ぽんぽこノート

いつだって今がスタートライン。
行動しなくては何も始まらない。壁にぶつかったところから新しい道がひらける。

上海での利益目標

2010-05-31 | 仕事関係
自分で仕事をしていると、サラリーマンのように毎月半ば約束された収入をいただけるということにはなかなかならない。会社が安定してくれば、経営者の毎月の収入もかなりバラツキのないものとなってくるかもしれないが、私の場合はまだまだ安定期とは言えない。

上海で、自分のビジネスを始めてから丸1年が経とうとしている。最初のころなんかは、無収入状態だったが、少しずつ利益が増え、どうにか給料も右肩上がりでやってこれている。右肩上がりとは言っても、まだまだたいしたことはないのだが、それでもありがたいことに、同年代の平均的な上海駐在員よりは多いところまでは来れた。

今の収入だと、中国で暮らす上では十分な額だが、自分でビジネスをやっている者としては、まだまだ利益を上げていく必要があると思っている。これくらいで満足しているようでは、自分でビジネスをしている意味があまりない。例えば、自分の車や家も買い、親にも物質的な面で孝行してゆくには、あとせめて2倍以上は稼いでいかないといけないだろうと思う。

もちろんそれだけではない。事業をやっていると色々とやりたいことが出てくる。それは例えば自分のウェブサイトに何か特別な機能を実装したりだとか、オフィスの移転だとか、そういうようなビジネスを強化成長させていくうえでなかなか避けては通れない支出。つまり投資だ。今までは自分のできる範囲でやってきたことだが、いくら学びながらやっているとはいえ、自分のチカラだけではすべてを満たせるはずもなく、他人のチカラも借りなければできないことはたくさんある。

今、まあまあ忙しいが、それでも時間の自由はある。人に言われて気づいたけど、けっこう理想的な形で仕事ができているのだなと思った。これがサラリーマンだったら、朝9時前に出勤して夜の7時とか8時までの残業は普通のことだろうし、毎日それだけ残業してもあまり稼げるものではない。そういうことを考えると、やはり自分で仕事をするというメリットはこういうところにもあるなとは思う。要するに縛られていないということなのだろう。

これからもっと上を目指して少しずつ売り上げていこうとしている。そのためには、今と同じことだけをしていればいいというものでもないわけで、今、色々と準備をしている。その過程でまた色々なトラブルや面倒なことが起きるのだろうと思う。そういうことにやられながらも、工夫しながらこなしてゆけば、もっともっと楽しい仕事になるに違いない。もうすぐ6月に入るが、とりあえず5月の売り上げを超えるようにがんばろうか。

伊勢丹のアニキの送別会

2010-05-27 | 生活・色々
画像/先日、友達のお店のパーティに招待され、いまや新天地よりも人気観光スポットの田子坊に行ってきた。1、2階を貸しきっての楽しい一夜だった。上海に行くときに、お勧めの場所。



■上海に来て1年目くらいのときにお会いした人。昨日の夜は、日本人の間でもけっこう有名なBar「shangty」で、彼の送別会があった。この店の存在は知っていたが、初めて行ったら扉に1文字の漢字が書いてあるだけだったので、一瞬わからなかったが、Barらしき店はそこだけだったのでとにかく入ってみた。

送別会の主役であるアニキは、伊勢丹上海の取締役社長で、上海にはもう6年半もいるとのことだったが、どうやら上海でのお勤め任期は終了のようで、日本での仕事が再び始まるらしい。こうして仲間が帰ってしまうことになると、やっぱりなんだか寂しい気分は拭えない。

伊勢丹さんらしく、会にはアパレル関係の方が多く来ていた。といっても15人くらいだったが、最近、上海に店を出したFrancfrancのマネージャーも来ていたので、色々と興味深い話ができた。Francfrancを運営する会社はBALSさんというのだけれど、バルスと聞くと、どう「天空の城ラピュタ」を思い出してしまい、そんな小ネタも交えながら楽しく酒を飲めた。

他には、23区ブランドで有名なオンワード樫山の方が3人来ていた。オンワード上海には友達がいるので、友達の名を挙げてみたら知っているとのこと。当たり前か。友達のほうは、オンワードで設計をやっているらしいが、詳細はあまり聞いたことがない。今度この話を交えて聞いてみたいと思う。

