ぽんぽこノート

いつだって今がスタートライン。
行動しなくては何も始まらない。壁にぶつかったところから新しい道がひらける。

6月4日は天安門大虐殺の日です

2020-06-04 | 日中関係・中国共産党・中国人
今日6月4日は、自由と民主を実践する国々にとっても忘れてはならない天安門大虐殺が起きた日。日本ではバブル末期の頃、中国北京の天安門広場に集まった多数の学生らによる中国共産党(以下中共)への抗議と民主化運動を軍隊を使って蹴散らし、何の罪もない学生たちを戦車と銃弾で大量虐殺した日です。
 
「6月4日午前6時過ぎ、学生らは天安門から撤退していました。軍隊による学生の排除が終わってから、学校に戻る途中の学生の中に戦車が狂ったように突っ込んできた。私がその被害者の一人で、私は戦車に轢かれてこのように両足を奪われてしまいました。周囲にも多くの学生がいたが、みんな轢かれて見るも無残な姿になっていた。ぺしゃんこに潰された人もいました。」これは虐殺の生き証人の一人である北京体育学院の学生だった方政さんの証言です。
 
2014年にホワイトハウスが公開した文書によると、天安門大虐殺では10,454人の民間人が殺され、4万人以上が負傷。また、イギリス国立公文書館の機密文書では、中国共産党国務院からの情報として1万人以上の民間人が殺されたと記されています。
 
中共が香港に魔の手をのばしていることは、国際情勢にあまり興味がない人でもなんとなく知ってると思います。今の香港で大虐殺は起きていないけれど、構図としてはほぼ同じことが起こっていて、中共が2047年頃まで香港の高度な自治を約束した「一国二制度」を一方的に破り、国家安全法という事実上香港の中国化である「法の上に存在する我ら中共にとって都合悪い奴は投獄しちゃうよ法」が決まったことで、香港はダークサイドへさらに飲み込まれてゆきます。
 
香港の繁華街でよく見られていた「中国共産党は出ていけ!」や「打倒中国共産党!」などの横断幕は張れなくなるし、まともな民生デモはできなくなり、メディアから言論の自由も徐々になくなってしまうでしょう。
 
しかし癌が大きくなれば発見されやすくなるうに、世界はようやく危機意識をもって気づき始めました。中共が世界各国でやっている高利貸し借金漬けにして払えなくなれば相手国のインフラを乗っ取る常套手段が有名になってきたり、コロナで注目された伝統の隠蔽体質、明らかに自身に非があるのに責任転嫁をして一方的に他国を責める荒唐無稽さに対して、多くの国々は憤慨したことでしょう。たんまり援助してもらってるアフリカ勢と一部中東勢はまだやばそうだけど。
 
しかしほとんどの中国人は基本的に自国の体制について批判的ではなく擁護します。幹部の腐敗は許せないが国家体制は問題ない、もしくは「しかたがない」というのが基本姿勢で、これは日本に住んでいる中国人でもだいたい同じです。中国政府をおおっぴらに批判する人はごく少数の勇気がある人や、人権派や民主活動家だけで、あとは声をあげない代わりに日中友好を説くお決まりのスタイルというのが残念なところ。日本は中国に対して、戦後ずっと友好的だったけれども、銃を向ける隣人のことは残念ながら友人とみなすことはできないでしょう。
 
それでも基本的に中国国民、中国人は中共の犠牲者です。そもそも彼らに悪気はなく、生まれ育った環境がそうだったからそうなってしまったとしか言いようがなく、私も同じ環境で育っていたら彼らと同じ思考回路になっていた可能性は十分あります。それに中国人としてのプライドもあるので、頭ではわかっていても生まれ故郷をあまり批判したくはないでしょう。
 
というのも中国では、中国全土のインターネット等の通信を中共の自由裁量で検閲監視できる巨大なシステム(金盾)を構築していて、基本的にすべての中国国民はその言論統制網の中にあり、常に中共の意向に沿う操作された情報から逃れられないのが現状で、これはネット以外の新聞等も同じ。
 
