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(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」(180614MI)

2018-06-22 | 覚書

マドモアゼル愛オフィシャルブログさんより

2018-06-14 

(新月に寄せて)最終回 惑星の理解「月」

 月について二回にわたりお話ししてまいりましたが、今回は最終版としてまとめてみたいと思います。今回の内容は占星術に詳しくない一般の方でもつかめる内容ですので、不思議世界を広める意味でもお読みいただけたら幸いです。

 

月を理解することは、生きる上での潜在的な障害を取り除くことになります。また、月を理解することで日々の生活がかなり楽になる人も多いと思います。

 

私たちは月を第一フィルターとして世界を眺めますので、子供時代から続くそうした態度はやがて強固な習慣となり、月を通して世界を眺めていることが当たり前で、その影響に気づきにくくなります。

 

人間関係の悩みや精神の悩みや疾患が月と密接に関連しているのはその通りで、月の影響をルナティックと言いますが、それは狂気という意味です。

 

月は7歳頃までの私たちが眺めた世界の印象で、最初の世界観は月によって作られます。7歳未満と言えばまだ子供ですので、それが見た外界の印象は、単純で幼稚で物語性に富み、現実離れしています。

 

私たちは子供時代を思い出してみたとき、時折、なつかしさと同時にどうにもならない郷愁や、時には思い出すのがつらいような気持ちになる場合があります。「三丁目の夕日」という映画が流行しましたが、あの映画にも昔の東京に生きた人たちが元気よく登場する一方で、不思議な郷愁とやるせない気持ちが混じった気持ちを起こさせます。

 

幼少期の思い出は月を通して眺めているので、無力でありながら感受性が豊かだった、受け身の思い出なのです。人にはきっとそれぞれの「三丁目の夕日」があるはずです。懐かしく同時に思い出すのが切なく苦しいような三丁目、、、

 

セピア色のそうした思い出は、月が受けたものです。私たちは、そこから人生をスタートさせていきます。以降、いくつになっても、外界に接する私たちの感受性の窓は、まずはじめは月なのです。

 

月が作った最初の外界のイメージは、完全に受け身です。どんな理不尽もどんな逆境も、ただ黙ってそれを見つめているよりほかなかった子供時代の思いが、月の郷愁であり、思い出からくる印象の残酷さでもあります。

 

人は他に目を向けるものが何もないとき、いつでもこのスタート地点の印象に戻ることができますし、また、戻ってしまいます。他になにもないとは、月以外の衝動によって物事を意識することのない状況で、通常は太陽のことを言います。太陽は自分のしっかりした意識ですから、完全受け身だった月の印象とは違い、目的もあるしそこには目的に向かうエネルギーもあります。

 

太陽の意識にしたがって行ったことは、やがて成功していき、私たちの自信につながりますが、月のイメージに従った行動はそのほとんどが失敗に終わります。

 

月は現実にエネルギーを注ぐ星ではなく、受け身の幻影なのですが、人は生まれて来た以上、なんらかの方法で外界を理解する必要があります。

家から一歩外に出た子は、家に戻らねば死んでしまいますので、家と外というわかりやすい世界観がまず必要になってきます。

 

外に出れば、色々なものと出会いますので、出会ったものが自分を害するか、良くしてくれるかの選択も重要になります。

 

月の世界観とは、まだ子供だった私たちが、外界に出た際に必要とする、外の世界の理解を急いで作る時代にできたものなのです。それがあるから色々な場所にも行けますし、色々な人とも話したりすることができるようになっていくわけです。

 

7歳未満の子供だった私が見た世界、、、その印象が月です。そして私たちは、その月の印象を死ぬまで、外界を認識するフィルターとして使い続けることになるのです。

 

7歳までの子供が作った世界観は幼稚で矛盾に満ち、完全に受け身です。しかし、その印象を私たちは以降もずっと持ち続け、常に外界に触れる際には、それを第一フィルターとして機能させ続けるのです。

 

なので、月を理解しないと、私たちは、7歳の子供の世界観から抜けることができず、受け身で防衛的にしかこの世に接することができなくなります。

 

