幸せって意外にカンタン♪ 大木ゆきのofficial blogさんより
今日のアフタヌーンティーの時に、
「人を変えようとして、
ああしろこうしろってうるさく言っている人を見ていると、
すごくイヤな気分になるのはなぜなんでしょうか?」
っていう質問があったんですよ。
自分がされているならともかく、
人が誰かにこうするべきだ、ああするべきだって言われているのを見ていると、
その口うるさく言っている人が嫌いになるっていう話だったのね。
ってことはさ、
この人と私とでは、
やり方が違うんだなってスルーできないってことでしょ。
で、
「口うるさく言うより、相手のことを信頼すればいいのに」
って思って腹が立つんだと。
ここで何が起こっているか分かりますか?
口に出してはいないかもしれないけれど、
自分も相手を変えたいと思っているということですよね。
自分も「こうするべきだよ」って相手に言いたい気持ちになっているわけだから。
「この人も口うるさいようだけど、きっと深い愛のある人なはずだ」
と信頼して見守ることができない状態なわけだしね。
つまりね、
自分の中にも、
嫌いな相手と同じものがあるんですよ。
自分の中にある、
口うるさく自分や他人を裁く部分に
消えてもらいたいと思っているってことなんですよ。
だから腹が立つほど反応したんです。
宇宙はすべてを受け入れる方向で動いています。
だから自分の中で消えてもらいたいとか、
こういう部分なんてなきゃいいのにって思っている部分があると、
「もしもし、それもあなたの一部ですよ。受け入れてください」
っていうことを、
宇宙は他人を通して見せるんです。
だから、
「自分とはやり方が違うな」、
では済まされないほど、
誰かのことがものすごく嫌いだって思う時は、
自分の中の同じ部分を受け入れていないっていうサインなんですよ。
もしも、
自分の中にも同じものがあるって降参できたら、
それを認めて許せたら、
そういう人のことを見ても、そんなに気にならなくなります。
っていうか、
本当に受容できたなら、
宇宙はわざわざお知らせする必要がなくなるので、
その嫌いだった人の態度が変わるか、
目の前から消えるかします。
それともう一つ、このケースに関して言うなら、
もちろん、自分も人にとやかく言われることが大っ嫌いなわけで、
「なぜそんなにもとやかく言われることが嫌いなのか?」ってことの方が、もっと根本的で重要なテーマなんですよ。
本当は、
自分でも自分のここがダメ、あそこもダメ、
もっとこうあるべきだって思っているし、
潜在的には結構厳しく裁いているからこそ、
そういう場面を見るだけでも、
自分の心の傷が疼いて反応してしまうんですよ。
じゃあ、
自分の何をダメだって思ってるのか?
どういう自分を嫌いだって思っているのか?
そこに気づくと、
ものすごく自由になります。
それに関しては、
宇宙からのメッセージ:飛躍的自己受容の奥義に詳しく書きましたので、ご参照ください。
自分のことを嫌っちゃいけないって思っていませんか?
