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1月B定期(広上淳一指揮)

2010年01月20日 | N響公演の感想(~2016)
1月20日(水)広上淳一 指揮 NHK交響楽団
《2010年1月Bプロ》 サントリーホール

【曲目】
1.武満 徹/3つの映画音楽(1995)
2.ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.61
Vn:堀米ゆず子
3.プロコフィエフ/交響曲第7番嬰ハ短調Op.131

新年初コンサートとなったN響のB定期は広上淳一の指揮、ソリストには堀米ゆず子を迎えて、心技体揃った素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

武満の第1曲目では濃厚な弦の歌で始まりノスタルジックなジャズの空気が漂う。2曲目は「黒い雨」の悲壮な情景を描いた音楽だが、ここでも心温まる歌が聴こえたのは広上のキャラクターだろうか。そして第3曲のワルツで広上の棒、というか体は更に熱く柔軟に、武満が思い描いたに違いない熱くてセンチメンタルな吐息を歌い上げた。久々にサントリー定期のコンマス席に座ったマロさんのフィーチャーも抜群に効を奏した。

続くベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトでは予定されていたヴィヴィアン・ハーグナーが急病のために堀米がソロを務めたがこれが素晴らしかった。外人指向の強いN響のソリスト選出の状況下では、コンクールなどで目下話題のプレイヤーは別としてこれほどの日本人ヴァイオリニストなのに代役でしか登場しないのはもったいない。

久し振りに聴いた堀米のヴァイオリンにはいよいよ磨きがかかっていた。鋭い感性を保ちつつ非常に丁寧に音を追い求め、気高さを感じる美しい世界を築いて行く。この大曲に対して堀米は、そして指揮の広上も、室内楽のようなデリケートさを重んじ、内面から湧き出る感性を昇華させるように音楽を紡いで行く。そこには、安心して身も心も演奏に委ねたくなってしまう無理のない自然な呼吸がある。心を込めて丹念に磨かれた音は暖かな光沢を放ち、聴く者の心を包み込む。堀米と広上/N響が作り出すサウンドは、機械に例えるのが適切かどうかはわからないが、高級なオーディオセットで聴くLPレコードの音のような奥行きと光沢を感じた。

伸びやかで幸福感溢れる第1楽章、深遠な美しさを湛えた第2楽章、そして第3楽章では最初のテーマをワクワク感いっぱいに聴かせたあと、2オクターブ上で反復する際は天上から優しい眼差しが降り注ぐように柔らかく奏で、その素晴らしい対比にいきなり心を奪われた後はずっと命がはじけて躍動する幸福感に満たされ、最後のコーダでは一緒に天上へと連れていかれた気分。極上のベートーヴェン!N響事務局は堀米さんとの次の共演交渉を今すぐ始めてもらいたい。

ところで、このコンチェルトは音楽的に冗長といったコメントを耳にすることが時々あるが、今日配られたプログラムでは初演時の新聞評を引き合いにして解説の実に半分以上のスペースをこの曲の第1楽章の冗長さや構造上の甘さを指摘していたが(安田和信氏)、僕はこの論調には全くくみしない。期待高まる壮麗なオケの前奏に導かれて入るヴァイオリンソロの何とも印象的な導入に始まり、次々と表情を変えるオケと、その中で伸びやかに縦横無尽に行き来するヴァイオリンが織り成す妙に冗長さを感じるヒマなんて全くない。そもそもこの名曲をこれから聴こうという聴衆にこうした曲の欠陥ばかりを並び立て一体何の益があるのだろうか。「学の高いN響会員用」の解説?

さて、後半のプロコフィエフでも充実した演奏を展開した。広上淳一というと筋肉隆々で弾け切った200%完全燃焼の演奏というイメージがあったが、その演奏は生命力に溢れてはいてもそうしたテンパッた印象ではなく、密度が濃く、完成度の高い、磨かれた美しさを引き出す演奏だ。プロコフィエフの音楽が持つ、親しげな顔をしていながら、近づこうとすると跳ね返されるような二面性的なところも見事に体現して、それが聴いていて何だか楽しくなる。「タコ踊り」も健在だったが、広上は今や名匠への道を着実に歩んでいると感じた。

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