月についての最終解説第二回です。今回はふたご座・かに座の月についてです。
月は子供時代から何ひとつ変わっていないその人の一面を表し、子供時代そのままの未成長の性質、そして能力を意味します。能力も未成長ですので、月で行ったことには実力は伴わず、必ず失敗に終わります。ほとんど例外はありません。ただし、子供時代の再現として周囲は感じ取りますので、人気は月によります。しかし、それを自分の本当の姿と思いこみ、また、月の能力を本気で追求し出すと、私たちは生涯を棒に振ることになります。月は本当のあなたの姿とは違うのです。そのイメージに自身も囚われてしまうため、月の自分像を追求してしまいますが、それが人生の罠そのものです。こうしてほとんどの人が月の幻想を自身だと思いこみ、せっかくの人生を棒に振っていってしまいます。月は自身ではないが、未成長ということは、純真な思いがそこにあるわけで、それだけが大衆の心をつかめるわけで、人気とは自身の成長を犠牲にした時に得られる代償と言うことになります。人気を意識する人生は残酷であり、現代の価値意識の薄っぺらさはまさに月から来ているわけです。しかし月文明は必ず滅びることになるでしょう。では、個々の解説を続けます。
ふたご座の月
ふたご座は風の星座です。風の星座の月は知性の欠損を意味します。その最初がふたご座ですので、知性の原初的欠損、、、すなわち、考えることができないことを意味します。ふたご座の月を持つと、自分では知性があり、知性で生きることが最高であるとの思いを持ちます。
それは子供時代の自己イメージが知的で頭の良い子、、、であったためです。親からお利口ね、、、頭が良いのね、、と言われたり、人からそう思われることがアイデンティティとして子供時代の心に根深く根付きました。そのため、成長してもその自己イメージを捨てることができず、自分は知的であり、文章も上手に書け、説明もしっかりできる、、、との自己イメージを捨て去れません。
しかし残念なことに、それだけが未成長なのです。小学校や中学校までは何とかそのイメージを繋げられますし、実際に7歳頃までの頭脳であれば、頭の良いこでしたら、中学三年生程度までの学力には付いていけるため、そうした自己イメージを守ることはできるでしょう。
しかし、高校生になり、さらに大学時代になったりするうちに、何とはなしに、自分には思考力がないということを感じだします。それでも自己イメージは続きますので、そんなはずはない、、自分は頭が良い、、との葛藤が生涯つづき、その証明と弁明のための生涯を送ることになるでしょう。
月ふたご座の人は良くしゃべりますが、意味がよく伝わりません。それは自身も感じ取っていますので、もっと他の言い方、、、もっと他の表現、、と立て続けに弁明をしだすので、話しがさらにわからなくなったりしがちです。
文章も本当は苦手ですから、書くことに非常に苦労します。月ふたご座で文学界で成功した人もけっこういますが、皆、一様に苦労したことがわかります。中には、自身での考えができないため、借用が多くなり、悪くすれば盗作問題すれすれの場合も多くなります。
何かを真似ないと、調べないと、確証が得られないと、不安で仕方ないのです。自分では考えられないためです。
このように月ふたご座の人は知的欠損を生涯持ち続けますが、その弁明に固執しなくなると本当に生きることが楽になるでしょう。
月ふたご座の人に必要な考えは、「私、本当はバカだから」という気持ちを持つことです。大変失礼な言い分になって御怒りの方もいらっしゃるとは思いますが、正直によく振り返っていただけたなら、それは本当ではないでしょうか。
ただそうは思えない場合が多いでしょうから、月ふたご座の人が怒るパターンは、実は自分がバカに思われた時なのです。バカ、、という言葉に非常に敏感に反応しますし、また、バカな人を内心でバカにしていることが多いと思います。
昔、私の知人に非常に頭の良い、成績がトップクラスの月ふたご座の人がいました。勉強はできたのです。しかし、本当には考える能力がなかったため、いつもワンパターンの仕事しかできませんでした。融通が利かないのです。そしてその人は知的能力に劣っている障害者をわりと本気でバカにしていました。それを見て、私は危ないものを感じました。知的能力は人間性とは何の関係もありません。
月ふたご座は、自身に知的欠損があるのですから、自身の知的イメージさせ捨てれば、人格者として変身できるのです。
また、月を自分のために使わず、世の中の人がすべてよい教育を受け、良い学びの場や環境が整いますように、、、との素直な思いだけを大切にすればよいのです。そして自身の能力は知的に限らず、色々な能力がありますので、他の惑星を使い、その人の能力を発揮すれば何の問題もないのです。
月ふたご座の格言
自分はあまり深い考えができない、、ないんだ、、、と思ったとき、あなたの秘めた高度な人格が表に出るようになります。あくまで知的自分像にこだわると、むしろ「はすっぱな印象」の人になりがちです。月にだまされないことです。
かに座の月
かに座は水の星座です。水の星座は感情の欠損を示します。その最初がかに座ですので、もっとも原初的な感情の欠損を意味します。原初的感情の欠損とは、人が抱く最も自然な情のようなものでしょうか。