それで、今回行ったshangtyだけど、2階建てのとってもオシャレなBar。カウンターには美人のロシア人が接客をし、フロアにはこれまた可愛い日本人女性が。ってそんなことはどうでもいいが、美味しいお酒と新しい多くの出会いでとても楽しい夜だった。

伊勢丹の人で、以前スペインとドイツに駐在していた方と話した。彼が言うには、ドイツは何もかもがきっちりしていて、スペインはいい加減だと。これは私も知っていたが、スペイン人のいい加減さというのは、どうやら中国とかなり似ているらしい。なんとなく知ってはいたがちょっと驚いた。ロシア人がいい加減だというのはよく聞くが、スペイン人もそこまでとは。

取引先の工場の従業員が妊娠したということで、納期が大幅に遅れるということを言われたらしく、それではお宅の工場では妊娠者が出るたびに納期が遅れるのか?という話になったようだ、というか当然そういう話になるだろう。私の取引先については、妊娠者が出たから納期が遅れるということはまだ言われていないが、今までの状況からしてこのようなことは十分起こり得ると思っている。

お世話になったアニキは帰国だけど、これでまた色々な人と出会えた。アニキも遺言(自分で言ってた)を残したし、日本へ行ってからも精力的に活動されることだろうと思う。

ひろゆきさんと勝間和代さんとの対談

2010-05-23 | 生活・色々
画像/地下鉄徐家汇駅の9号線乗り換え通路。とても広くて気持ちがいい。上海はどんどん新しいものを取り入れ、日本よりも発展している部分もある。



■巨大掲示板群の2ちゃんねる創始者でニワンゴ取締役の西村博之さん(ひろゆき)と経済評論家の勝間和代さんが、少し前にBSジャパンの「デキビジ」とういう番組で対談したのを観た。私は普段あまりTVを観ないが、勝間さんがどういうことを喋る人なのか、以前から少し興味があったので今回は観てみた。

対談の模様はこちら ニコニコ動画より
動画をアップすると、削除要請が出るので静止画と音声にしているのだ思う。この静止画もいつ削除されるかわかないので、アクセスできなくなっていたら、削除されたと思ってください。


たまに日本へ帰る時、電車の中の広告や本屋で、何回も勝間さんの顔を見たことがある。ああこの人は最近売れてる人なんだぁという印象。本の内容を見てみると、なにやら勝ち負けなんたらと書いてある。そしてビジネス、起業がわりとテーマになっているらしい。どうにもこうにも勝ちに行きたい、勝つべきだ、とういうようなことを言いたいのが伝わってきた。

時代に合っているのだろう。しかし、私は賛成できないなと感じた。起業、ビジネスがテーマなのは別にどうでもいいが、私が思うに、このような人はわりと刺激的なメッセージを送ったり、能動的な方向で本を書いていたりするが、リアルな行動の結果が見えない。つまり、脳みそに勉強してきたことがたくさん詰まっているのかもしれないが、色々なことを言いすぎている上に、一体何がしたいのかがよくわからない。

起業を強く勧めていることはわかるし、起業して、もしうまくいったら普通にサラリーマンをやっているよりは収入が多くなることもわかる。若者は起業するべき、とはいかにもポジティブで進取の精神を感じさせる言葉だ。いくら働いても給料の上がらない今の日本で、特に女性である勝間さんのようなメッセージはキラキラして見えるかもしれない。

勝間さんが代表取締役を務める「株式会社監査と分析」という会社のウェブサイトを見てみた。何を監査と分析をするのかよくわからないし、なにやら自分をアピールするためのウェブサイトのようだ。だからと言って、その会社がうまくいっていないだろうとは思わないが、素直に感じたのは、企業のためのウェブサイトではないなということ。

それで、勝間さんとひろゆきさんとの対談だけど、どうやらバトルになっていた。ひろゆきさんは、けっこう冷静でいつもの感じで話してるように見えたが、勝間さんはどうしてもひろゆきさんの考え方を一旦受け止めることもしたいないらしく、一つひとつの会話で勝ちたい、論破したいというのが画面を通して十分伝わってきた。対談というのは、勝ち負けではないと思うが、勝ち負けを言うなら、最初から最後まで勝間さんが負けていたのは明白だ。