それでは成長もなく、生きて来た意味が持てなくなりますので、次に太陽意識の獲得によって、自分自身の生き方や個性を輝かせる時代がもたらされることになります。ただ太陽意識は月意識が完全受け身で培われたのと違い、自身で獲得しなければもてないものなのです。

 

月が私たちにもたらす意識は無意識として絶対的ですが、太陽の意識は個や自分自身を強く意識したものとなります。本当に好きなことや本当のやりがいは、ですから太陽意識からしか訪れません。

 

しかし、月の強固な習慣性は、あたかも月のイメージが自分の個性や真の人間性であるかのように振る舞うのです。ガレージから出た車はどこに行くのも最初は自分の家の前の道を通るしかないように、人生で何をするにも、私たちは月を通してまず世界を見るところから始める以外ありません。

 

太陽意識は強烈なので自身の個性といずれはつながりますが、月の個性もあたかも本当の自分のように感じられるように働きます。月は無意識化しやすいので、その影響は太陽よりも強くはなりませんが、潜在的に働き続けます。

 

前にも触れましたが、月は幻影であり、完全受け身の時代に見た外界の様子をこどもの目で捉えたもので、それは実態とはかけ離れたものとなっています。子供時代にイメージした自分自身のイメージは、月のサインに現れます。月のサインが示すものは、本当の自分の姿ではなく、自分が自分に抱いたイメージでしかないのですが、そのイメージは強固に習慣化されているため、自分は月のような人間であると感じるようになっていきます。

 

とくに太陽意識の獲得が遅れていると、成長した後も月が自分のイメージであると思いがちです。太陽意識が隠れている時とは、失意の時や、未来をあきらめた時であったり、親の影響、とくに母の磁力から抜け出せなくなっている時などです。その際には、月のイメージは拡大視され、私たちは7歳以下の子供時代と同じ意識で外界と自分を眺めるしかなくなります。

 

イメージの内容は月の12サインに従いますが、それが前に二回にわたるレポートで語った内容です。しかし大事なことは、月のイメージは現実ではない、、、という点です。そのため、月のイメージを自分の中で追求すると、必ずうまく行かなくなります。何事も失敗しますし、やがてはどうにもならなくなり、現実生活を送れないまでに混乱します。これがルナティックの正体です。

 

現実でない自分を実際の自分であると思いたいのが月ですが、それは嘘の自分ですので、それを追いかけるとどうにもならないストレスと消耗に追われてしまうわけです。

 

このことを知っていれば、月に惑わされることなく自身の道を見つけることができます。少なくとも楽になります。間違った自分のイメージで振り回されることが無くなるからです。

 

月はどうにもならない時だけ戻る一時的なラストリゾートとしては良いのですが、月のリゾートに何泊もした場合は、ルナティックの世界に足を運び入れることになるでしょう。

 

人生が終えようとしている時、月のリゾートは必要な場合もあります。現実世界にはもう親しい人もいない、、、親しかった人はみんな死んでしまっている、、、特にこの世でやり残したこともない、、、人はそんなときに人生の出発点であった月に戻り、最後の時を迎えることもあると思います。

 

月は幻想であり、事実に立脚したイメージは持ちません。子供時代に見た外界から受けた印象による自身と世界のイメージなのです。

 

人が死にゆくとき、最後の最後にすべてが幻であるとの思いを乗せてくれる船が月で、その際には確かに月は重要な役割を果たします。この世が幻想の世界であり、うつし世であるとの認識は、月の幻想性を理解した上では重要な働きとなるからです。

 

人は生れ出た時、どんな幻想でもよいので、この世にいるという認識のきっかけが必要になります。また戻る際にも、この世は確かに幻想であったとの確信を、月を通して知ることができるのです。

 

月はその意味で、あの世とこの世を結ぶわたり船としての働きを持ちます。月で生まれ、月で帰ることになる私たち。考えてみれば、月に限らず太陽を除くすべての惑星は太陽の光で輝くうつし世の星たちです。

 