また、国民がUPする情報についても同様に中共に都合が悪い事実であれば概ね強制削除となり、ネットへのアクセスを一定時間遮断されたりする。こういうことを繰り返していると公安が自宅捜査に来ます。中国国内動画サイトでのコメント欄も同様で、例えば日本と中国の何かの事件について日本に有利なことを書きつらねたり、歴史や国際情勢について制限なく様々な意見を交わし合うということはできない。
 
こうして国家により個人の思想や言論までもが制限されているので、中国人はこうした草の根レベルであっても、より広い考え方を吸収したり真実を知る機会を奪われているのが現状であり、やはり責めるべきは中国国民ではなく諸悪の根源である中国共産党ということ。これからアメリカが中心となり、中国共産党を改めさせる必要があります。そのためには日本も反中共連合と強く連携し打ち勝っていくことが肝要です。

中国の「南京大虐殺」ユネスコ記憶遺産登録という犯罪

2015-10-10 | 日中関係・中国共産党・中国人
日々の楽しいことは大事で、なるべく嫌なことは考えたくないのは誰しも同じだろう。だけど、日本人として声を大きくして言わなければいけないこともある。日本人同士や道理の通じる土俵上では沈黙も美徳で静観も知的かもしれない。しかし沈黙を弱さをとらえて延々とつけこんでくる者に対しては対処しなければいけない。対話も重要だ。しかし、対話や友好で歩み寄りができる相手なら今の現実はありえないのである。

周知のとおり「南京大虐殺」がユネスコ記憶遺産に登録された。これを見るだけでも中国共産党は今の体制でいる限り、これからも延々と日本を叩くつもりであることがわかる。今のユネスコ事務局長はブルガリア人だが、中国と同じく一党独裁をしていた当時のブルガリア共産党党員だった経歴があるのは偶然だろうか。

争われる物事は可能な限り客観的情報に基づいて検証されなければ、それが事実だとか存在したということにはならない。それっぽい写真ばかりを寄せ集めてテキトーな説明をつければそれらしく見えるが、それが検証されずに認められる道理が世の中にあるのならば、主張した者勝ちの世の中だということになる。中国の対日世論戦・情報戦はあらゆる手段を使い執拗にそして延々と続けるのが基本であるので、今回一時的ではあるがこの点について日本政府が負けたということになるが、日本としては当然に断固としてこの不誠実な登録を撤回させる必要がある。

このような不快な事象で中国を考えるとき、中国人民と政府は別で考えなければいけない。中国人民の本当の敵は中国共産党であり、彼らの多くは自覚のない被害者だ。中国政府つまり中国共産党は、自国および海外からのあらゆる情報を検閲もしくは遮断し、日本に関することに限らず、様々な不都合な事実を中国人民に隠し続けることを内政の基本としているような独裁政権である。不都合な事実を都合のよい形に歪めながら、習近平が「中華民族の偉大なる復興」を国是として、現在のアジア平和を乱す最大の原因となっている海洋侵出を強行しておきながら「地域安定のために平和を望む」と言い放つ二枚舌は多くの国から批判されている。

これは、習近平が女性の権利向上に関する会合を国連で開いたことで、ヒラリークリントンから「女性の権利を主張する人たちを迫害しながら、国連で女性の権利のための会議を主催する?恥知らずだ」と批判された構図と同じであり、このような二枚舌外交は特に中国共産党の伝統的とも言える基本姿勢である。

捏造を武器に他国を貶めることより、中国共産党には今現在の解決しなければいけない問題がある。中国共産党が幸せの国とメディアで言われていたブータンをじわじわと侵略しており、新疆(東トルキスタン)やチベットでも弾圧を繰り返して侵略している。そして内モンゴルもモンゴルに返還すべきだし、内モンゴルでの人民革命党粛清事件では中国共産党によって数十万人のモンゴル人が虐殺されている。これこそモンゴル人、チベット人、東トルキスタンの人々に謝罪し賠償しなければいけないことだ。ちなみに、中国共産党が侵略した領土を解放すると、今の中国は半分程度になる。