私は勝間さんのことを深くは知らない。人の性格というのはそうそう変えられるものじゃない。今までああやって、どうがんばっても持論に沿わない相手には「だめだこれ」と言い放ち、相手の意見を尊重しないような話し方をしていたのだろうか。確かに著作などを見てみても、強いメッセージが多く、独立願望のある人を魅了させるだろうし、具体的統計などの数字を挙げることも多い。でも、どうも実際に行動に移す人が見て、なるほどと思えるような内容とは少しずれているんじゃないかなと思う。

私が思うに、勝間さんの著書というのは、起業をしてみたいし色々なビジネス本などを買っみたりはするが、実際には行動するまでいかないという層からの人気が高いのではないかなと思っている。日本でも昔に比べ、起業する人がだんだん多くなって来ているようだが、願望はあっても行動が伴わない人が圧倒的だろう。むしろ、それが一般的なケースだと言える。

だから、こういう願望を長年持ちつつも丁寧に墓場まで持っていく人たちに多く読まれるのは当然のことで、逆に起業をして四苦八苦しながら進んでいる人たちには、あまり意味のないカテゴリーに入るのだろう。

私も、10年も前だったら勝間さんの本に魅力を感じていたかもしれない。しかし私は、故・松下幸之助氏や船井幸雄先生、邱永漢先生を筆頭に、彼らの言う何事も実践しながら学び進んでゆくという考えに賛成し魅力を感じる。勝間さんも色々と社会的に素晴らしい人とされているようだが、少なくともあの番組を見る限りでは、支離滅裂なことばかり言う女性だなぁというのが素直な感想だった。おそらく、ひろゆきさんのような人たち、つまり確固たる自分があり、明瞭でストレートな考え方の人たちに対しての免疫というか、それに対応できる余裕を持ち合わせていなかっただけのことだろうと思う。

勝間さんの言う起業、成功とは何なのだろう。ひろゆきさんもそこを聞いていた。「お金持ちにならないと不幸になるんですか?」と。勝間さん曰く、そういうわけではないらしいが、起業をすれば会社をリストラされるなどの危険も回避できるナンタラと。それはそうかもしれないが、基本的に起業のほうがよほどリスクが高いという前提は彼女の思考にはないのだろうか。その心を説くことなしに、時代が時代だからと言って起業ばかりを強引にすすめるということは、人々の幸せには様々な形があるということをスッ飛ばしているように見える。

彼女のプライベートは、ずいぶん前よりうまくいっていないらしい。そのことが彼女に思考に色濃く出ているのではないかということが推察できるが、詳しくは触れない。



人は何のために起業するのだろうか。それはもちろん成功したいからだろう。ひとつ、私も賛同するわかりやすい成功の定義がある。


「成功とは、他人の権利を尊重し、社会正義に反することなく、自ら価値ありと認めた目標(願望)を、一つひとつ実現していく過程である。」一部略   Napoleon Hill



成功というのは、事業で成功するだけのことじゃない。起業なんかしなくても、自分が考えるいい人生を送ることができれば、それでいいじゃないか。

上海のハンバーガー

2010-05-10 | 生活・色々
画像/デリバリーしたハンバーガーとチキン。けっこう美味い。コカコーラゼロも半年ぶりくらいに飲んでみた。


■日本で言えばゴールデンウィーク。中国だと労働節の連続休暇は、私には関係のないことだった。なんとなく、ああ今は世の中休みなんだなぁくらいのことは感じていたが、毎日仕事をしてたので、それどころではなかった。でも、おかげで充実した毎日を送ることができている。

ところで、日本ではオレオの抹茶味は発売されているのだろうか。今日、スーパーで見かけたので買ってみた。私は抹茶なお菓子に目がないのだ。でも、オレオはかなり甘いから、買おうかどうしようか一瞬迷ったが、3秒後には手にとっていた。私の場合、これが日本なら値段を気にするところだが、上海では食料品が安いので値段なんか見ないで買った。こんなことを書いているからといっても、別に金持っているということをアピールしたいわけではない。金は無いぽんぽこなのだ。

