このメルマガを初めて読まれる方へ
メルマガの生い立ちをこちらのページに書いていますので、ご参照ください。
http://ohanashi-daisuki.com/info/story.html センター試験の日ですね。寒い中ですが、体調に気をつけられて実力が発揮できます
ように。お祈りしています。
山茶花の花びらのジャムを作ろうと思い立ちました。色が落ちないように、柚子を入
れました。そして蜂蜜。
うれしかったのが、花の香りがとてもよくて、バラのジャムみたいだなあと思いまし
た。
カンタティモールのなっちゃんから、以前、映画に出ておられたアレックスさんが亡
くなられたというメールをみなさんにお伝えしました。みなさんからも、たくさんの
お手紙とご家族への応援のご寄付をいただいたとのこと、ありがとうございます。
なっちゃんのお手紙は長かったので、少し抜粋させていただいて、載せさせてくださ
い。
<引用ここから>・・・・・・
かっこちゃん
奈津子です。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
アレックス追悼の際には、あたたかいお手紙とご寄付、贈り物をいただいて、ありが
とうございました。おかげさまで、12月にアレックスの寄付を届けに行って、年末に
無事帰国しました。
3歳ののはらを連れて初めての海外でしたが、幸い熱も出さず無事でした。守ってい
ただいて、感謝です。
ご寄付はお渡しすることが出来ました。お手紙、日本語のものは翻訳しました。
子どもたちの将来もあるので、お腹の赤ちゃんが大きくなるまで、長い目で支援をし
ていけたらなあと思います。
(以下、とても長くなってしまって恐縮なのですが、映画出演者やアレックスのこと
など、共有させてください。)
カンタの取材時、一番お世話になったお父さん(フラマさん、58歳くらい)が前回
弱っていたので心配したのですが、元気で一安心しました。
彼はゲリラ時代に4発弾丸を受けて、3発は体外へ出たのですが、1発は心臓のすぐ横
に残り、弾から出る毒薬で体を悪くしていました。
軍の弾丸は、手足にあたっても致命傷になるように、薬が入っているんですね。
彼の手術料を映画の上映料金から少しずつ送っていて、数年前、海外で手術を受けて
弾丸を取り出すことができました。
今回、術後が良くて、元気そうでした!
ささやかな支援ですが、こうして実を結んで良かったです。
かっこちゃんからとてもたくさんの方へご縁がつながったこと、あらためて、感謝が
あふれます。
本当にありがとうございます。
映画に出てくる、弟8人を亡くして、でも怒りじゃない、と言っているアリピオさん、
弟一人の骨が見つかったそうです。
残り7人の骨を辛抱強く探していました。
見つかった48人の村人の骨を、お金を集めて弔ったそうです。
片足は相変わらず不自由で、今回も支援のお金を持って行ったのですが、治療より養
育にあてる方針でした。
娘さんが高校生になり、もう一人男の子を養子に迎えていました。あたたかく素晴ら
しい家族でした。
12月15日にアレックスの家に集まって花を送る儀式がありました。
その時妻のサンドラに4年ぶりに再会しました。
5人の子どもたちと、お腹には3月に生まれる赤ちゃんがいました。
少し言葉を交わしては、彼女は涙になってしまい、
私にはかける言葉も見つからず胸がつまりましたが、とにかく、日本にも仲間がいる
のだと伝えました。
東京の追悼の会の動画を見てもらいました。サンドラやアレックスのお姉さんたちが
熱心に見て、また泣いていました。
その夜サンドラへご寄付をお渡ししました。彼女は両手で捧げ持って大切に受け取り
ました。
後日、彼女からも日本のみなさんへ、ということで手紙を預かりました。
この文章の最後に添付します。
翌16日はミサでした。
(亡くなって40日に行うカトリックのミサ。東ティモールではキリスト教と土着信仰
が融合しています)
100人以上集まっていたかと思います。
アレックスの生まれ故郷で、青空の下に祭壇と椅子があり、たくさんの花が飾られて、
神父様らによる式が執り行われました。
ギター演奏と讃美歌が美しく響きました。みなの気持ちがアレックスに向けられてひ
とつになるような、美しい時間に感じました。
その後山道をおりてアレックスのお墓へ行きました。手作りの屋根がついた立派なお
墓でした。墓前の式が行われて、サンドラが祈りの言葉を捧げました。
その時の彼女は、昨日よりも凛とした様子で、私は少しほっとしました。
亡くなって40日に行うミサは、遺族にも大切な節目の意味があるのだと思いました。
私たちには「日本の友人代表」としてアレックスに捧げる花輪が用意されていました。
日本の皆さんのことを心に想いながら、祈りを込めて花を捧げました。
皆が沢山のろうそくを灯し、キスを送り、歌が歌われました。
夜はアレックスの家へ戻り、会食でした。
東京の追悼の会の様子をたくさんの方が観て、また泣きました。
今回、アレックスの過去について、友人のレオとサンドラから詳しく聞きました。
アレックスの父は独立運動の中心的人物でした。アレックスの幼少期は母の家族と一
緒に山へ逃げていたそうです。母の兄(アレックスの叔父)を父と呼んでいつも一緒
にいたそうですが、その叔父がある時軍に捕まり、酷い暴行の末に縄で手を縛られて
飛行機に吊るされ殺されるという事件がありました。
その出来事が彼の心身に大きな影響を与えただろうということでした。
トラウマを残した事件でもあるし、その後彼がとても強い独立運動家になる精神の基
盤になったのではないかとレオは言います。