長くなったが、このような所業を正当化しながら、根拠も無しに他国の批判をし、一方で都合が悪い場面では「平和と対話が重要だ」と言ってみせるような荒唐無稽な政府には、明らかに政治利用目的で検証すらされていないことを記憶遺産に申請する資格すらないのである。


ユネスコ憲章前文にはこうある。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」
ダライ・ラマ14世もこのようなことを言っていたと思うが、そのダライ・ラマが象徴であるチベットを侵略しているのが中国共産党である。

中国は人対人がより大切

2012-09-01 | 日中関係・中国共産党・中国人
真上の階の内装工事がまだ続いてる…。
統一内装のマンションなのに、だ。

土曜と日曜は内装工事禁止が規約で書いてあるんだけど、今日はやってる。
月~金まで我慢してるのに土日までやられたらたまったもんじゃない。
物業(管理室)に2回連絡したけど止まらないので
上の階に直接乗り込んで思い切り文句ぶつけてきた。
彼らのリーダー格が「なるべく小さい音でやってるからいいでしょ」ってねぇお前ら。
「土日は小さい音ならいいんだよ」とほざく始末。

もうね、途中からこっちも大声で対抗した。かなりイライラしてたので強硬姿勢で。
日本なら盗撮されてYOUTUBEにUPされるレベル。まあ中国でもそういうのあるけど。
殴り合いのケンカをしたら外国人であるこちらが色々と不利益を被りそうなので
なんとか言うことを聞いてもらうしかない(泣)

それにしてもまったく都合のよいルール解釈だ。
"なるべく小さい音"ってのは人によって基準が違うし、
「土日は小さい音ならいいんだよ」がOKなら夜中でもできてしまうことになるので、
もうこの時点で規則は形骸化し滅茶苦茶になることは目に見えているので、そんな道理は当然通らない。
もう仕方ないので物業へ直接行ってクレームを入れると
すぐ一緒に該当階に行って作業員らに警告をしてくれた。
「まだ続けるなら電気も水道も止めるぞ!」だと。これは頼もしい。

これで一件落着だなと思ったし、それでよかったのかもしれない。
んー、でもなんか引っかかる。気分よくないんだよね。
どうもまだイライラが収まらん。
少し考えた結果、言いすぎて悪かったなぁと思い、
コーラと安いタバコを3人分買って持っていくことにした。


私「さっきは言いすぎて悪かったよ。これはまあ受け取ってくれ。」

業者君「いや、大丈夫だよ。ただこっちも仕事だからそこはわかってほしいんだ。」

私「そうだな。わかるよ。ただ土日は今現在のように音は極力出さないように頼むね。」

業者君「わかった。こちらも悪かったよ。」


うん…。なんか心のわだかまりが取れた。あーよかった。やっぱこうでなくちゃね。
たしかにマンションの規約には土日の内装工事は一切禁止と記載があり
こちらも当然それを守ってもらう権利があるだろう。
でも、彼らは一切の仕事を休んでどこかで休んでいるわけではなく
なるべく大きな音をたてないようにして仕事を進めている。
でも階下なので多少の音が伝わってくる。
こちらは平日我慢してるのにというのが頭にあるのでなおのこと敏感になるわけだ。
しかし、これはいくら言っても止めてくれないと思う。

これは譲歩したと言うのかもしれない。
でも、こういうところが中国の習慣というか「まあそんなもんだ」って感じなわけ。
日本と違い、あらゆる場面でこのように規則がしっかり守られない現実がある。
規則が守られないとなると、よくないイメージを抱いてしまうかもしれないが
中国の場合は人の裁量で色々とうまく運ぶ場合が多いので
一概にそれがよくないこととは言えないものまた現実。
もちろんその逆で面倒なことになる場合も少なくはないのだけど…。
でもそれもこちらの対応次第でうまくしのげるときがある。

今回、強硬な姿勢で業者と対立を保ったまま終わることもできたが
やはり彼らとの距離を少しでも縮め、お互い理解を得なければと思った。
結果、確実に距離は縮まった。
「また中国人が迷惑なことをしてる」という考えだけではなく
やはり一人の人間として交流してみることが大事だということだろう。
頭ではわかっていても、実際はこれができないときもあるけど。
部屋に戻り手を洗ってフト鏡を見ると、そこには穏やかな顔をした自分がいた。
きっと気のせいではないのだろうね。今日もいい一日になりそうです。