買ったオレオを食べてみたが、やはり甘い。アメリカンな甘さが血液をドロドロにしているような甘ったる~い感覚を伴い、糖尿病を連想させる。臭いも甘い。砂糖の結晶が少しざらつく。一口食べただけで水が欲しくなった。オレオのパッケージには、抹茶アイスのイラストが載っていたので、きっとミントでも入れただけだろうと思ったらやはりうっすらとした抹茶の味にミントが加わっただけだと感じた。ま、こんなものだろうが、次に買うことはないろう。これならノーマルオレオのほうがまだ美味い。

帰宅した後、ハンバーガーの出前をとった。仕事をしながらだとデリバリーが多くなる。15分そこらの時間を割いて、自分で料理を作るのもいいが、やることが多いときはデリバリーが多くなる。ハンバーガーはいつも注文している店があって、値段がけっこう安く、ハンバーガー1個100円、デカいチキンが1個60円だ。私はハンバーガー1個と、チキンを2個食べるとお腹が一杯なので、220円しか注文していないことになるが、徒歩5分のところということもあり、いつも持ってきてくれる。

こういう街のファーストフード店は、いたるところにあったりするが、だいたいにおいてマックやケンタッキーのそれよりと大して変わらないどころか、モノによってはボリュームで勝っている時さえある。しかし、肉やバンズの品質はどうかということについて、まさかこの上海でトレーサビリティが確立しているわけでもないので、そこのところは黙って食えというのが基本だと思う。

それでも、これらのハンバーガー屋のハンバーガーはけっこう美味い。たまに妙な味がするときもあるのだが、そこは深く考えないようにするのが肝心かもしれない。たしかに、大手のマックなどは情報公開もある程度しているし、ISO認証を取得した生産過程で管理されているかもしれない。でも、原料である動物の体には成長増進剤や化学肥料も多く取り込まれているだろうから、それらを食べている私たちの体にとって、どこの店のハンバーガーを食べても、結果的には大した差は無いと考えるのが妥当じゃないだろうか。

特に大きなさがあるとすれば、それは店舗や輸送・原料製造における各現場の衛生管理面だろう。体に言い訳ではない原料を使っているのだから、残りはここらへんが両者の大きなボーダーラインになるわけだが、食べているぶんにはそこらへんがどうなっているのかを感じることはできない。でも、中国在住者であれば、ローカル店舗がどんなふうに食材を扱っているかはだいたい想像がつくだろう。日本人的感覚からすれば、テキトーの一言に尽きる。この前なんかは、見るからに汚い雑巾で素材を切る包丁を拭いて、包丁を拭いたその雑巾でテーブルを拭いていた....。ま、全部の店舗がこうだとは思わないが。

上海では注文する値段が300円くらいからデリバリーを受け付けてくれる。私が上海に来たばかりのころは、そんなに安い値段でも配達してくれるのかと驚いたものだが、今となってはごく普通のことに思える。この前など、入ったことのない料理屋を見つけたので、次にでも頼もうかなと思い、デリバリーのメニューだけもらいに入った。

そうしたら、デリバリーは50元(約750円)からだと言うので驚いた。思わず「高いなぁ!」と言ってしまったくらいで、そんなに高級な店には見えなかったのだが、こんな店もあるのだと知ることができた。ただ、店長が面倒くさがり屋なだけなのかもしれない。中国人は基本的に面倒くさがりが多いので、こんな理由でも十分あり得ると思ったのだ。もしくは、けっこう儲かっているので、安い値段ではデリバリーする価値が無いと判断しているのかも。

それでも、750円と言えば日本だとビックマックセットくらいなのだろうか。そんなに高くない?どちらにせよ、お得意さんは別として、日本では注文が750円でデリバリーする店なんか無いのではないだろうか。いや、これからの日本の経済事情を鑑みれば、将来それはあり得るのかもしれないと、ふと思った。

今、日本では低価格化の波が起きているようだ。ダイエーを筆頭に、そこらじゅうのディスカウントストアが全盛を極めた頃の価格破壊ではなく、じわりじわりと来る低価格化だ。一方、上海では高価格化というか、物価が上がり続けている。家賃、食品、衣類、各種サービス。すべての面で軒並み値段が上がってきている。この中でも、不動産関係が顕著だが、これは上がりすぎの感が否めない。

