2月21日
とりあえず土日の間に書けなかった分を書き潰すかの如く、本日2回目の投稿をしてやろうじゃないかとの意気込みであります。
私は今、朝のスターバックスにいます。パソコン開いてカタカタするときはやはりスターバックスに限りますね。
前回は心斎橋で酔い潰れた件について書きましたが、その時書いていなかった出来事を追加で書こうかと思います。
なぜ日曜日も書けなかったのかも言い訳ができると思いまして。
交流会が終わり無事に解散した後、私は強い吐き気に襲われながら、今回誘っていただいたSさんの誘導に行くままラーメン屋に・・・じゃねえや地下鉄の駅のホームまで辿り着きました。本当はラーメンが食べたくて食べたくて苦しい、まるで恋に狂うかのように苦しい限りだったのですが、もう何度目かもわからないコロナ対策の蔓延防止による措置によって、21時以降の飲食店は根こそぎ閉店を余儀なくされていたわけです。
もうこうなりゃこの狂おしい吐き気に耐えながら、なんとかして家まで辿り着くしかないと覚悟を決め、Sさんと別れて電車に乗りました。およそ20分ほど御堂筋線の地下鉄に揺られていました。
その間に私は何を考えていたのでしょうか。
ほわんほわんほわん・・・と私の思考回路が行き着いた先は、数々の自己嫌悪でした。無職でありながら、こんな金にならないどころか費用が嵩んでしまう、職があるからこその交流会にきている愚かな自分。Sさんにも誰にも仕事をやめてしまって困っていると言い出せなかった、相変わらず人に頼れない馬鹿な自分。これからの顛末を考えて、強大な不安に襲われていく、そんな無数に広がっていく思考の渦に足掻くことのできない弱い自分。
そんな思考に囚われているうちに、気がつけば最寄駅に着いており、私は車内から飛び出しました。立ち上がった時に強烈な吐き気と虚脱感に襲われて、思わずトイレに駆け込みましたが、吐き気から連想されるものは一切出てこず、ただ気持ち悪さにうなされていたのでした。
トイレの個室でぐったりして、立ち上がることもできずにふと時計をみると21時半ほどでした。駅員を呼んだ方がいいんじゃないかとか、シェアハウスの誰かに迎えにきてもらおうかとか、色々考えたのですが、最終的には歩けるようになるまで休憩することにしました。
幸いにも、駅には人気がほとんどなく、私の苦しみ抜いたようなうめき声は誰にも聞こえなったはずです。
きっと。
現実世界での私の内面を跋扈する、無限にも続いていくような苦しみを見せてくれる吐き気をなんとか押しとどめ、トイレの個室から出ることができました。地上に上がり寒空にを堪えながら、私は住宅街を通り抜けざま2、3回ほど特に意味のない言葉を叫んだりしながら家に向かいます。近所のファミリーマートでカップラーメンとチョコレートを買って、満身創痍で家に着くとリビングはもぬけの空でした。
一応私の家は10人以上が住んでいるシェアハウスとして運営されているものなのですが、みんな最近はそこまでリビングに長居することも少なくなり、こうした土曜日の夜でもしんと鎮まり帰った日が多かったりするわけです。
今日に限ってならば、ある意味それは行幸だったかもしれません。この吐き気に全身を包まれた私が対人スキルをこなすことなどできるわけもないのですから。
リビングに着いた途端私はソファに倒れ込みました。吐き気が治りません。うーんとかグエーとか、声を発してごまかしを施そうとしても無駄でした。
これはまずい、塩気が必要だ、水が必要だと慌てて台所に行き湯を沸かします。
おそらくこの時でしょうか。どのタイミングで出会ったかはあまり覚えていないのですが、住人の2、3人ほどとは顔を合わした記憶があります。そして顔を合わしておきながら、決して酔っぱらって苦しいとか吐きそうとかそんなそぶりを見せることなく、私は普通に挨拶をした気がします。
そしてすれ違いざまにカップラーメンを作りそれを啜り、少しだけ腹を落ち着かせたところで再びソファに寝転びました。普段私はリビングのソファで寝落ちすることなど全くと言っていいほどないのですが、この時ばかりは全身の虚脱感に身を任せるほかなかったのです。
私の耳に入ってくる情報は、誰かの会話が遠くから聞こえてくる程度。それがその日の最後の記憶だったのです。
目覚めると朝の4時でした。やべー普通に寝落ちしたやんけ、と電気のつけっぱなしの部屋を見渡します。寝ている間、ずっとダイレクトに暖房の風にあてられていたため、喉がカサカサです。
あれだけ酔いに苦しめられていたにもかかわらず、意外と二日酔いにはなっていませんでした。それか二日酔いの自覚症状がなかっただけかもしれませんが。
ふらふらと起き上がり、だだっ広いリビングに一人心寂しく夜明けを迎え、不健康な日曜日の朝でした。
結局何も変わっていない、私は相変わらずどんよりとしたものを抱えて、今に至ります。
END