何かを敏感に感じ取る能力や、人の思いを感じ取る力、それがあって初めて、母は子供がどういう状況にあるかなどがわかります。そうした能力がないと、どうしても大切なものを守る力を失います。
そのため、月がかに座にあると、自身を守る力の限界を意味することになるわけです。どんなに疲れても、それを敏感に感じ取れませんので、この人はある限界を超えるパタッと倒れがちです。それまでは元気いっぱいだったのに、ある日突然風邪をひき、長らく寝込む、、、というようなパターンと縁があるでしょう。
感じ取る能力がないからです。一見、やさしい人ですし、楽しい人ですが、相手がどういう状況にいるのかを感じ取ることができませんので、一般的な尺度でしか相手のことを思えないというところがあります。子供は何を悩んでいるのか、、子供は何を求めているのか、、母とは何なのか、、夫はなぜそうした態度をとるのか、、妻の思いは、、、そうしたことが実はわからないのです。
なので、一般的な解釈から身内を捉えますので、本当の意味でも深いふれあいはできなくなります。これが感情の欠損ということです。自分のことも身内のことも、その深い部分のことが分からないのです。
言われたことはもちろん理解できますし、わかりますが、言外のイメージを捕まえることができません。人間関係全般でそうなのですが、とくに身内ではそうしたコミュニケーションが基本となるため、この人はそれが分からず、身内との人間関係で実は疲れるのです。
しかし、それではいけないとの思いがあるため、かえって家族に縛られるような人生になりがちです。となると家庭は憩いの場であるよりも前に、葛藤の場となります。それも理想論を前に出して、母とは、家族とは、という子供時代に覚えた理想家庭像があるため、かたくなにそれを守ろうとします。
こうした表向きの態度と内的な本当は身内との関係性が分からない、、感じ取れない、、、という独特の苦しみを味わうことになるのです。そのため、この人は旅行などで家を出るときの開放感は半端ではありません。誰よりも家を出られる日を心待ちにしています。家にいるのが本当は苦しいのですから当然でしょう。
人は何も月以外で生きられないわけではありません。反対で月の特性で生きようとすれば、苦しくなり、人生そのものを破壊します。しかし、人は月が本当の自分だとかたくなに思う罠にはまっていますので、一番苦しいことを一生懸命にやろうとして、すべてを失っていくのです。
ですので、この人は、人は立派な家庭をもたなくてはいけない、とか、立派な母でなくてはいけない、、と思う不自由から自由になることが大事なのです。一般的に常識との戦いになりますが、しかし実際に、「私、母ができない」と思った方が、むしろ、責任感が他の部分からもたらされますので、むしろ客観的には良い母となり得るのです。実際に、本当は良い母などできないのに、それを演じていた時よりも子供たちも楽になります。
縛られた概念で子供も何かされるより、勝手な母であってくれて、母らしくない形でもいいので、何かしてくれる方がずっと楽なのです。
母は料理に疲れたので、500円置いておくので、勝手に食べててください。
とでもいった方が、ずっと子供も楽だったりします。もちろん、赤ちゃん時代など母の保護がないと育たない時にはそうはいかず、月かに座の人は苦しいでしょうが、意外に、7歳までの母親像はこなせますので、大丈夫です。
子供が7歳以上に育った際に、理想の母を演じることですべてをダメにしてしまうことを覚えておいてください。しかし、7歳までに培った温かい家庭、やさしい家庭に対する憧憬は確実にあります。子供心で、自分の子供も育って欲し、、守ってやりたい、、との純粋な思いは間違いなくある人なのです。しかし、それを実現する能力がないだけなのです。なので、この世にやさしく、温かな家庭があって欲しい、そうあって欲しい、、、との願いと思いは純粋ですので、その思いだけは持ち続けることで、具体的な責任からは降りて、重荷を下ろすことです。
月かに座の格言
あなたはやさしい人ではありません。もうやさしく振る舞わねばいけない、、、という生き方を今からやめることです。家庭に縛られる必要もありません。(ただし子供が七歳までの間は我慢してください。我慢しなくても自身の中の母なるイメージでやっていけます)
あなたが家庭から自由になれば、家族はもっと自由を感じます。あなたが嘘のやさしさを捨てると、本当の責任感が出てきます。それが実際の家庭を救うことになります。
今回はここまでになります。しし座以降はまた続きます。お読みいただけたらわかるように、非常に辛辣な内容のように思えるかもしれませんが、太陽の獲得する性格と違い、月は生まれついての欠損ですので、ほとんど例外なく的中します。よくご自身を深く考えていただけたら、当たっていると思います。ぜひとも占星術に携わる方々は、偏見を捨て、ご自身の場合で、また周囲の人にも当てはめて、月星座に対する見方をもう一度考えてみてください。感情的な批判もわかりますが、一応、私はこの一年以上、体系的な形でそれなりに説明して来ています。それをご理解した上でのご批判ならいつでもお受けいたします。月が人の人生を破壊することは、月の責任ではなく、月の有難い働きの一貫であり、それを正しく解釈することに人が失敗しているだけなのです。