上海のマンションは、日本のそれと比べて品質面で確実に劣っている。不動産の価値はロケーションにあると言っても過言ではないが、それでも品質がこんなに悪いのにこれほどまでに高いのはいただけない。今この瞬間この時代にとりあえずこのような価格になっているわけで、客観的な価値を見出されているかのように捉えがちだ。しかし、こんな価格は長くは続かないだろうし、実際にあまりに高い物件は買い手が少ないそうだ。

中には、大手企業が買占めだとかなんとかいう話もあるわけで、一部の業者が半意図的に不動産価格を吊り上げに回っているという事情もある。最近、このような動きに対し、政府が介入したとニュースでやっていたが、それもそうだろう。中国政府の動きは機敏で賢い。日本が犯した過ちに学び、バブル崩壊なんてらならないように、時に油を注ぎ、時に火力を弱めたりが上手く、各方面からガンガン対策をしている。それでもどうにもならないときがあるだろうが、少なくとも、日本よりは賢い動きをしているのが見てとれる。


さて、月曜日からもがんばりますか。

なぜ中国人は自己中心なのか

2010-05-01 | 日中関係・中国共産党・中国人
画像/中国に進出しているファミリーマートの偽物というか堂々たるパクリ。このようなパクリは山寨(シャンジャイ)と呼ばれる。この場合、Martのaの部分がMertというようにeになっている。ファミリーメートだ。ちなみに中国語部分も正しくは「全家」。本物のほうは、2010年3月31日時点では、上海だけで300店舗あるようだ。これは千葉県の319店舗の規模とほぼ同じ。別にこんな店に人気があるわけではなく、多くの上海人はパクリだとわかっている。ただ、田舎の人には判別できないかもしれない。



■外国人からして、特に日本人から見た中国人というのは、極めて自己中心に見えるようだ。私もだいたいそう思っている。なぜ、特に日本人から見るとそうなるのか。それは、中国人と日本人の国民性がだいたいにおいて対極にあるからではないか。

ある中国人の著名作家が言うには、日本は「誠」の国。中国は「詐」の国だと。中国人には申し訳ないが、これは非常に的を得ていると思う。「詐」というのは詐欺の「詐」だが、だからと言ってその作家は、中国国民全員が詐欺だと言っているわけではないだろうし、私もそんなことは思っていない。

しかし、やはりというかなんというか、信じたいけど信じること自体が否定されてしまうような国民性があると感じている。買い物をするときや何かをするとき、特に相手に対して貴方を信じます、と宣言するわけではないが、日本ではごく自然にやりとりされているようなことでも、信用を自ら失くしにかかってくるようなケースが多いし後を絶たない。

それは様々な場面で見られるけども、わかりやすいケースを挙げてみよう。この前、飲み会を主催したとき、日本人が13名の参加で中国人が1名だった。それで、中国人一人だけが来なかった。別に来ないのはたまにあることで、特に目くじら立てるようなことではない。でも、自分から参加すると約束したにも関わらず、連絡もせず無断だった。前回、他の中国人が同じ事をした。これが日本人なら普通は連絡くらいするのがマナーだということくらいみんな知っている。これは小さな例。

一方法律に関わるような契約ごとでも簡単に破る。私が以前勤めた中国企業でのできごと。
給料の提示が「到手」つまり日本語で手取りの約束で会社に入った。手取りと税引き前の提示では、実際の給与にかなりの差がある。しかし、契約書にサインする段階になり、契約をする段階で給与のところには手取りも税引き後も明記がなかった。これではサインできない。なぜならこの状態なら99%の確率で税引き後の給与にされるだろうからだ。

もしや、やる気か?中国流来た?と、面倒くさいことが起きそうな予感。暗雲立ち込めそうな気配を感じながら人事へ質問する。しかし残念ながら私の予感は的中しており、暗雲は稲妻をまといながら私と人事部の頭上にやってきた。ここでも思う。なぜ彼ら中国人は、約束事を後から変えれば、自分にも面倒くさいことが起こるということを理解できないのだろうか。しかし、彼らの言動は、まるで相手が約束の変更を呑まないことが問題の原因であるかのような言い分をしてくる。自分の問題を顧みようとしない。そう、様々な場面で共通するここのところが中国人の考え方への理解に苦しむポイントなのだ。

