Lupinus-ルピナス-

絵本のルピナスさんのように自分なりの「世の中を美しくすること」を見つけたいと思っています。

今考えること

2008年12月15日 | 育児・病気の記録
11月に母のがんの転移がわかりました。今度は肺です。
春にCTで見えた針の先ほど小さかったものが大きくなり、ほかにもちいさいのが3個ほどあったそうです。
母にとっては、抗がん剤を打って髪の毛も失ったのに、効いていなかったのがショックだったみたいで、先が見えないことに恐怖感が募るそうです。新しい抗がん剤を打っていますが、カテーテルというものを身体に埋め込んでそこから抗がん剤を注入する方法になっています。そして、そこまでしているのに効かなかったらどうしようと考えてしまうらしいです。
普段は働いているので気が紛れることも多いし、お友達がとてもよくしてくれるので、前向きな気持ちになっているのですが、時々恐怖感が募る波がやってくるようで、昨日は電話で泣いていました。

こういう気持ちは本人にしかわからないと思う、と母が言っていましたが、本当にそうなのでしょうね。私は家族であるけれど、全ての気持ちはわかっていないと思います。
正直、私は一緒になって泣けなかったです。私は涙腺は弱いほうではあるのですけれど、私までここで泣いてしまってはなんの解決にもならないから。

薬で治そうというのではなく、自ら積極的に身体を変えていこうという何かを母が見つけることができたらいいのですが…

死ぬことって、みんなに平等に起こることだけど、自分の目の前にその事実をさらされたらやはり冷静でいられないのが人間ってものなのですよね。
11月末に祖母の7回忌供養の時、お坊さんが法隆寺の特集の雑誌を見せながらお話してくださったのですけれど、その中にお釈迦様の入滅に際して泣き叫ぶ弟子と菩薩となり穏やかな表情で見守る弟子たちの涅槃像の写真がありました。これを見て、私は泣き叫ぶ弟子と同じだなと思いました。菩薩となった弟子の心境には至らない…

でも、母の病気のことから死について考えるようになりました。なんで死ぬのが怖いのか。
やはり自分の体というものに愛着があるからだろうと思います。体があってこそ、触れたり、話したりできるものだから。体が滅びることによって存在が消え、周りの人との接触も絶たれてしまい、自分が孤独になるのではないかという恐怖感。
今まで自分がやっていたことが中断されること。達成感がないままの人生の中断。
もっと色々な理由があるのでしょうが。

菩薩となった人たちは、死がこれだけのものではないと悟っていたということ。そういう心境に私たちは至ることができるのでしょうか。
もし真実があるなら、それを知りたい。

今日は私の誕生日なのですが、人生の折り返し地点も近づき、考えることも多いです。

最新の画像もっと見る

6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ねこほりっく♪ちゃん (polin)
2008-12-30 22:54:03
死のことについて私より深くいろいろ感じているんだよね。
書いてくれたのを読んで、ああ、私はまだ切実に自分のものとして考えていなかったなあと思った。
母もたぶんこれまで抗がん剤を2種類打ってみたけれど、
報われなかった…という気持ちが強いと思うの。
ねこほりっく♪ちゃんが書いてくれた死ぬ恐怖と死ねない恐怖…の堂々めぐりというのがおそらく今の母の気持ちを表しているのではないかなあ…
今日母が家に泊まっているのだけど、薬の副作用のせいなのか、腰が痛かったりおなかが痛かったりするようで気分が落ち込んでいるみたいだった。
少しずつ衰えていく自分の体がやりきれないみたい…

やっぱり母は一緒の気持ちになってほしいのかもしれないね。
ああ、そうかもなと思ったのは、自分も大学のときそういう気持ちになったのを思い出した。
他人はやはり自分のこと100%は理解してもらえないものだなあと悟ったけど、
理解してもらえなくても、大切にしてくれたり、気持ちに沿ってくれる心遣いをしてくれることがありがたいのだなあと思うようになった。

でも、みんなが同じ道をたどるわけではないし、
妹さんのこともよくなるように私も祈っています!
ほんとに祈ることしかできないけれど…
返信する
(σ・´ェ`・o) (ねこほりっく♪)
2008-12-30 02:10:23
私も随分「死」については考えてきた。

10代~20代の頃は、現実逃避から死に憧れたけど
病気になってから今は、むしろ、
「死ねない恐怖」に追い詰められるの。
怖くて、独りで号泣する日もある。
ネコの死が怖くて、抱きしめて泣きながら
温かさを実感する日もある。