その後、アレックスの兄も独立運動の重要な立場になりました。
アレックスは独立のための地下活動(都市にいてデモを組織したり、情報や物資をゲ
リラ軍に届ける)を始めました。その際に捕まって拷問を受け、その後の活動では命
への危険が差し迫ったためティモールを出国し、インドネシアの大学へ入学しました。
ティモールでは、独立後に、知識人が必要になるということと、軍事撤退を国際世論
へ訴えるために、若者の留学がすすめられていました。アレックスもその一人として、
村の人がお金を集めて彼を大学へ送ったそうです。
彼は学問のほか、ティモール独立のための学生運動で重要な役割を果たし、帰国後も
それを継続して独立運動を続けました。
彼や、彼の兄、父も何度も拷問を受けながらも生き残り、独立を迎えたのですが、こ
の4年間で兄と母親を相次いで亡くし、彼は深く落ち込んだそうです。
その後父親が体調を崩し、彼は父親のいる山に通って看病に励みますが、父親は
「もういいから、休みなさい」と言って今年5月に亡くなったとのことです。
レオは、アレックスの心臓はもう何年も悪かっただろうと言います。
昨年血圧に異常が見つかったことや、体のむくみや息切れを心配して、レオは何度も
入院をすすめたそうです。
アレックスはいつも笑って大丈夫と返していました。
「まわりをいつも笑わせようとするんだ。心配をかけないようにして。妊婦の妻の体
調のことばかり気にしてた」とレオは言います。
11月9日、自宅に帰ってきて、「胸が熱い」といって横になり、サンドラはお粥を
作ってスプーンで食べさせていたそうです。
少し食べて、仰向けで両手を上に向けて開き、微笑むように最後の息をしたそうです。
アレックスも、他の友人もそうですが、自分の体を治すことよりも、日々のやるべき
ことに奔走し、次世代へ繋ぐことに必死になっている様に感じます。
軍事攻撃で受けた傷や不調を根治する治療費は、多くの場合、現実的な額ではないこ
とも確かです。
暴力というものが、心身にどれほど大きな傷を残し、それを癒すにはどれほどの時間
がかかるのだろうかと、とても悔しく思います。
そして、あの過去を経てなお、彼があんなにも強く、人を信じ、世界を信じていたこ
とを想います。
3歳のロロは「お父さん起こしてきて」と何度も言います。
サンドラは「お父さん大事なお仕事があって遠くまで行ってるのよ」と言い聞かせま
す。
「本当ね。大事なお仕事をしに行ったのね」と私が言うと、サンドラは「そうね」と
頷いて微笑んでくれました。
以下はサンドラからの手紙です。
写真はこちらにアップしました。
https://photos.app.goo.gl/3VwLJabHAdn2z1gW2東京の追悼の会の様子はこちらですhttps://www.youtube.com/watch?v=Xq7yhfzYvPM&feature=youtu.be(サンドラの手紙)
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尊敬と 愛を 込めて
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アレックスの良いお友達のみなさんへ
妻サンドラと、長男エガリオ、長女エイシャ、次男コーレ、三男ジェノ、四男ロロ、
そして3月に生まれてくる赤ちゃんより
亡きアレックスの妻として、胸いっぱいの感謝の気持ちを送ります。
今はまだ、涙でとざされた暗闇が広がっています。それは私には果てしなく長くて、
自分の命を失ったように感じます。
みなさんの心が共に、この場に寄り添ってくださっていることに感謝をささげます。
そしてこの状況へご寄付を送ってくださったことに感謝をささげます。
亡きアレックスの魂の友人であるみなさんが、私たちに心を寄せて、ご寄付を送って
くれました。
その力によって、私たちがこの暗闇から抜け出せますように、見守っていてください。
みなさんの心、送ってくれたお気持ち…。
アレックスの魂はこれからもみなさんと共にいます。あなた方が働かれる場所へ、彼
は共に行くでしょう。あなた方が生きるあらゆる場へ。
宗教の形は違っても、私たちの信じるところは一つだからです。
今はどうか、アレックスが愛のうちに天に召されますように、共に祈ってください。
私からの最後の言葉として、ありがとう…ありがとう…ありがとう…日本にいる友達
みんなに感謝を送ります。
アレックスは亡くなってしまったけれど、彼はきっと、彼の子どもたちとあなた方の
縁を結ぶのでしょう。
私たちの絆は決して切れることなく、これからも強く結ばれていくと信じています。
アレックスの家のドアはみなさんのために開いています。
さようなら…さようなら…私と、アレックスの子どもたちからの大きなハグを
サンドラ
<引用ここまで>・・・・・・
なっちゃんは本当にいつもまっすぐで、誠実で、そして、関わり合った方に責任を
持って、進んで生きておられますね。
わたしもそうでありたいです。
大切な花を心にひとつ 星の王子さまのわたしなりに訳した本にも書きましたが、出
会って、心を尽くした人には責任がある。だから、できることをしていきたいと思っ
てもなかなか難しいけれど、なっちゃんはそれを実践されているんだなあと思いまし
た。みなさん、本当にありがとうございます。
アレックスさんのご家族が、悲しみはきっとそこにずっとあるけれどそれでも、悲し
みから少しずつ立ち上がられますようにお祈りしています。
山元加津子ホームページ
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