最初の提示も「到手」となっていた。わざわざ念のため口頭とチャットで記録を取ってまでして確認したことだったが、それでも契約時になってからこういうことをやりだす。やはり来たかと、まったく予想していなかったわけでもなかった私にとっては、特別驚くことでもなかった。しかし、こうなったら仕方ない。こんなとぼけた宣戦布告されたらこちらも黙って受け入れるような日本人ではないことを示さなければいけないわけだ。これでまた意味不明な面倒くさいやりとりが始まる。

中国人は極めてしたたかだ。わかっているのにわかっていないフリをするのがうまい。まず、人事部はそんな約束をした覚えは無いと来る。これはとんだとぼけっぷりだ。しかし、最強のとぼけ野郎はまだいたのだ。何を隠そう、その会社の副総経理(副社長)たる男性が言うに、「手取りは中国では税引き前のことです」と来たもんだ。これには開いた口がふさがらないばかりでなく、そのあまりにバカバカしい発言に笑ってしまった。そんな道理は中国に存在せず、中国でも日本同様「税后=税引き後手取り」であり「到手=手取り」なのだ。

そんなアンビリーバボーでアナザーワールドの住人の発言を聞いた私は、とりあえずアホらしい確認をすることになった。その会社の同僚や中国人友達に「到手は税引き前の意味と同じか?」と何人かに聞いた。全員が到手は税后(税引き後)の意味で「到手が税引き前の意味なんてあり得ない」だと答え、この到手と税后の中国語は、手取りと税引き後の日本語との差異はないとも言ってくれた。これで、副総経理の発言は完全に間違っているか、アタマがおかしいということが客観的に証明された。たぶん両方だろう。

それで、再度話しあったところ、今度はまったくおかしな言い訳を話し始めた。もうここまできたら滅茶苦茶としか言いようがない。なんでもありなのだろう。副総経理が言うに「会社は君の給料から税金を政府に納めている。だから到手というのは会社が税金を政府に納めたあとの到手だ。」・・・・。だからそれは税前(税引き前)給与のことで到手ではないと言う。そんな税金があるということは前提で到手か税前と提示するのが普通であり、だからこそ到手や税前という言葉も存在しているというものだ。その前提が覆されたら、到手と税前、税后の意味に関してどうとでも都合よく言えるようになる。

元が滅茶苦茶なので、例えも滅茶苦茶だが、例えば寿司(握り寿司)と刺身の関係。寿司は米粒の上に刺身がのっていて、刺身は鮮魚を切ったものだけのこと。こんなことは誰でも知っているわけだけど、ここからその意味を都合よく変えたら混乱が起きることくらい誰でもわかる。


客「マグロの握り寿司ください!」

板前「へいっ!マグロの握り寿司あがりっ!」

客「えっ?これは何?マグロじゃないし、握りじゃなくて刺身じゃん」

板前「へいっ!うちではこれがそうなんですよ。」

客「え~!そんじゃなんでマグロの握りなんて名前書いてるの?」

板前「これがマグロの握りだからですっ!」

客「意味わからんけど・・・。刺身じゃないし全然違うし。」

板前「これがそうなんですよ!いらないなら他行ってください!!」

客「・・・・。」

板前「(心の中で)チェッ、面倒くさい客だな。」



こんな会話、中国人とビジネスをしたことがない人にとっては信じられないと思う。なぜ違うものを出しておきながら、しかも問題の責任は相手にあるのにも関わらず、なぜこちらに問題があるかのごとく言われなければいけないのか。そして面倒くさいのは相手なのに、なぜこちらが面倒くさがられなければいけないのか。まったく筋が通っていない展開だ。

もうまったく滅茶苦茶な会話で、実際にあったら笑ってしまうくらいだが、当事者としてみればたまらないだろう。さすがにマグロをマグロではないと言う中国人は少ないだろうが、このようにして何か問題が起きたとき、どこから発想するのかが不思議なくらいの支離滅裂な道理を通そうとするのが、中国人のよくする言い訳。私は中国が好きだが、中国人の言い訳理論は未だに理解できない。たぶん、どうにかその場だけ逃げられればいいと考えているだけなのだろうが。