Lupinus-ルピナス-

絵本のルピナスさんのように自分なりの「世の中を美しくすること」を見つけたいと思っています。

お葬式も終わって

2009年05月11日 | 育児・病気の記録
先日、お伝えしましたように5月3日の夜半に、母が亡くなりました。63歳でした。

経過を書きたいと思います。

がんが大腸から肺に転移していた時期までは、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けることはありましたが、痛みや不快な症状などはほとんどなく、普通に暮らせていました。保育園の延長保育のお仕事などもしていたくらいです。
昨年12月末ごろから背中の痛みが出始め、そのころが肝臓にがんが移行した予兆だったのだと思います。
2月頃に、結局、肝臓にも転移がわかりましたが、もう3種類を試して効果がなかったので、これ以上抗がん剤は打ちたくない、と母が決意し、3月からはもう抗がん剤は使わないことに決定しました。
そして、マクロビオティックなどの自然治癒力を高める代替医療をやっていこうということになりました。
けれど、3月半ばころには痛さがひどくなり、家で横になっては家事をこなし…という状態になってしまいました。食事も味がおいしく感じられないといって、あまり食べれなくなってしまいました。
マクロビオティックなどもまったくできない状態に。

4月になり、痛み止めと栄養補給のためもあり入院を勧められました。家族は入院で却って状態が悪くなるのでは?と躊躇しましたが、本人が痛みを止めて一度立て直したいというので、入院をすることに。
4月20日に入院しましたが、このとき、黄疸と腹水も少し出ていると診断されました。このときには、すでに抗がん剤を使うことができないと判断され、黄疸も肝炎などと違って処置できないと言われていたので、多少の点滴と強い痛み止め(麻薬)の貼り薬と飲み薬を使いました。
入院して四日目以降に意識がもうろうとして、寝てばかりの状態になりました。
これは、痛み止めが強かったからだと思われます。
黄疸もだんだんひどくなってきました。
4月28日に血圧が低下したから危ないと病院に呼ばれ、すぐにかけつけましたが、この日は持ち直しました。
もう、これ以上薬も痛み止めしか使えないし、点滴もそれほどの量ではないので、家に連れて行っても構わないだろうと家族で判断し、病院に掛け合い、1泊二日の外泊しかできないというのを、訪問介護ができるように他の病院まで行って談判して、家族の意思を押し通して家につれてかえってきました。

その後、家で看たのですが、よく水を飲んでくれるようになり、尿の色もだいぶ薄くなって、黄疸もよくなってきたので、みんなでよかったね、と言っていました。
母は意識はもうろうとしていたものの、話はできました。
私が「お父さんとお母さんはやっぱり仲がいいね。お父さんが一番いいでしょう?」と言ったら、
そのあと母は父に「お父さんが一番大事」と伝えていました。
このころもう自分が死にそうなのがわかっていたようで、妹にも「死ぬってどういうこと?」と聞いてきたりしたので、覚悟していたのかもしれないです。
亡くなる前日に「みんなにこんなにしてもらえて大満足」と言っていたそうです。
家族だけでなく、小さい頃からの友達が毎日お見舞いに来てくれて励ましてくれていました。
病気になってから、母は周りの人たちに本当に助けられていると感じたそうです。

5月2日の夜に、母の体勢を変えるときに使う抱き枕を買いに行った後、家まで歩きながら、ふと「母にとって最善の道が開かれますように」とお祈りしていました。

そして部屋でテレビをふと見たら、アシュリーちゃんの番組で、彼女が亡くなったことを知りました。これってなにか…やだなあと思いながら、あまりに眠くてうとうとしていたら…
12時半頃、妹が母が息をひきとっているのを発見しました。
結局、瞬間はみんなで見ることはできなかったのです…
特に妹はそのことを後悔しきりでした。
でも、母は、顔はとても穏やかで、年齢的にはまだまだ若かったですが、彼女なりの役割を果たし、天寿をまっとうできたのだと思っています。

お葬式にも、300人近い人が来てくれて、母の交友関係の広さにびっくりしました。
子どもの私が言うのもなんですが、世話好きで、みんなに愛されていた母でした。

火葬場でも、きちんとのどぼとけが残っていました。火葬場の人に、きれいに残る人はなかなかいなくて、そのような人は何か特別の力を持った方だと考えられます、と教えてくださいました。
実際、母は見えない存在に護られていた人でした。
きっと、母は身体はなくなっても、きっとあちらの世界でまた可愛がってもらっているんだろうなと思えました。

母の死で、いろいろ考えたことがあります。
それもおいおい書いていこうかなと思います。
私も看病中に熱を出し、葬儀が終わってから疲れがどっと出てしまい、昼寝してばかりです。
でも、なんとか大丈夫です。

長くなってごめんなさい~

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3 Comments

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Unknown (ねこほりっく♪)
2009-05-12 22:15:24
polinちゃんも
今はしっかりゆっくり眠って
本当の意味で
休んでね…。

亡くなった祖父母は近い存在じゃなかったから
私はまだ本当の意味で身内を亡くしたことが
ないの。だから、愛する者の死ということへは
ただただ、永遠の喪失感という恐怖に慄いてるけど
polinちゃんの、文章を読んでたら
家族愛というしっかりしたベースがあれば
心はゆるがないんだなって思った。
それって、うちには無縁のものだから、
私はいつもいつも
地面が崩れいく感覚に陥るんだな…
ほんとは自分が作るべきだったんだろうけどね…

アシュリーちゃん、大好きだった。
ファンレターを書こう!ってずっと思ってたくらい。
一言一言が100年生きてる人格者みたいで
体だけが歳とったんじゃなくて
ちゃんと心もより深く早く育ったんだなって
痛感してた。
アシュリーちゃんのお友達が言ってたように
人生は長さじゃなく、どう生きたかが重要なんだね。
polinちゃんのお母様のご葬儀に300人も来られた
ってことに、本当に人生が表れてるね!



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ねこほりっく♪ (Unknown)
2009-05-12 22:18:38
あら?なぜか二つ入っちゃった!
ごめんにゃ~m(uu*)m
返信する
ねこほりっく♪ちゃん (polin)
2009-05-13 20:15:13
コメント一つ削除したよ~
大丈夫だよ♪

疲れもようやっととれてきたかな?という感じ。

私も小さい頃から一緒に住んでいた家族が亡くなったのは、
私の祖母に続き、2人目。
けど、今は独立して一緒に住んでいないから、
こちらに戻ってきてしまえば、
いつもの日常が待っているんだよね。
なんか母が亡くなったことも実感が薄れたまま
日常生活を送りつつ、
いろんな事務手続きをこなしているけど…
私は、これから母の死の実感がやってくるような気がするよ。
一番、父が寂しいだろうなあ…
ほんと母のこと好きだったみたいよ…

私も人間は、何歳生きたかではないと思うな。
アシュリーちゃんはいつでも最善を尽くして生きていたものね。
だから、もし死を意識したとき、良くなるようにがんばる努力でもいいし、
どう生きていくか、意識的に考えるのでもいいと思うんだけど、
要は、自分が後悔しないように最善をつくすことだよなあと思うよ。
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