誰しもが、死ぬことは分かってるし、
出来ればポックリ楽に死ぬことを望んでる。
でもそれは健康で老齢でっていう前提。

でも、病気になると「死」への恐怖に勝つために
闘病も頑張ろうと意気込むんだけど
こんなに苦しんで頑張ってるのに良くもならない
どころか、死ぬほど辛いのに、実際「死」が
すぐにくるわけでもない。頑張らなければ
「死」がより近付いてくる。でも闘病の日々は
辛い。堂々巡りで、死ぬ恐怖と表裏一体の
死ねない恐怖。。。
健康な人にはわかるはずがないんだよね。
私も全く実感なかった。
そこは、どうしようもないよね。。。

でも、私は一緒に泣いてくれる人が欲しいよ。
ガンバレガンバレって言ってくれる人は
沢山いても、共に肩寄せて泣いてくれる人が
本当は欲しい。死=独りって恐怖だから。
お母様も心のどこかにそんな気持ちが
あるかもしれないよ。

しかし、抗がん剤が効かないのは
本当にきついな…
私も妹の再発がいつも心配…

良くなりますように!良くなりますように!
いつも祈ってます!!




返信する
カントリー・マウスさん (polin)
2008-12-27 23:00:16
本当にそうですね。誰もがいつか死ぬということを知っているのに、
そんな日がいつか来ることを意識せずに生きているものですよね。

最近母だけでなく、親戚だったり、友達の親御さんもその問題に直面している話を聞くにつれ、
今まで切り離されて考えていた死というものが、すぐ隣にあるものなのだと感じざるをえません。

といっても、いつもいつも死について考えるわけでもなく、時にふっとそのことが思い浮かぶのです。
これは、母もそうであるみたいです。

教えていただいた本、早速探してみたいと思います。
ありがとうございました!

年末は妹がいろいろ準備してくれて、家族で旅行に行く予定です。
母にもよい気分転換になるといいなと思っています。
返信する
Unknown (カントリー・マウス)
2008-12-26 15:33:35
生まれてきたからには、いずれ、ここを去る日が来るのは間違いないと知りながら、そんな日はまるで永遠のかなたの話だと誰もが思いつつ、毎日を生きているものではないでしょうか。

そして、たとえ、どんな年齢になっても、その日が迫って感じられる日が来たとしたら、それは突然の出来事で、準備も何もできていないと思えるものではないかと考えます。

エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間と死後の生」という本はお勧めです。タイトルがちょっときつい印象ですが、中身はそういうことはありません。まず、Polinさんが読んでみられて、ふさわしいと思えるようだったら、お母様にもご一読を勧められてはいかがでしょうか。

誰もがたどる道ではあるけれど、ひとりで苦しむことはないと、少しでもお母様に伝えることができたら、と、思います。

ご家族で良いお年をお迎え下さい。
返信する
はり~さん (polin)
2008-12-18 17:28:59
コメントどうもありがとうね!
ほんと、この感謝の気持ちをもって世界を見ると、
今まで見えてこなかったことが見えてきたり、
やっぱりこの世界は美しいなあと気づくよね。
でも、いつもこの気持ちを持ちつづけることが
難しいのだけどね。
わたしもはり~さんと出会えたことに感謝!

最近娘が宮沢賢治の「雨にも負けず」の歌を好きで
よく歌うのだけど、
「南に死にそうな人あればいってこわがらなくてもいいといい」という部分がやはり今一番心に入ってくるんだよね。
母はそんな今すぐに…という状態ではないけれど、すごく死ぬことを怖がっている。
私もそういってあげたいけれど、自分自身がまだ死というものをよくわかってないから、言えないな…
返信する
私も考えます (はり~)
2008-12-17 09:59:55
ご無沙汰しています。

お母さまのお身体とても心配です。
明るく朗らかなお母さまが病気に勝ってくれること、私も願ってやみません。

下のチビは今年から仏教系の幼稚園に通っています。
毎朝お大師様に手を合わせ、日々感謝の気持ちを口に表す姿を見ると、忘れていたものを思い出させてくれます。

あらゆるものに感謝をするということ。
自分が生きられているということ自体に感謝です。

ルピナスさんと出会えたこと、それにも感謝。

遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。

返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。