中国政府が監禁中の中国人がノーベル平和賞受賞。

2010-10-09 | 日中関係・中国共産党・中国人
今回の内容は、中国政府の規制対象なので、以降このブログが中国から遮断されるかもしません。ただの個人ブログでしかも日本語ですから、私の記事だけが原因でそうなる可能性はあまりないと思いますが、なんらかの原因でライブドアブログもFC2ブログも遮断されたままです。なににせよ、そうなったら私が記事を書けませんので、このブログが1ヶ月以上更新されなくなったときは、私がアクセスできない状態にあると思ってください。その時は、以下の場所で再開します…。

はてなダイアリー「上海ぽんぽこノート」


まず、中国政府により現在監禁中の民主活動家の劉暁波さんのノーベル平和賞受賞、おめでとうございます。そして、劉暁波の奥さんも政府当局により連行・監禁さたことを残念に思います。拷問だけはやめておけ。

中国政府は、自国民のノーベル平和賞授与を妨害しようとしたうえ、ノルウェー政府に対しても脅しをかけています。前代未聞の荒唐無稽ぶりで、国際社会から批難続出してますね。中国政府にとっては、劉暁波は犯罪者ですので、平和賞が劉暁波に授与されれば、中国政府の矛盾が明らかとなり、むしろ犯罪者は中国政府だという事実が世界に再度知れ渡ることになりますから、それは避けたかったわけです。

ちなみに、政府発表で少~~~しだけ受賞報道がされたようですが、中国ではこの世界的ニュースが報道規制され、ほとんどニュースが流れていません。前は政府の規制に逆らい、このような政府に都合の悪いニュースを流した新聞社の人たちが厳しく処分された歴史があります。殺されてはいないようですが、中国政府なら殺しかねないところが現実的に怖いですね。そうなっても行方不明で終わるのでしょう。


また中国が自己中心な理論を繰り広げています。
自己を省みず、他者を批判ばかりしている国は精神的に成長することができないと思います。世界から愛される国になろうと思わないのでしょうか?国経済が発展しようとも、その国の人間に進歩がなければ世界からの尊敬は望めません。

日本には思いやりの心がある。これは、中国人には本当に無いですね。私は中国人のことが好きだけど、相手を気持ちを汲んであげるとか、相手の立場になって物事を考えるということをしません。すべて「自分がこうだと思うからこうだ」です。

日本は島国で単一民族の国ですから、国内で余計な争いも無いですし、日本政府は中国のように他民族国家である民衆の一体感を増強させてゆく必要もないわけです。中国人は戦乱に明け暮れた時代を幾度も経験し、信用できない政府のもとで暮らしてきましたから、今の中国人の国民性というのは、ある意味必然であり仕方のないものなのかもしれません。

他人を信用しない。いや、信用できない人たちばかり。他人を信用しない人が多いということは、他人からも自分が信用されませんから、それが集団になりコミュニティとなっているのが中国であり、信用できない社会が形成されてゆくということになります。日本の社会システムは信用のもとに運用されていますが、中国では警戒のもとに社会が運用されていると思います。そこに住む人の人間性が社会を変えてゆくのか、社会制度が人を変えてゆくのか・・・。鶏と卵がどちらが先かのような話ですが、この場合は最近の研究で、やはり鶏が先だという結論に至ったようですね。

はるか昔の中国では、義理や信用を重んじようとした時代があったようです。それがどうして今のようになってしまったのでしょうか。私は中国人を理解するため、その歴史や国民性の移り変わりについて書かれた本を何冊も読んできました。以前のブログでも書いたことがありますが、やはり中国は「詐」の国であるということに同意せざるを得ません。そして日本は「誠」の国であるということです。つまり、両国は対極にありますね。