その性格をもっとも大きく表出させている月。月はこの世が幻想であることを教える星であり、そのことを気づかせるために常に働き続けます。月を理解することは人生の意味を悟ることに直結する道です。

すべてが幻であるなら生まれてくる際に幻想からスタートすることは、何もおかしなことではありません。

 

月は幻想のこの世への渡し船であって、私たちが戻る世界は月ではない、太陽意識の世界です。この世が幻想で、戻る世界が実態であるという哲学は普遍です。私たちは太陽意識の獲得によってのみ、間違うことなくそのことが理解できるのです。そして戻る世界は死の月世界ではなく、太陽であると知ったその時はじめて、月の世界の意味も知ることができるようになるのです。

 

月は幻想の星であるゆえにこの世が幻想であることを教える有難い星。深い愛に根差していることは確かなのですが。母性というのも、自分の子がこの世で悟らずともいく世代かのちにつながる、母としての命の継続としての思いが月を通して出てきます。

 

なので月は連綿とつづくこの世の受け継ぎとして重要なのです。

 

ですので、やはり私たちは月に騙され続けてはいけません。月は月を卒業してくれることのために月であり続けています。

 

月を通して感じる自分は本当の自分ではありません。

月を通して見る世界は本当の世界ではありません。

月の影響で行うことはほとんんど形になりません。

 

月があなたを優しい人だと言ったら、それはやさしい自分だと思いたいことであって、本当に優しい自分というわけではないのです。なので、自分のイメージにこだわり続けているうちは、私たちはナイーブで傷つきやすく、自分に自信をもたません。

 

月の衝動によって何かをやろうとしても、それを実行し現実にするための能力は私たちにはありません。月には目的を実行する力がないので、試みは徒労に終えることになります。

 

月のイメージで自分の仕事を探しても、疲れて終えます。無理すればルナティックにかかります。

 

月は幻想であることを教えているのです。と言って、子供時代に培った月のイメージを捨て去ることはできません。月は変えられない自身のイメージであり、決して達成されない自身を示しているのです。月による感情の支配は生涯続きますが、それを事実だと思ったら苦しくなります。

 

変えられない月の与えた個性からは何も生まれないことを承知の上で、それをキャラとして受け入れ、それとは別に自身の人生を探していくとき、私たちの人間としての、また生きる幅が広がります。

 

こうした複層の思いをもって月を眺める時、私たちは真の個性化への道に入ることができます。

           

月は本当にはいない母を求めさせ、本当にはいない自分を求めさせ、本当にはない世界の住人であるかのように私たちを振る舞わせます。

 

真に受けたらルナティックと死が訪れることにもなりますが、月が幻想であることを知り、その要素を受け入れていけば、人生は味わい深いものとなるのです。

 

「愛している」と言う裏切りの恋人の言葉が嘘だとわかっても、嘘と知りつつ愛を深めることさえ人生の選択肢にはあります。

 

その時私たちは、「嘘つき」と発狂することもできますし、「うれしいよ」と嘘を受け入れることもできるのです。嘘を受け入れもして相手を肯定できる人生の凄さは、月なしでは考えられないものです。

 

月を月と知りつつこの世を味わう楽しさがなければ、この世に意味はありません。ただそれも、太陽あってのことなのです。太陽の人生の絶対肯定なくして、月を味わう余裕は私たちには訪れません。

 

太陽と月、、、今回は3回シリーズとなりましたが、主に月の側から語らせていただきました。


占星術の醍醐味 惑星の理解「月」偏(180611MI)月のイメージに振り回されることがなくなれば、生きることがかなり楽に

2018-06-22 | 覚書

マドモアゼル愛オフィシャルブログさんより

2018-06-11 

占星術の醍醐味 惑星の理解「月」編

 占星術ではまず惑星が第一義的な立場に立ちます。すべての衝動や意図するものの原因は惑星にあると考えるわけです。

 

このうち、とくに重要なのが太陽と月の二つです。二つのうち、太陽は月以上に重要で大切です。しかし太陽には仮の太陽もあれば真の太陽もあります。真の太陽を獲得できなければ、人は仮の太陽によって生きるしかなくなります。

 

