感じた。音楽は最高潮に盛り上がって終わり、大喝采とブラボーに包まれた。一緒に聴いていた家族も大満足の様子。
スラットキンとN響が、それぞれの持ち味を十分に出し切った名演といって良いが、個人的には、この輝かしいサウンドや、フレーズのすみずみにまで磨きがかかり、トゲばったものがきれいに均された肌触りに、アメリカのオーケストラ的な、超2枚目のハリウッドスターが勝ち誇った微笑を浮かべている姿が重なり、何かもっと武骨なひたむきさが欲しかった。それは、アンコールで演奏したバッハの美しすぎる弦のハーモニーにも感じたのだが(嗚呼、またしても携帯の着信音が!)、これは紙一重のところでの好みの問題。今夜のスラットキンとN響にも、惜しみない拍手を送りたい!
スラットキン指揮N響「ショスタコ10番」(2012.1.13 N響Bプロ)
レナード・スラットキン指揮/NHK交響楽団
~第168回 NTT東日本 N響コンサート~
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
【曲目】
1.ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲Op.56a
2. モーツァルト/フルート協奏曲第1番ト長調K.313
Fl:高木綾子
3. ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調Op.92
【アンコール】
バッハ/管弦楽組曲第3番~アリア
N響をオペラシティでA席4000円で聴けるNTT主催のコンサート、しかもスラットキンの指揮でベト7をやる。これはお得だし必聴、ということで、とても久々に子供達も連れて家族4人で出かけた。
まずはブラームス。木管の柔らかなハーモニーで始まったニュアンスは、変奏が進んで行っても常に感じられ、滑らかな歌いまわしで音楽が紡がれて行く。響きにも柔らかな色合いがあり、雅な服装を纏った貴族たちの優雅な踊りを見ている気分。最後は高らかに歌い上げる終曲の讃歌に、心がとても満たされた。各変奏に散りばめられた、木管やホルンのソロも絶品で、完成度の高い演奏に次の曲への期待が高まった。
モーツァルトはそんな期待にたがわぬ素敵な演奏だった。まずN響の前奏に思わず聴き惚れた。透明感のある美しい音色で、自然で伸びやかに柔らかなニュアンスを醸し出して行く。細い筆で細やかに、ササっと洒落た輪郭を描く素描のような弦楽器のタッチが素晴らしく、そこに管楽器が淡い色調で色づけして、美しい響きに仕上げられる。スラットキンのモーツァルトというのはあまりイメージできなかったが、実に自然でチャーミングだ。
そんな素敵なオケに乗って入ってきた高木さんのフルートがまた良かった。淀みのない息の流れに乗せて、清々しく伸びやかに音たちを遠くまで運んで行く。それがとても自然で生き生きとして心地いい。瑞々しく透明な美しい音色が、N響の音色によく映える。各楽章でのカデンツァも、力むことなく、優美な歌を堪能させてくれたし、第3楽章でのオケとの対話もとても楽しげに微笑んでいるよう。幸せなフルートとオーケストラのやり取りに、至福の時間を味わった。
そして一番期待のベト7。最初のトゥッティの一撃から、冴えた音が響き渡り絶好調。ボリューム感も満点で、ダイナミックレンジを広げて行っても決して演奏は大味にならず、細やかな心配りが細部まで行き渡っている。前奏から主要部のトゥッティの饗宴へは、殆んど隙間を空けずに跳び込んで行ったが、この手法は、ここに限らず曲の随所に見られた。空白を空けず、前の音をぐいっと溜めて次のフレーズへつなげていくことで、演奏に粘りと推進力が与えられ、グイグイとひっばられる感覚。その代わりに、メリハリや明快なコントラストが少々犠牲になっているような気もしたが、陰影に富んだ濃厚な表現が熱を帯びていって、高いテンションが伝わってきた。その豊かな陰影は、第2楽章で最高の結果を引き出した。まろやかな情感を湛え、全体が木彫の仏像のように慈悲深い表情を向けてきた。
フィナーレでスラットキンは、推進力を更に全開にして、劇的な盛り上がりを実現して行く。N響のサウンドも光彩をアップし、鮮やかな光と色を感じさせる。フレーズがどんなに激しく揺すられても、あわてることなく、明晰な音の層を積み重ねて行くところに、N響の職人技を感じた。音楽は最高潮に盛り上がって終わり、大喝采とブラボーに包まれた。一緒に聴いていた家族も大満足の様子。
スラットキンとN響が、それぞれの持ち味を十分に出し切った名演といって良いが、個人的には、この輝かしいサウンドや、フレーズのすみずみにまで磨きがかかり、トゲばったものがきれいに均された肌触りに、アメリカのオーケストラ的な、超2枚目のハリウッドスターが勝ち誇った微笑を浮かべている姿が重なり、何かもっと武骨なひたむきさが欲しかった。それは、アンコールで演奏したバッハの美しすぎる弦のハーモニーにも感じたのだが(嗚呼、またしても携帯の着信音が!)、これは紙一重のところでの好みの問題。今夜のスラットキンとN響にも、惜しみない拍手を送りたい!
スラットキン指揮N響「ショスタコ10番」(2012.1.13 N響Bプロ)