「詐」は詐欺の詐ですが、詐という文字を辞書で調べると、「嘘を言って騙す、つくりごとを言う」とあります。私が上海に来てから、外で店で職場でと、ところかまわず何度も経験したことですね。嘘の中から真実を見つけ出したほうが早いかもしれません。

日本のような社会を作りあげることは無理だとしても、自分だけがよければいいなどという考え方を改めたほうが、結果的に自分の利益になるという思考回路を中国人が身につけることができるのはいつのことになるでしょうか。自分がこう思うから正しい、どこかでこう聞いたから絶対に正しい。正しいと主張することはいいことですが、残念ながら、彼らの言い分の「正しい」や「絶対」にはそれ相応の根拠が無いのです。そのことが自ら信用を失くしていることだということが理解できないのでしょう。

日本人と中国人では、話し方の違いがはっきりしています。
それは以下のようにはっきりと分けることができるくらいです。
日本人も中国人も全員がこうだということではないですが、こういう傾向があるのは明らかです。



日本人は事実を客観的に見て、比較的公正に話しを進めます。

中国人は事実から目を背け、自己の利益に沿って話しを進めます。




また、中国人が書く文章には特徴があります。例えばこのような誇張となるような言葉を好んで使います。


最高の

最高級の

100%

世界/国際レベル

絶対

必ず

嘘は無い


これらを使用することで、セールストークになっていると少しは思っているのかもしれませんが、あまりに溢れている言葉なので、すでにこれらの言葉自体の信憑性がありません。つまり、中国人自らの手によって、本来言葉が持っているはずのチカラが失われていたのです。

文字のチカラは、その文字自身のチカラがあるはずです。ですがこうして使う者が誤った使い方を続ければ、その文字の意味が変わり、文字にあったチカラも失われます。

今、中国は世界に迷惑をかけ続けています。日本人の身近なニュースでは尖閣諸島(中国名 釣魚台)の、中国船が日本領海内で勝手なことをした挙句、最後まで勝手なことをして、またしても世界からの批難を浴び、国際社会からの警戒度を自ら高めました。中国がしたことは、他人の家に勝手に入った強盗が取り締まりに来た警察を批難し続けていることと同じです。

それでも、近年、尖閣諸島周辺には天然埋蔵資源が多く発見されましたので、中国はそれを狙っての駆け引きをしていたのでしょう。しかし、アメリカは日米安保条約もありますが、中国に石油資源を確保されては、今まで以上に軍事増強されてしまい、そうなれば本当に世界を掌握されかねない、いや、アメリカの軍事を超えられてしまうかもしれないので、尖閣はどうしても中国に渡すわけにはいかなかったんですね。それが無ければ、アメリカのあの「尖閣諸島は安保条約の適用対象」という声明は出なかったかもしれません。

先日、中国人の知り合いと尖閣諸島について議論をしてしまいました。彼女から私に問いかけてきたのです。当然私は、尖閣諸島は日本の領土だと言いましたが、彼女も一歩たりとも譲りません。ここで、本当に中国人らしい発言を聞かされました。


「釣魚台(尖閣諸島)は中国の領土です。なぜなら日本が誕生する前から、世界は中国のものだったから。だから釣魚台も中国の領土です。」


いや、さすがにここまで壮大で道理のない自己中心だと唖然としますね。中国ならでは、でしょうか。確かに大昔の中国の朝廷が機能していた時代、日本という国号がやっと生まれたようですが、尖閣諸島が中国に支配されていたという歴史はありません。琉球も中国に支配された歴史はなく、ただ日本と中国と貿易中継点として大きな役割と果たしていた時代があり、中国の朝廷と仲がよかった事実はあるようです。ですが、その後、戦国の島津藩が琉球に攻め入り、日本としたようです。

それに、尖閣諸島には琉球人が住んでいて、琉球人はもともと日本の九州北方の人間であるということが遺伝子レベルで解明されていますので、琉球人=日本人ということは、琉球が日本国家ではなかったとしても、その琉球人が住んでいた尖閣諸島は日本ルーツであると言えるわけで、決して中国ルーツではありません。このことから、「中国固有の領土」という説明にはなんの根拠もなく、完全に破綻していることがわかります。