そして悲しいことにほとんどの人が真の太陽の獲得ができず、仮の太陽によって生きていきます。太陽が位置するハウスはその人が本気となれる事柄を表します。生きがいは太陽が決定すると言っても良いでしょう。本当の生きがいは、その人固有のもののため、何か社会的に価値があるとか、特に評価されるとかいうこととは、異なります。

 

むしろ、「なんであんなことに夢中になれるのかしら、、、どこが面白くてあんなに命がけになれるのかしら、、、」個性化とはどちらかと言えば、そうしたものです。

 

しかし、多くの人はそこまで自分を個性化できず、セルフを獲得できずにおります。そんな場合、人は仮の太陽によって生きることになるわけです。

 

太陽がその人の基本的性格や生きがいと関係することは、仮の太陽であっても同じですが、太陽の輝きは、本人が輝く道筋ではなく、この世的な輝きと仮の太陽が関係してきます。

 

太陽のあるハウスが示す事柄は、その人にとって、恥じをかかないでいられるものを示します。見栄、見栄え、評判、優劣、、、それらは太陽を自己実現に仕えなかった人が至る仮の太陽の世界だからです。

 

太陽の獲得年代がおおよそ20代半ばから30代半ばの役10年間となりますが、この時代に自己実現の道からはずれた多くの女性は、太陽を夫に譲り、自分は太陽の反射によって光る月、もしくは仮の太陽の御威光の力を使うようになります。「私の夫は会社経営してます、、、」「夫は大会社の部長です」これらは仮の太陽を使った女性の姿であり、太陽を夫に譲った結果でもあります。

 

太陽が示すこの世的な勢力、出世や社会的な評価などは、おおむね、仮の太陽がもたらす運命と深く関係してくるわけです。

 

人生の目的は太陽の獲得、すなわち自己実現にあり、セルフの獲得と言っても良いのですが、それがダメとなると、仮の太陽に意識が向き、自己の社会的な評判、出世、権力、金力、見栄などを人は求めることになりやすいわけです。男性の場合も、太陽を夫に譲った女性の場合もそれは同じです。

 

自分が輝くのか、、、輝いているように見せるのか、、、太陽の二つの可能性を意味しているわけで、運命鑑定の場合、ここを見誤ると正しい人生判断はできなくなります。

 

さて、本題の月に入る前に、前述したように太陽を簡単にでも理解しておかねばなりませんので、まず太陽について話りました。太陽については、これは重要な主題なのでまた改めてお話しする機会を持ちたいと思っています。いつになるかわかりませんが、必ず、ブログでアップさせていただきます。

 

今回は月です。月に関した誤解が非常に多く、この星の理解に問題があるのを最近よく感じます。占星術を学ばれている方は、月について、どのように考えておられるでしょうか。

 

月の星座は適職を示しもするとか、人間関係を決定するとかも言われます。それは確かにそうですが、月はそもそも良い影響を与える惑星なのかどうなのかも、実は曖昧です。

 

私は月は準ベネフィックという考えに疑問を感じています。以前、新月の化粧品を作ったことがありますが、あのアイデアは本当に素晴らしいものでした。実際に新月に作られた化粧品には、通常では得られない素晴らしい特徴がありました。

 

新月の考えは、これから月が増えていくので吉兆と捉える考えもありますが、そうではなく、月が不吉であり、月の影響を受けないので、新月には宇宙の生成力が邪魔されずに発揮される、、、という二つの考えがあります。

 

私は断然、後者なのですが、月が良い星であるという考えを持たない者です。ただし、誤解を招かないように言っておきますが、月は重要な星であり、地上における感情と認識に時間のタイムラグがあるがために、この世では大きな気づきに貢献する、最終的には重要で貴重な惑星という考えはその通りです。

 

月が重要であることは確かなのですが、これは実は誤解されやすい星です。よく月がある星座はその星座の才能があるとか、適職にも使えるとか言いますが、果たして本当でしょうか。

 

月は太陽の光を反射して光ますので、その光はイミテーションです。月に限らず、惑星はすべてイミテーションの光で輝いているという限界を知っておいた方が本当は良いのです。