そんなことないのよ。
自分のこういう部分は嫌いだって思ってる自分も、
いていいんですよ。
そう思うこともあるじゃん。
それだけのことですよ。
完璧に自分を好きにならなければ、幸せになれないのではなく、
「自分のここが嫌いだって思う自分もいていいよな」って
ゆるゆるゆるゆるしていると、
宇宙の恩寵を受け取る間口もゆるんで、
幸せや豊かさがますます流れ込んでくるようになるんですよ。
つーーーことでした。
まっ、これはあくまで私の見解ですので。
これが絶対ってこともありません。
何かあなたに響くものがあるなら、参考にしてください。
明日は2と3の話を書きますね。
今日も一日楽しかったな
それではまた明日
ときて、みなさんからの3つ目のリクエスト、
「お母さんが幸せだと、子どもも幸せ」についてお話ししますね。
家族のために自分を犠牲にしなければならないって思っているお母さんて、たまにいますよね。
食べるものもみんなの残り物で、
他の家族にはできるだけいい服を着せて、
自分はあまりいい服は着ない。
いつも身を粉にして働いて、
疲れた顔をしている……。
こういうお母さんて、
今どきあまりいないかもしれませんが、
もしも、お母さんがこんな風に、
自分の幸せを一番後回しにして、
毎日暗い顔をしていたら、
子どもはなんだか申し訳ない気持ちになりますよね。
自分が幸せになることに罪悪感を持ってしまいます。
それどころか、
潜在的に
「自分の存在は人に迷惑をかけている」=「自分はいない方がいい人間」
っていう思い込みを持つようになったりします。
だから、
お母さんが幸せで笑顔であった方が、
子どもも幸せを感じるし、
結果その子どもも、
自分が幸せであることを肯定的にとらえられるようになります。
もちろん、
自分の気分次第で子どもに当たり散らして、
子どもを自分の不愉快な気持ちのはけ口にしてもいいとか、
子どもには何も食べさせずに、
自分は毎日おいしいご飯を食べなさいって言ってるんじゃないですよ。
お母さんも他の家族と同じおかずを食べていいし、
時には自分のために素敵な服を買ったっていいし、
やりたいことがあるならやっていいし、
自分の幸せを大事にしていいという意味です。
私の母も最初は専業主婦だったんですが、
途中からPTAの中に読者会なるものを立ち上げ、
毎月課題本を決めて、
みんなでその本の感想を話すサークル活動を始めたんです。
もともと中学の国語と音楽の教師だったし、
社会に出て自分を表現したい人だったので、
家の中におさまっていられなかったのだと思います。
そんな読書会での活動が評価されて、
地元の新聞のコラムを書くようになり、
そこから社会教育の指導員になり、
そこでも仕事ぶりが評価されて、
最後には幼稚園の園長になりました。
母が自分でお金を稼ぐようになったら、
おしゃれもするようになり、
別人のように輝いていきました。
母が忙しい分、
さびしい思いをしたこともありましたが、
それでもやりたいことをガマンして、
「家族の犠牲者」をやられるより、
ずっといいと思いました。
私が今こういう仕事をしているのも、
母の姿を通して、
女性もやりたいことをやって
社会に向かって自分を表現していいのだということを学んでいたからだろうと思います。
ですから世のお母さんたちも、
やりたいことをやって人生を楽しんでいいし、
その姿を子どもに見せることが、
子どもの幸せにもつながっていくと思います。
コメントの中に、
自分の母親がそうやって自分を犠牲にしている人なんだけど、
どうしたらいいのだろうかというのがありましたが、
それが必要以上に気がかりなら、
自分自身の中にある幸せになることへの罪悪感を
お母さんが見せている可能性が高い。
だからお母さんをどうにかするよりも、
自分の中にある幸せになることへの罪悪感を解放した方がいいのではと思います。
「実は自分が幸せになることに対する罪悪感を持っていたんだ」
という深い気付きが起こり、
その罪悪感を手放せたら、
身の回りに犠牲者みたいな人はいなくなっていきます。
やっぱり自分が何を信じ、
何を選んでいるかなんですよ。
「私が幸せになることはみんなの迷惑」っていうのも、
もちろん貧乏公式の一つです。
そんなもの持っていなくていい。
やりたいことをやってはつらつとしていることで、
あなたの発する周波数は幸せの周波数になっていく。
あなたが幸せの周波数を発すれば、
周りの人の周波数を上げることにもつながる。
その最大の恩恵を受けるのは家族です。
だから遠慮する必要はない。
堂々と幸せであっていいんです。
いろんな光を受け取れる
パワースポットカード←クリック
カードに光を入れる特典動画付きDVD←クリック
※予約開始!10月30日から順次発送
発売即増刷決定
Amazon部門別ベストセラー1位獲得
幸せだったことに気づくだけですべてが整う!
本物の幸せ者だけが知っている
宇宙の秘密をついに公開
本当に幸せな人だけが知っている宇宙の秘密
1,614円
Amazon
|