特に、中華思想よろしく「その昔、世界は中国中心で中国のものだったから尖閣諸島も中国の領土」という歴史を大幅にさかのぼり、どんな大昔であれ先住民に領土の権利がある的な理屈が通用するのであれば、この世界はネアンデルタール人に返還することが先となり、そのほうが重要だということになります。また、現在の世界の領土状況は戦争などで割拠された結果でもあり、このような中国人の理屈に合わせれば、多くの国同士が領土を返還しなければならなくなり、世界は混乱します。それに、それほどまでに領土問題に固執するなら、中国大陸内の漢民族以外へ領土を還さないといけませんね。特にチベット。その問題のほうが時代も近いし、重要な問題ですね。





わかったら早くネアンデルタール人のとこに中国船ぶつけて恐喝してこいよ…

なぜ中国人は自己中心なのか

2010-05-01 | 日中関係・中国共産党・中国人
画像/中国に進出しているファミリーマートの偽物というか堂々たるパクリ。このようなパクリは山寨(シャンジャイ)と呼ばれる。この場合、Martのaの部分がMertというようにeになっている。ファミリーメートだ。ちなみに中国語部分も正しくは「全家」。本物のほうは、2010年3月31日時点では、上海だけで300店舗あるようだ。これは千葉県の319店舗の規模とほぼ同じ。別にこんな店に人気があるわけではなく、多くの上海人はパクリだとわかっている。ただ、田舎の人には判別できないかもしれない。



■外国人からして、特に日本人から見た中国人というのは、極めて自己中心に見えるようだ。私もだいたいそう思っている。なぜ、特に日本人から見るとそうなるのか。それは、中国人と日本人の国民性がだいたいにおいて対極にあるからではないか。

ある中国人の著名作家が言うには、日本は「誠」の国。中国は「詐」の国だと。中国人には申し訳ないが、これは非常に的を得ていると思う。「詐」というのは詐欺の「詐」だが、だからと言ってその作家は、中国国民全員が詐欺だと言っているわけではないだろうし、私もそんなことは思っていない。

しかし、やはりというかなんというか、信じたいけど信じること自体が否定されてしまうような国民性があると感じている。買い物をするときや何かをするとき、特に相手に対して貴方を信じます、と宣言するわけではないが、日本ではごく自然にやりとりされているようなことでも、信用を自ら失くしにかかってくるようなケースが多いし後を絶たない。

それは様々な場面で見られるけども、わかりやすいケースを挙げてみよう。この前、飲み会を主催したとき、日本人が13名の参加で中国人が1名だった。それで、中国人一人だけが来なかった。別に来ないのはたまにあることで、特に目くじら立てるようなことではない。でも、自分から参加すると約束したにも関わらず、連絡もせず無断だった。前回、他の中国人が同じ事をした。これが日本人なら普通は連絡くらいするのがマナーだということくらいみんな知っている。これは小さな例。

一方法律に関わるような契約ごとでも簡単に破る。私が以前勤めた中国企業でのできごと。
給料の提示が「到手」つまり日本語で手取りの約束で会社に入った。手取りと税引き前の提示では、実際の給与にかなりの差がある。しかし、契約書にサインする段階になり、契約をする段階で給与のところには手取りも税引き後も明記がなかった。これではサインできない。なぜならこの状態なら99%の確率で税引き後の給与にされるだろうからだ。

もしや、やる気か?中国流来た?と、面倒くさいことが起きそうな予感。暗雲立ち込めそうな気配を感じながら人事へ質問する。しかし残念ながら私の予感は的中しており、暗雲は稲妻をまといながら私と人事部の頭上にやってきた。ここでも思う。なぜ彼ら中国人は、約束事を後から変えれば、自分にも面倒くさいことが起こるということを理解できないのだろうか。しかし、彼らの言動は、まるで相手が約束の変更を呑まないことが問題の原因であるかのような言い分をしてくる。自分の問題を顧みようとしない。そう、様々な場面で共通するここのところが中国人の考え方への理解に苦しむポイントなのだ。