 

惑星と恒星では雲泥の違いがあります。なので、唯一の恒星である太陽の獲得が重要となるのですが、自身も太陽のように輝くのか、仮の太陽のイメージ光力による人生を目指すのかで、異なるのです。太陽、、恒星の輝きを自身に発揮すれば、それは自己実現となり、光そのものの存在となるため、もう二度とこの世に生まれ出る必要がなくなります。

 

自己実現が最終目標というのは、そのためでもあります。そうしたものの正反対に位置する星が月です。太陽と月をライツとして重要視しますが、それは、正反対の目的に置かれている惑星という意味での重要性もあるのです。

 

月は死の星であり、月は過去であり、月は感情であり、保守であり、偽りなのです。

 

月の衝動で生きれば生きるほど、人は本当は苦しくなります。このことを分かっている占星術はあまりありません。月がいかに自身を誤魔化し、いかに自分を守るように見せて破壊し、いかに嘘つきか、、、一度ゆっくり考えてみてください。

 

あなたの月のサインは何でしょう。人は常々、月のサインの示す事柄に関心を向けています。これは事実です。また、そうでない場合でもすぐに月のサインに従う内容に反応します。

 

おひつじ座に月があれば、すぐに怒ります。すぐに怒る状況に反応するからです。月がおうし座にあれば、豊かさやぜいたくな物や状況に敏感に反応します、、、ふたご座にあれば、いち早く得た情報を人に教えたくなります、、、

 

太陽でも同じではないかという質問を受けそうですが、まったく異なります。月がおひつじ座にあれば、怒りやすい反応としての自己イメージで自分を守っているのです。太陽がおひつじ座ならば、守るも何もなく、本気で怒るのです。

 

月がおうし座にあれば、自分がお金持ちであるとのイメージで自分を守りたいのです。太陽がおうし座ならただお金を得たいし、そうなりやすいのです。月がどんなに自分がお金持ちでありたいと思っても、そうはなりません。太陽おうし座の具体性にはかなわないでしょう。

 

月がふたご座なら色々な情報に反応しますが、それによって自身のイメージ上昇を狙っているのです。太陽がふたご座なら、それは本当の喜びなのです。なので、語る際の迫力が違います。

 

月がかに座なら、優しいお母さんのように見せたいのです。太陽がかに座なら、何も考えずにそうしています。

 

月がしし座なら自分がいかに大物であるかと思ってもらいたいので、自分のイメージにこだわります。太陽がしし座なら、本当に自分を大物だと思うのです。思いたいのと思う違いが大きいのです。なので、月は太陽に会うとしょんぼりしてしまうのです。自分のインチキさを刺激されるからです。

 

月がおとめ座なら、自分が清潔できれい好きだと思いたいのです。しかし、いつも周囲は汚れていたりします。太陽がおとめ座なら、何も考えずに清潔にしています。

 

月がてんびん座なら自分は公平で卒がないとのイメージを持ちたいのです。でも実際には公平であったことなどありません。太陽がてんびん座なら当たり前のように公平でないといられません。

 

月がさそり座なら、自分は思慮深く、真実を追求し、本物が何かを知っていると思いたいのです。でもけっこう騙されやすかったりします。太陽がさそり座の直観は優れて真実を見つけます。

 

月がいて座なら自分はこだわらない人物で社会正義を求めるような人間だと思いたいのです。太陽がいて座なら、たとえ損してもそう思えば社会正義に従います。何も言わずに。

 

月がやぎ座なら社会の仕組みの中で自分を守りたいのですが、そうした高度なことなどできません。太陽のやぎ座は具体的にそうしたものを作ろうとします。出世したい月のやぎ座は夢物語りで考えるだけですが、太陽のやぎ座がそう思えば、実行に移します。時間がかかっても。

 

月がみずがめ座なら、自分を個性的で天才的な人物だと思いたいのです。太陽がみずがめ座なら、そんな風に考えてもいないのに、周囲から変わり者と思われます。

 

月がうお座なら、やさしく犠牲的で同情心があるというイメージを自身に抱きますが、本当にそうであることはまれです。最後にはきっと周囲を裏切ることでしょう。太陽がうお座なら、本物のシンデレラになることもあります。

 

ざっと12星座の月についてあげましたが、それは太陽と異なり、すべてと言っては言い過ぎかもしれませんが、本質的に偽りなのです。嘘です。ただし、他の要素と絡むことで月のイメージが引き出され、他の関係する惑星の力によって、物事が実現することはあります。そこは誤解なさらないようにしてください。

 

月単独で思ったこと、やりたいと思ったことが、現実になることは、ほぼゼロです。そうした月のイメージで自身を考え、人生に月の要素を持ちだしたとしたら、結果を残すことはできないはずです。

 

月はごまかし、失敗させ、幻想を振りまくことで、人生を誤らせますが、何度も失敗することを通して、結果的にやり直しをこの世で行い、私たちを成長させることに寄与します。

 

しかし、それは月の善意ではありません。月を善意と解釈することで、私たちはある種の罠にはまります。占星術の目的は、最終的に太陽の獲得にあり、真の太陽の獲得、すなわち自己実現、セルフの獲得と言っても良いでしょう。

 

月を人生の目的に置かないことです。月は日常意識ですので、日常意識は常に保守的でありますが、常に間違った認識を私たちに与え続けているのです。それで何度も何度も私たちは生まれ変わるしかなくなるわけです。人生の目的は月ではなく、太陽の獲得にあります。

 

太陽の獲得とは自身が恒星となり、光輝く存在となることで、その時、大きな光の中では、区別もなく12サインもない完成があることになるわけです。

 

お知らせ

来る621日の夏至に、久しぶりに「夏至の妖精茶会&432Hzオルゴールの夕べ」を開催します。下記をクリックして内容をご覧ください。参加者の希望を夏至の晩に言い合うことで、その実現を目指しましょう。夕食と妖精茶会ケーキセットが付いて会費は4000円です。下記URLをクリックして貼り付け、リターンキーを押してご覧ください。

 

妖精茶会&432Hzオルゴールの夕べは締め切りました

 

 

マドモアゼル・愛公式SHOP

http://www.hoshitomori.net/

 

2018-06-12 

続編 惑星の理解「月」

 先日の月編で語り足りない部分を続編として付け足させていただこうと思います。占星術に関心が無い人には申し訳ありませんが、占星術とはそうしたものなのか、、、との視点でお読みいただけたら嬉しいです。

 

月は特に幼少期の私たちに影響を与えた星です。私たちが最初に作った世界観が月であり、私たちが感じた最初の「お子ちゃまの世界」が月なのです。それはおままごとのような、子供時代の世界の情景です。

 

子供心に眺めた世界は、自身の手によって作られた世界ではありません。

それは母親の保護と重なる時代であるため、私たちは母の存在を通して最初の世界を眺めたことになります。

 

月の12サインの分類は、私たちが子供時代に見たおままごとの世界を、今なを、月を通して眺めているのに近いのです。それは子供時代の保護の安心感と密接につながるため、強固で決して捨てられないイメージとして私たちの心に残ります。

 

以来、私たちは常に、まず最初は月の印象によってどんなものをも体験しようとすることになります。平たく言うと、私たちはいくつになっても、月のフィルターを通すことで、外界を見ていることになるわけです。

 

それはいくつになっても、また、どんなに成長したのちでも、同じです。なので月から受けた子供時代に培った世界の印象を、根本的に変えることはできません。

 

ただ月の印象をどの程度受け止め、受け入れるかがその後の成長過程や心の発達と関係してきます。とくに太陽意識の獲得がもっとも大きく、太陽意識が芽生えることにより、月の印象世界はその存在が小さくなります。太陽に対しては月は基本的に勝てません。

 

太陽意識の芽生えにより、生きがいや生きる目標や目的を獲得していく私たち。しかし、太陽の獲得がおざなりな場合、いつまでも月の印象に頼るしかなくなります。また、どんなに成長し、太陽意識がその人の人生の大部分を占めたとしても、やはり第一のフィルターである月の印象は変わらずに存在し、どんな場合でも、まず最初は月が眺める形で、物事は始まっていくのです。