最初の提示も「到手」となっていた。わざわざ念のため口頭とチャットで記録を取ってまでして確認したことだったが、それでも契約時になってからこういうことをやりだす。やはり来たかと、まったく予想していなかったわけでもなかった私にとっては、特別驚くことでもなかった。しかし、こうなったら仕方ない。こんなとぼけた宣戦布告されたらこちらも黙って受け入れるような日本人ではないことを示さなければいけないわけだ。これでまた意味不明な面倒くさいやりとりが始まる。

中国人は極めてしたたかだ。わかっているのにわかっていないフリをするのがうまい。まず、人事部はそんな約束をした覚えは無いと来る。これはとんだとぼけっぷりだ。しかし、最強のとぼけ野郎はまだいたのだ。何を隠そう、その会社の副総経理(副社長)たる男性が言うに、「手取りは中国では税引き前のことです」と来たもんだ。これには開いた口がふさがらないばかりでなく、そのあまりにバカバカしい発言に笑ってしまった。そんな道理は中国に存在せず、中国でも日本同様「税后=税引き後手取り」であり「到手=手取り」なのだ。

そんなアンビリーバボーでアナザーワールドの住人の発言を聞いた私は、とりあえずアホらしい確認をすることになった。その会社の同僚や中国人友達に「到手は税引き前の意味と同じか?」と何人かに聞いた。全員が到手は税后(税引き後)の意味で「到手が税引き前の意味なんてあり得ない」だと答え、この到手と税后の中国語は、手取りと税引き後の日本語との差異はないとも言ってくれた。これで、副総経理の発言は完全に間違っているか、アタマがおかしいということが客観的に証明された。たぶん両方だろう。

それで、再度話しあったところ、今度はまったくおかしな言い訳を話し始めた。もうここまできたら滅茶苦茶としか言いようがない。なんでもありなのだろう。副総経理が言うに「会社は君の給料から税金を政府に納めている。だから到手というのは会社が税金を政府に納めたあとの到手だ。」・・・・。だからそれは税前(税引き前)給与のことで到手ではないと言う。そんな税金があるということは前提で到手か税前と提示するのが普通であり、だからこそ到手や税前という言葉も存在しているというものだ。その前提が覆されたら、到手と税前、税后の意味に関してどうとでも都合よく言えるようになる。

元が滅茶苦茶なので、例えも滅茶苦茶だが、例えば寿司(握り寿司)と刺身の関係。寿司は米粒の上に刺身がのっていて、刺身は鮮魚を切ったものだけのこと。こんなことは誰でも知っているわけだけど、ここからその意味を都合よく変えたら混乱が起きることくらい誰でもわかる。


客「マグロの握り寿司ください!」

板前「へいっ!マグロの握り寿司あがりっ!」

客「えっ?これは何?マグロじゃないし、握りじゃなくて刺身じゃん」

板前「へいっ!うちではこれがそうなんですよ。」

客「え~!そんじゃなんでマグロの握りなんて名前書いてるの?」

板前「これがマグロの握りだからですっ!」

客「意味わからんけど・・・。刺身じゃないし全然違うし。」

板前「これがそうなんですよ!いらないなら他行ってください!!」

客「・・・・。」

板前「(心の中で)チェッ、面倒くさい客だな。」



こんな会話、中国人とビジネスをしたことがない人にとっては信じられないと思う。なぜ違うものを出しておきながら、しかも問題の責任は相手にあるのにも関わらず、なぜこちらに問題があるかのごとく言われなければいけないのか。そして面倒くさいのは相手なのに、なぜこちらが面倒くさがられなければいけないのか。まったく筋が通っていない展開だ。

もうまったく滅茶苦茶な会話で、実際にあったら笑ってしまうくらいだが、当事者としてみればたまらないだろう。さすがにマグロをマグロではないと言う中国人は少ないだろうが、このようにして何か問題が起きたとき、どこから発想するのかが不思議なくらいの支離滅裂な道理を通そうとするのが、中国人のよくする言い訳。私は中国が好きだが、中国人の言い訳理論は未だに理解できない。たぶん、どうにかその場だけ逃げられればいいと考えているだけなのだろうが。