 

他の惑星意識による成長度合いが貧しいようなら、その分、月の印象のウエイトが大きくなり、月の反応がその人を支配することになります。今の人気取り社会は、まさに月の印象による時代運営を示していますので、幼稚な段階から私たちの社会はなかなか脱出することができません。

 

このことをはっきり理解しない限り、私たちは月の印象を払しょくすることはできず、月の印象でしかない、月反応の人生となり、自身の人生を失っていきます。

 

月が自身の本質であると思うことは、このように危険なことなのです。それはいくつになってもおままごとのような生き方しかできないことを示します。

 

それもおままごとが楽しければ良いのですが、月を楽しむことは実は難しいのです。月は自立できない時代の防衛心を根拠にした印象ですので、不安と表裏一体の関係にあるため、こうしたい、、、と月が思ったことでも、単純に純粋にそうすることはできず、楽しみとはなりません。

 

月の最高の位置はおうし座ですが、その場合ですら、おうし座的な物事を真から楽しむことはできないのです。豊かで気持ちが良い環境でゆっくりと流れる時間を楽しみたいと、おうし座の月は確かにそう思います。しかし、それができるのと、そうしたいと思うのでは違いがあります。月はあくまでそう思いたい星であり、そうできる星ではないのです。

 

ゆっくり音楽を聴いておいしいお菓子を食べてくつろぎたい、、、と思うのがおうし座の月ですが、月の心理の根拠には、防衛心があるため、それは理想のおままごととしての目的となります。そのため、おままごとの世界としての、「ああ、くつろいだ、、お茶もおいしかったし、、」という演技としての満足に終わりがちです。

 

本当はそれよりも何よりも、実際には豊かなくつろぎタイムを、月のおうし座は持てないことが多くなるのです。そうしたいのは理想であって、そうしたい自分を受け入れたいのです。しかし、実際にはそれをする力や楽しむ力は月にはありません。なので、豊かなくつろぎタイムを持ちたいと思いつつ、本当には持てない自分に傷つくのです。

 

太陽がおうし座にあれば、やはりくつろぐことが好きで、そのことにどんな代償をもいといません。本当においしいと思えば、100グラム数千円のお茶でも購入し、一人で楽しむことができます。これが月のおうし座では100グラム数千円のお茶の購入には度胸がいります。購入したとしても、誰かにそのことを告げずにおけません。自分一人で本当には楽しめないのです。そして、100グラム数千円のお茶を買えない自分、もしくは無理して買っても、それを本当には楽しめない自分に傷つくのです。

 

月おうし座という月にとって最高の位置である場合ですら、こうしたことが起こります。月はどの星座にあっても、本人を傷つけるように働きます。

 

月が求めるものを、現実にする力は月にはないからです。おままごとで美容院の経営をしている母親役をやったとしても、実際に美容院を経営する力は月にはありません。しかし月は自身のイメージを作ってしまい、それを一生続けますので、月が本当の自分だと思えば思うほど、人は自身の人生で傷つくことになります。

 

どんなに上手に話そうと思っても、ふたご座の月には、その能力はないのです。(他の星との関係でそうでない場合はもちろんありますが、月から来る能力としてはないのです)

 

どんなに怒って感情を爆発させても、月がおひつじ座にあれば、喧嘩は下手なのです。

 

月のかに座は、やさしい女性、、、やさしい母親、、、デリケートな女性らしい自分、、、というイメージにこだわりますが、そう見せたいし、できる限りそうしようとしますが、本人にはその力はなく、そうできない自分に傷つくのです。

 

そのため、月がかに座にある人は、家庭的で、、、自分が良い母である、、、との起点から行動すれば死ぬほど疲れます。エネルギー消費が大きくなるからです。また、そうできない自分自身に傷つき、元気を失います。

 

私はテレフォン人生相談の回答者をやってもう20年近く立ちますが、一緒にやらせていただくことが多い加藤泰三先生がおっしゃることで教えられることがあります。

 

加藤先生は、本当は嘘なのに、そう見せたいと思う自分を外に印象づけようとすることが、もっともエネルギーを消耗する、、、とよくおっしゃいます。まったくその通りなのです。

 

月の間違った自分の印象を外界に押し出すことで、私たちは本当は多くのエネルギーを失っているのです。

 

月の印象付けへの関心と情熱は、子供時代の郷愁であり、本質的には依存への憧れです。しかしそれを自立へ切り替えない限り、私たちの人生は始まりません。

 

月の印象にこだわる限り、私たちは何か自身を依存させるものを求めてしまうでしょう。

月の印象が自分だと思えば、それは嘘なので力は出ません。どんなに月がそのことを求めても、失敗します。

 

しし座の月は自分を華やかな存在だと思いたいのですが、本当の自信はありません。そのことで傷つき、晴れやかな場面では結局逃げ隠れしたくなります。

 

おとめ座の月は几帳面でありたいと願いつつ、いつもずぼらです。そんな自分に傷つくのです。

てんびん座の月はエレガントであると思いたいけど、そうできない自分に傷つき、失望しています。

 

さそり座の月は深い思慮とだまされない気持ちで身がまえますが、止まって思考したことはすべて勘違いに終わります。一体自分は何なのだと失望するのです。

 

いて座の月はスマートで気位が高く育ちが良い人だと思われたいのです。実際にそういう場合もありますが、突然逃げ出したくなるのはそんな自分のイメージの維持に限界が来た時でしょう。

 

やぎ座の月は冷たく計算高く騙されないと信じていますが、本当の詐欺師には簡単にだまされます。お子ちゃま時代に磨いた用心深さのイメージでしかないので、現実社会では自分にがっかりすることが多くなります。

 

月がみずがめ座にあれば、どこか孤独に見えます。それは連帯していると思ったり、つながっていると思う気持ちに、本当は自信が持てないからです。脆弱なつながりしか持たないのに、それを強固なつながりであると思いたいところから来る孤独なのです。

 

月がうお座にあれば、やさしく受け身で犠牲的なしぐさは上手です。しかしそれは本当ではない、お子ちゃま時代に培った役柄表現のため、何か追い詰められた時にはあっさり脱ぎ捨てて本音を隠せなくなるため、その豹変ぶりに親しい人も驚いたりしがちです。

 

このように月の星座を悪く言うと誤解されがちですが、月を自分だと思うことは間違いです。月はあくまで子供時代に身に着けた反応だったのです。これに縛られることは、月が示す7歳までの姿でこれからも生きていくことになり、周囲との軋轢によって、必ず傷つく人生となります。

 

月からの脱出が占星術における重要な事柄なのです。このことをわかりやすく話すため、多少誇張して書いていますが、話しの本質を理解していただけたら幸いです。また、自分の月のことを悪く書いているようにお感じになられる方もいると思いますが、月はあなたの本質ではない、という視点からのものですので、どうかお許しください。月のイメージに振り回されることがなくなれば、それは日頃の常々のことでもあるので、生きることがかなり楽になっていくと思います。


6月21日の夏至を超すと、がらりと違う新しいエネルギーの領域に入るでしょう(180621ソ)

2018-06-22 | 覚書
愛知ソニアのオフィシャルウェブサイトさんより

オフィシャルサイトリニューアル

今日は夏至です。
コスミックコミュニティーの皆さん、
いかがお過ごしでしょうか?

昨夜遅くのメッセージです:

6月はいくつもの古いサイクルを完了させるために肉体的にも精神的にも大きな負担がかかりやすくなっています。しかし、6月21日の夏至を越すと、がらりと違う新しいエネルギーの領域に入るでしょう。

お知らせ:

愛知ソニアのオフィシャルウェブサイトとアメブロがリニューアルされました。覗いてくださいね。アメブロは、今手がけている翻訳が一段落ついたら、チャネリングメッセージを中心的に投稿していきたいと思っております。
オフシャルサイト:https://sonia.aichi.jp/
アメブロ:https://ameblo.jp/soniassalon